もの言う牧師のエッセー 傑作選
第226話「 刑務所内で大学」
アメリカ社会において、College behind bars(塀の中の大学)が注目されている。ノエル・カルデリス受刑者は、8年前に大学生殺害の罪で懲役20年以上の有罪判決を受け、ワシントン州モンロー市の更正施設へ送られた。そこでの彼の主たる目標は「いかに早く20年を終らせるか」。 テレビを見たり、施設内をウロウロしたり、ジムで過ごしたり。しかし、数年前から施設内の大学教育プログラムに通い始め、「本当に人間として劇的に成長する助けになりました」。今では歴史を専攻し学士号取得を目指す。
やはり殺人罪で24年の刑に服するルデイ・マドリガル受刑者も、ワシントン大学が支援するプログラムで数学を専攻。かつては刑務所内で暴れるなど問題が絶えなかったが、今では「私の人生は全く変わった」。もはや単なる暇つぶしではなく、施設内の“クラスメート”に留まらず大学関係者など様々な人々とつながりを持ち、出所した暁には社会福祉の仕事に就き人々の役に立ちたいと夢を膨らます。
「施設内の教育は彼らを変えることが出来る。それはコミュニティがより安全になることでもあり、皆の利益となる。」と話すのはニューヨークの福祉団体「ヴェラ司法協会」のディレクター、フレッド・パトリック氏。周知のとおり服役者の多くは再犯者たちで、連邦政府の統計によれば、出所後3年以内に罪を犯し“出戻る”確立は68%に登り、いっぽうで大学プログラムを受講した者たちの再犯率は5%以下という事実がインディアナ州更正局より示された。
現在ワシントン州の服役者16500人のうち11000人が学んでおり、大学、個人ボランティア、福祉団体など様々な人々が関わり、自動車整備士やコンピューターのクラスも開始、カリフォルニアではオンライン教育が始まるなど全米47州が同プログラムを取り入れた。
「心の迷っている者は悟りを得、つぶやく者もおしえを学ぶ 。」
イザヤ書29章24節。
これは神に逆らい罪にまみれ、滅亡への道を進むイスラエルへ発せられた、神からの優しい語りかけである。優秀な人間が悟りを得るのは当たり前だが、聖書は全く違う。ダメな人、弱い人、失敗者が学び、祝されるのである。これが福音(ゴスペル)の要であり、キリストが十字架にかかった理由でもある。 誰でも生まれ変わることができる。やり直すことができる。イエスの力を借りて。。。 2016-3-18
最も幸せな人々は最高のものを持つ必要がない。
彼らは単に持っているものを感謝するだけだ。
ウォレン・バフェット
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第225話「 長距離バス運転手 」
長距離トラック運転手は仮眠を取る時、車内の寝床を使わないという。寝過ごして到着が遅れてしまうおそれがあるからだ。ハンドルの上に両足を乗せ目を閉じる。こうすればやがて体がしびれ、必ず目が覚める。疲労はたまる。
毎日新聞が10年前、格差社会をテーマに連載した記事の一コマだが、記事を読んだ路線バスの運転手から投書が届いた。自分も同じだという。トイレの時間もままならず、もしもに備えて成人用のおむつをつけて運転する。規制緩和による運賃の自由化や営業区域の撤廃が進み、業界の競争が激しくなったことが背景にあり、過重労働が常態化していった。
去る1月に起こった軽井沢スキーツアーバス転落事故は、15人が死亡、さらに生存者全員が負傷し、1985年の犀川スキーバス転落事故以来の過去30年で最悪の事故となってしまった。バス会社の安全軽視の姿勢が批判されているが、果たして原因はそれだけだろうか。
バブル後の20年以上にわたるデフレ経済が続く中、経済再生のかけ声のもと、過度な自由競争に陥り、光が作る影に目を向ける人が少な過ぎる。たった一枚の格安チケットのために働かされる人や、それを買う必要のある人。これでは一億総活躍など空論に等しい。
今から約2800年前に書かれたアモス書には、滅亡前夜のイスラエル王国の悲惨な状況が記されている。
「イスラエルの背きの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが金のために正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売ったからだ。」
アモス書2章6節。
神に選ばれ、祝されたイスラエルは、本来なら貧しい人を助け、弱き人を祝福すべきところを逆に虐げ、神の怒りが爆発し滅亡した。日本人の多くも神を信じない。そして世間はますます世知辛く窮屈になっていく。今はただ、日本の人々が救い主であるキリストを信じ、心の安らぎを得、愛の豊かな社会作りが出来るよう心から祈る。 2016-3-16
修理に出していたカウボーイブーツ仕上がりました!わーい!
しかも靴底はバイカー用の滑らないやつに変えてバッチリ。
韓国系米国人 楊さんに感謝!
