A U.S. Marine’s family returns a “good luck flag” to the family of a Japanese sailor during a ceremony Sunday, Dec. 4, 2022, at Gokoku-jinja, a shrine dedicated to the spirits of Hiroshima’s war dead.
Akari Terahara, 11, holds a photo of her relative, Norito Myochin, during a flag-return ceremony at Gokoku Shrine in Hiroshima, Japan, Sunday, Dec. 4, 2022. (Jonathan Snyder/Stars and Stripes)
Chris Johnson returns Norito Myochin's "good luck flag" to the late Japanese sailor's relatives, nephew Toshinari Myochin and sister Keiko Hirota, during a ceremony at Gokoku Shrine in Hiroshima, Japa
Families of former WWII foes meet in Hiroshima for ‘good luck flag’ return
HIROSHIMA, Japan – A U.S. Marine’s family returned a “good luck flag” Sunday to the family of a Japanese sailor who carried it with him in battle during World War II.
Richard Johnson, 79, and Chris Johnson, 54, the son and grandson, respectively, of the late Richard Wanlass Johnson, a Marine veteran of World War II, returned the flag, or yosegaki hinomaru, to the family of Norito Myochin. The return took place at the Gokoku-jinja, a Shinto shrine dedicated to the spirits of Hiroshima’s war dead.
The Obon Society, an Oregon-based nonprofit that helps U.S. veterans and their families return old war trophies like flags and swords, organized the ceremony.
Japanese troops often carried with them a small national flag signed in ink by their friends and family as a token of good luck. The flag was folded and carried securely beneath their clothing onto the battlefield, according to the society.
Myochin died at the Battle of Peleliu, fought from September through November 1944 and marked by savage combat, according to the U.S. Naval History and Heritage Command. Nearly 11,000 Japanese troops were killed. U.S. casualties numbered 1,544 killed in action and 6,843 wounded in a fight many later considered unnecessary.
“Norito Myochin died when he was 22 years old in Peleliu,” Haruko Arimura, a member of the upper house of the National Diet, Japan’s parliament, said during the ceremony. “He was born on Sept. 21, 1923, and would have been 99 years old if he were still alive.”
Richard W. Johnson, of Lehi, Utah, served in the Marine Corps for 20 years and retired as a sergeant major. He joined the war in early 1943 and fought in New Guinea, Okinawa and Peleliu.
“When he came back from the war, I was about 2, 2 ½, and then he resumed his life and he never spoke of this flag,” the Marine’s son told Stars and Stripes on Friday. “Only once that I ever got him to talk about his wartime experiences was about a year before he was killed in an airplane crash.”
Richard W. Johnson died at age 60 in 1978, his son said.
“When my father died, I inherited this flag and, frankly, another one,” he said.
He said the flag was kept in a drawer and taken out periodically by the Marine’s curious grandson, Chris Johnson.
“About two years ago Christopher asked if he could have the flag, which I was happy to give to him,” Richard Johnson said.
At the time Chris Johnson didn’t know how meaningful the flag is to the Myochin family.
“I found it fascinating, and I knew it was historically significant,” he told Stars and Stripes on Friday. “I didn’t know what to do with it, but I just asked if I could have it and I just had it in the storage until I found out about Obon Society.”
Chris Johnson sent photos of the flag to the society and in April it discovered the flag belonged to Myochin and contacted his family.
“I’m very happy” that the flag was returned, Myochin’s sister, Keiko Hirota, 84, said at Sunday’s ceremony.
Myochin volunteered to join the Japanese Imperial Navy, according to his nephew, Toshinari Myochin.
His family is happy to have something that stands in their memory for the missing sailor himself, his nephew said at the ceremony.
He said the family will offer it at a Buddhist altar.
“Hopefully this brings some closure to the family,” Chris Johnson said.
