日章旗遺族に 沖縄で戦死 苫前出身の加藤さん
太平洋戦争末期に沖縄で戦死した苫前町出身の加藤馨さんの日章旗が米国から返還され、10日、遺族に手渡された。
加藤さんは1921年生まれ。後方支援を担う旧陸軍第24師団 輜重しちょう 兵第24連隊第五中隊伍長で、1945年6月22日、沖縄本島・ 真栄平まえひら で戦死したという。
日章旗は、沖縄戦に従軍した米海兵隊員が持ち帰り、長らく保管されていた。隊員が2016年に死去した後、日章旗を引き継いだ娘が米国の非営利団体「OBONソサエティ」に所有者と遺族の捜索を依頼。日本遺族会などを通じて加藤さんの弟、等さんを捜し当てた。日章旗には「がんばれ 加藤等」と記されていた。
返還の一報は今年3月、等さんに伝えられたが、7月4日に死去し、この日の返還式への出席はかなわなかった。
親族らが出席した式では、等さんの妻チヤさん(91)と長男の 誉美たかみ さん(71)が福士敦朗町長から日章旗を受け取った。遺族を代表し、誉美さんは「式を目前に父は亡くなってしまったが、どこかで見守ってくれていると思う」とあいさつした。
等さんは戦後、兄の馨さんを捜しに沖縄を訪ねたことがあり、平和祈念公園の平和の 礎いしじ に刻まれた加藤さんの名前を何度もさすっていたという。チヤさんは「(日章旗を)仏壇にお供えしたい」と話した。
https://www.yomiuri.co.jp/local/hokkaido/news/20230810-OYTNT50172/
太平洋戦争の沖縄戦で24歳の若さで亡くなった苫前町出身の男性が持っていた日章旗が、終戦から78年となるのを前に遺族に返還されました。
返還された日章旗は昭和20年6月に沖縄戦に出征し、24歳で亡くなった苫前町出身の加藤馨さんが持っていました。
10日、苫前町内の神社で行われた返還式には、馨さんの弟の妻、加藤チヤさんなど遺族が出席し、福士敦朗町長から日章旗を受け取りました。
チヤさんは涙を浮かべ、日章旗に「おかえりなさい」と語りかけていました。
日章旗は沖縄戦に参戦した元アメリカ兵が持ち帰っていましたが、その娘が戦没者の遺留品を遺族の元に返す活動をしているアメリカのNPO「OBONソサエティ」に遺族を捜し出して返還するよう依頼したということです。
加藤馨さんのおいの加藤誉美さんは「弟にあたる私の父は日章旗の返還を前に7月に亡くなりましたが、きょうは天国から見守ってくれていると思います。日本が二度と戦争がない平和な国であるように願っています」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20230810/7000059913.html?fbclid=IwAR3k6Kv_nZ0PjOWeFhdQ-iqXeq_CCVvh8-hpabZ30OuIqw2cH0Zi_mZu4hk
戦死の祖父 手帳戻る2022/06/08 05:00
姫路の岡崎さん 「沖縄の慰霊碑に報告を
太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した第2野戦築城隊付の陸軍少佐・岡崎梅太郎さん(姫路市出身)の手帳が7日、姫路市に住む孫・公一さん(64)の手元に戻った。戦争終結から77年。この日、姫路護国神社で手帳を受け取った公一さんは、会ったことのない祖父に思いをはせ、「大切に保管し、いつか、沖縄の慰霊碑に『返ってきたで』と報告に行きたい」と語った。(北野浩暉)
戦後77年 米兵が保管
県遺族会姫路支部などによると、梅太郎さんは1904年に生まれ、38年に入隊。45年5月20日、戦火が激しくなった沖縄県の首里で死亡した。
手帳は沖縄戦に参戦した米兵が戦地から持ち帰ったもの。戦後、米オレゴン州で保管していたという。
戦利品として持ち帰られた日章旗や日記などの様々な遺品返還事業を行っている同州のNPO法人「OBONソサエティ」に米兵の息子が提供。今年4月、同支部が調査を行って返還されることになった。
当時、従軍者に配られていた手帳で、表紙には「従軍手 帖ちょう 」の文字。従軍履歴のほか、「軍紀風紀の維持」などの行動規範、計算式といった梅太郎さんがつづったとみられるメモなどが残されている。
公一さんの手元には梅太郎さんの写る当時の写真がある。祖父にあたる梅太郎さんについて、父親らからあまり話を聞いていないものの、公一さんは、これまでに計3回、沖縄の慰霊祭に参加したという。
77年の時を超えて〈帰国〉を果たした手帳を前に「祖父のことや(手帳が)返ってきた経緯についてもっと詳しく知りたい。この次に沖縄へ行く時には手帳を携えて行きたい」と話している。https://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20220608-OYTNT50017/?fbclid=IwAR2dfUQ_haqvwRGOnnHTeMtoImots7XYPwFWt4uKYeJ7gaPPDmyzofTisFg
【動画/video】→→ https://www.youtube.com/watch?v=H7AOD5yxuz0
提供:与謝野郡役場CATVセンター
〜77年の時を経てお父様が帰郷を果たされました〜
令和4年5月15日
京都府宮津市与謝野郡生涯学習センター知遊館にて黄前典夫命「遺霊品返還式」が行われました。
After 77 years passed, Father finally came home in Kyoto to see his son and daughter.
日章旗 80年ぶり古里に 旧養老村出身・黄前さん遺品
第2次世界大戦の沖縄戦で戦死した旧養老村(現・宮津市)出身の日本兵、黄前典夫さんの持っていた寄せ書き入りの日章旗が、保管されていた米国から遺族に返還された。日本兵の遺品返還活動に尽力している米オレゴン州のNPO「OBONソサエティ」と、日本の遺族会の協力で約80年ぶりに古里に戻り、地元の家族の涙を誘った。
米から返還 子どもら「感激」
NPOによると、典夫さんは1915年生まれ。沖縄戦に兵士として赴き、45年4月に爆風で飛んできた金属片を受けて戦死したという。
日章旗はニューメキシコ州の米軍兵、エルマー・ヤングさんが戦地で見つけて保管していた。ヤングさんが亡くなり、家族のロバートさんが2020年4月、NPOに対し、持ち主に返すよう依頼。協力の依頼を受けた与謝郡遺族連合会などが典夫さんの遺族を捜し出した。
与謝野町の知遊館で15日に返還式があり、典夫さんのそれぞれ長男、長女で、織物業黄前国忠さん(83)(与謝野町)と、山本洋子さん(81)(宮津市)に、たばこ入れと仏画入れとともに返された。ロバートさんは「戦場で遺留品を取得し、敬意を込めて大切に保管した。返還が慰めをもたらしますように」とのメッセージを寄せた。
旗には「武運長久」「心身健全」などと書かれ、多数の署名もあった。国忠さんは幼かったため父の典夫さんの顔を覚えていないといい、「この日を迎えられ言葉に尽くせないほど感激している。(旗を)見ただけで涙が出る」とハンカチで目頭を押さえていた。
https://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20220516-OYTNT50082/?fbclid=IwAR1inBR8WUBlEhHzlENsBW8QEs0UqaECo3SRtsKdZj403bDHKoApWYvv_JQ
5月15日に京都府与謝郡与謝野町にて執り行われました、同郡奥波見出身陸軍兵士「黄前典夫命」の遺霊品返還式について京都新聞が記事を掲載してくださいました。
来たる5月15日(日)に京都府与謝郡にて執り行われる日章旗返還式について本日「京都府庁記者クラブ」にプレスリリースを出しました。
追記:水落会長の参列は代理者になりました。
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