もの言う牧師のエッセー 再投稿
第224話「 ピシオットさん永眠 」
1981年から35年間、米ホワイトハウス前で反核運動を続けた小柄な女性、コンセプション・ピシオットさんが、1月25日、80歳で亡くなった。米紙は「米国史上、最長の政治的な抗議活動」と伝えた。スペインからの移民で、離婚して養子の娘の親権を失い、失意のどん底の時、反核活動家の米国人男性と出会う。「自分の子供のためには何もできなかったが、せめて世界の子供たちを破壊から守る活動をすべき」と決断。この世界に身を投じ二人きりの運動が始まった。
“運動“と言っても、核兵器超大国の大統領が住むホワイトハウスの真向かいに、ビーチパラソルと被爆地の写真を張った立て看板があるだけ。支援者宅での入浴など以外は、ほぼそこにいた。2009年に相棒の男性が他界した後も変わらず運動を続けた。
実は私は、今から約20年前の夏に妻を乗せてオートバイで米国1周旅行をした際、この場所で彼女に会った。同地域は、議事堂のほかスミソニアン博物館やFBI本部などの連邦ビルが立ち並び、緑が少なく休めるような場所がない。夏の日差しがコンクリートではね返り、うだるような暑さの中、記念撮影を楽しむ観光客らに向かって核廃絶を呼びかける彼女の姿は、被爆国出身の私には嬉しかった。そして、あれから20年以上も続けたことに心から「スゴイな」と思う。
「我々がみんなでやるべきことを彼女はやっていたんだ」と話す広島平和文化センター前理事長のスティーブン・リーパーさんは、ワシントン出張の際に広島市からの感謝状を手渡したこともあるという。
「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
使徒の働き20章34-35節。
これはイエスの弟子パウロが、殉教前に友人らに語った別れの言葉である。27巻ある新約聖書のうち13巻は彼が執筆した。また、西アジア一体に教会の巨大ネットワークを築き上げるなど聖書中で最も仕事した男である。しかし彼は手に職をつけ、教会から給料を貰わず、いわばボランティアで彼の仕事を続けたのだった。
そんな彼も若い頃は乱暴な人間だった。生活もすさんでいたに違いない。ピシオットさんのように家庭が破綻したり、或いは仕事が立ち行かなくなったりして教会を訪ねる人は多い。つまり教会とは優秀な人間の集まりではない。十字架にかかったキリストの前に己の無力を認め、キリストを救い主と信じた後は、最後まで愛すべき人々のために働く人々である。 2016-3-11
争いにかかわらないのは立派なことだ。
無知な者は皆、争いを引き起こす。
聖書
箴言20章3節、共同訳
ハリウッド続き。土産屋にて。
テンション上がるわ~このフィギュア。
もの言う牧師のエッセー 再投稿
第223話「 スタン・ハンセン 」
来日した外国人プロレスラーの中でも屈指の人気を誇ったスタン・ハンセンさんが、プロレス引退から15年を経て、現役時代の思い出や引退後の経験、そして今彼が伝えたいことを書き下ろした日本向けの本「日は、また昇る。男の引き際と、戦うべきとき」を出版した。
故郷テキサスにいた少年時代はケンカ三昧の乱暴さゆえに“悪童“と呼ばれ、レスラーになってからは何があってもひるまず前へ前へと突進するファイトゆえに“ブレーキの壊れたダンプカー”と呼ばれ圧倒的な強さを誇った。リング入場の際にはドクロを縫い込んだカウボーイのコスチュームで現れ、持っていたブルロープで観客を手当たり次第に殴りつけたり、負け試合の時などは対戦相手に八つ当たりで大暴れすることなど、怖いイメージを持つが、実は彼はクリスチャンである。
引退のきっかけとなったのは、平成12年10月に天龍源一郎選手と対戦した際、KOされたこと。ハンセンさんはそれを「神のお告げだった」と話す。ビジネスのパートナーである相手をいかに痛めつけて勝利を得るかという、プロレスの特殊な世界でチャンスをつかみ、のし上がり、そしてトップを維持するための努力と研鑽を続けたからこそ、「やれることは全てやった。後ろを振り向かずに前に進むことに決めた」と言い切る。
「自分のポジションをキープして変わらないように戦うのも大事だが、時と場合によっては変化を起こし、違う道を進まなくてはならない時もある」と、すっぱり引退を決め27年間のプロレス人生に幕を下ろし、アスリートにありがちな復帰を一度もすることなく今日まで来た。一方で、彼は現役時代に「ファンのために戦ったことはない」という。「向こう側のコーナーにいる対戦相手のことに100%だった」からだ。聖書は言う。
「 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜わっても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く。」
イザヤ書30章20-21節、
と。今あなたも“特殊な世界”で悪戦苦闘しているかも知れない。不可解なこともあろう。だが真の信仰者は、一たび神のお告げが聞こえたならばそれに従い、脇目もふらずに目標に向かってぶち当たり、今やるべきことを精一杯やる。また、もし神のお告げがなかったなら、もう少しのあいだ努力と研鑽を積む必要があるのかも知れない。しかし心配ご無用。神を信じる者には、神のお告げに従い十字架を担いだ、圧倒的強さを誇るイエスの導きがあるのだから。
2016-3-4
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