By JONATHAN SNYDER AND HANA KUSUMOTO
STARS AND STRIPES • December 5, 2022
https://www.stripes.com/theaters/asia_pacific/2022-12-05/hiroshima-good-luck-flag-obon-society-8305992.html?fbclid=IwAR0jIDSBoZlMdNyDXlNI18hGyXS9S98yRiiSioJ3wVV2fxF9eyqflSpGvjw
太平洋戦争の戦地に赴き、21歳で戦死した三原市出身の旧海軍兵、明鎮(みょうちん)憲登(のりと)さんの日章旗の寄せ書きが4日、遺族の元に返された。米NPO「OBON(オボン)ソサエティ」の仲介で、旗を保管していた米兵の遺族が来日。この日、広島市中区であった返還式で手渡した。
縦約70センチ、横約80センチ。明鎮さんの名前と「祈 武運長久」などの言葉が大きく記され、古里の親族、住民たち約110人の寄せ書きがある。明鎮さんは海軍に志願し、1944年に南太平洋パラオのペリリュー島で亡くなった。遺骨は戻っていない。
広島護国神社であった返還式には、約30人が出席。米兵の息子リチャード・ジョンソンさん(79)、クリスさん(54)の父子が、明鎮さんのおいの俊成さん(56)=南区=に旗を手渡した。同席した明鎮さんの妹広田系子さん(84)=東区=は「兄は幼い私と遊んでくれた」と涙を流して喜んだ。
クリスさんが、他の日章旗の返還に関する記事を読み、NPOに協力を求めたという。リチャードさんは「米海兵隊員だった父も、返還を喜んでいるはず」と話していた。https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/245580
米から パラオ出征男性の遺品
太平洋戦争中、パラオ諸島で戦死した旧神田村(現三原市)出身の 明鎮憲登みょうちんのりと さん(当時21歳)が戦地に持参した日章旗が4日、米国側から遺族に返還された。
旗は縦約70センチ、横約80センチ。「祈武運長久 明鎮憲登様」の文字とともに、親族ら110人の名前が寄せ書きされている。明鎮さんは、日本軍の航空基地があった同諸島南部のペリリュー島で死亡したとされるが、遺骨は戻ってこなかった。旗は元米軍海兵のリチャード・ジョンソンさん(1978年に60歳で死去)が米国に持ち帰り、保管していた。遺品を返す活動を行う米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」が調べたところ、今年4月に明鎮さんの所持品とわかった。
この日、広島市中区の護国神社で返還式が開かれ、明鎮さんのおいの俊成さん(56)(広島市南区)や妹の広田系子さん(84)(東区)ら親族14人が出席。来日した元米兵の長男、リチャードさん(79)と孫のクリスさん(54)から直接、旗が手渡された。
旗を受け取った系子さんは「兄の日章旗が返ってきて本当にうれしい」と涙を浮かべ、俊成さんは「伯父が肌身離さずお守りのように持ち歩いていた寄せ書き日の丸は遺骨と同じ。実家の仏壇に供えて供養したい」と話した。https://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20221204-OYTNT50191/?fbclid=IwAR1gXXIcPm00qaosL-PNOFINb_aC4LXkc07cB-BmS1KaQukv7bedJXDVyGA
戦没者が携えた日の丸の旗 77年ぶりに故郷へ
太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島からアメリカ兵が持ち帰った日の丸の旗が三原市出身の男性の遺品とわかり、70年以上の時を経て4日、遺族に返還されました。
返還されたのは、太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島からアメリカ兵の男性が持ち帰った日の丸の旗で、ペリリュー島で22歳で戦死したとされる三原市出身の明鎮憲登さんのものとことし4月に分かりました。
4日、広島市中区の護国神社で返還の式典が開かれ、明鎮さんの妹やおいなど親族14人が出席し、旗を持ち帰ったリチャード・ジョンソンさんの息子と孫から直接、旗を受け取りました。
旧日本兵の遺留品の返還活動に取り組むアメリカの団体を通じて返還が実現したということで、旗には、「武運長久」という文字や、家族や友人などと見られる110人分の名前が寄せ書きされています。
返還式の中で、ジョンソンさんの息子のクリス・ジョンソンさんが「旗をご家族に返還できることを光栄に思います」と述べました。
旗を受け取った明鎮さんのおいの明鎮俊成さんは「アメリカから返還に来てもらい、感謝でいっぱいです。77年の時を経て戻ってきたことは奇跡としか言いようがなく、本人もふるさとに戻って来られて喜んでいると思います」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20221204/4000020490.html?fbclid=IwAR0zqUP0ZtyJ9gj-a4t2-NGre2B7ekH_y45TaMu6a7jTDnwdMnlASSvmwjk
※動画内で旗の返還者で米国人のが「クリス・ジョンソン」さんとテロップされておりますが、正しくは「リチャード・ジョンソン」さんです。クリス氏はリチャードさんのご子息です。
陸前高田市高田町の市立博物館(松坂泰盛館長)に、太平洋戦争で戦死した市民の名前が記された日章旗が遺族から寄贈された。東日本大震災で被災し、再建工事を終えて先月開館したばかりの同館。遺族は「恒久平和の尊さを市内外からの来館者に伝えてほしい」と思いを託した。
出征した旧日本兵が戦地に持参し、寄せ書きがされた日章旗を遺族に返還する活動に取り組む団体がある。米オレゴン州の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」。その代表レックス・ジークさんと妻の敬子さんが来日し、2日に記者会見を開いた。夫妻は「できるだけ早く、1枚でも多く返還していきたい」と語った。
団体が創設されたのは2009年。ビルマ(現ミャンマー)で戦没した敬子さんの祖父の日章旗がカナダに住む人から返還されたのがきっかけだった。
夫妻によると、米国に持ち帰られた旧日本兵の遺品は、旧米兵の家族がそのまま保管していたり、オークションに出されたりしているという。
誰も見向もしなかった活動 貯蓄切り崩し……
日章旗には持ち主の名前のほか、寄せ書きをした多くの人の名前も記されている。こうした手がかりから遺族を探し出しているという。レックスさんは「遺骨も遺品も戻らない遺族がいる。そうした遺族に発見された日章旗を届けたかった」と話す。
当初は夫妻自らの貯蓄をもとに活動していたが、19年度以降は国の遺留品調査事業を担う日本遺族会からの委託をうけ、日章旗などの返還に取り組む。敬子さんは「最初は誰も見向きもしなかったが、一枚一枚返していくことでようやく活動が広がった」と言う。
これまで遺族のもとに返還できた日章旗は427枚(22年10月末現在)。ただ、遺族らが不明で未返還のものが約2400枚あるという。
戦後77年が過ぎ、遺族の高齢化も進む。「できる限り早く返したい」と話すレックスさんはこうも訴える。「(戦没者を知る)世代で終わるわけではない。孫やひ孫の代になっても続け、次の世代に伝えていくことが大切だ」
4日には、日章旗を所持していた米国人とともに、広島県の遺族に対面して返還する予定だ。(朝日新聞・石川友恵)
米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還
2022/12/2
米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
先の大戦で元米兵らが戦場から持ち帰った日本兵の遺留品を遺族に返還する取り組みを行っている米NPO法人「OBONソサエティ」(本部・オレゴン州)は2日、東京都内で日本遺族会とともに記者会見し、同法人が所持する240枚の日章旗を公開した。今後、遺族会が所有者を調査し、遺族への返還を目指す。
記事の続きは下記リンク先をご覧ください。
https://www.sankei.com/article/20221202-IR7CSCNEFVLCDLXHH7PAXUH2LM/?
This Yosegaki Hinomaru had been kept in the New Mexico National Guard Museum in Santa Fe for years.
Happy Holidays from OBON SOCIETY. Please click the link below for our latest news.
https://mailchi.mp/1dadd51a45f9/happy-holidays-from-obon-society
ニューメキシコ軍事博物館にて:
日章旗返還依頼をされた米国関係者らとOBONソサエティ・スタッフ
10月11日(火)午前11時から、佐藤守男命「寄せ書き日の丸」返還式が出身地である佐賀県脊振町にて行われました。
ご英霊が長い年月を経て、ようやく日章旗と共にご遺族のお手元へ戻れることとなり、本当に感慨深い思いでおります。
この佐藤守男命「寄せ書き日の丸」は、アメリカで初めて軍隊が返還を決意された非常に特別な旗です。関係者と共に訪日をして旗を手渡せるように希望していたのですが、コロナ禍などの事情によりこの度の訪日は叶いませんでしたが、ニューメキシコ州兵軍と全米バターン・コレヒドール防衛兵の会ら関係者と共に動画メッセージを作成しました。日本の皆様にもお届けしたいメッセージです。是非、ご視聴ください!
https://youtu.be/taSLGqV8v0c
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