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NHK【戦跡】79年ぶりに帰ってきた兄ちゃん(NHKfeatured flag return in KITAMI HOKKAIDO )

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北見市に住む中股かず子さん 北見市に住む中股かず子さん 学生時代の新江繁規さん 学生時代の新江繁規さん 新江さんと許嫁 新江さんと許嫁 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ... 1942年のガダルカナル島 1942年のガダルカナル島 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ... 新江さんの戦死を伝える文書 新江さんの戦死を伝える文書 新江さんの昇進伝える文書 新江さんの昇進伝える文書 元兵士から送られてきた兄の写真... 元兵士から送られてきた兄の写真を見つめる中股さん 日章旗を返還したシェルトンさん... 日章旗を返還したシェルトンさんの写真の前で話す中股さん マーク・シェルトンさん マーク・シェルトンさん シェルトンさんからの手紙 シェルトンさんからの手紙 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ... シェルトンさんと孫のジョセフ君 シェルトンさんと孫のジョセフ君 戦死したジョセフ・シェルトンさ... 戦死したジョセフ・シェルトンさん 手紙を読む中股さん 手紙を読む中股さん 中股さんに別れのあいさつをする... 中股さんに別れのあいさつをするシェルトンさんとジョセフ君 NHK【戦跡】79年ぶりに帰っ...

79年ぶりに帰ってきた兄ちゃん(2022/2/2 北見局記者 徳田亮祐)

「ああ、兄ちゃんが帰ってきた」

ぼろぼろに破れて色あせた日章旗を受け取った時の気持ちを女性はそう語りました。

令和3年(2021年)11月、アメリカから北海道北見市に住む女性のもとに、突然、日章旗が届きました。79年前、太平洋戦争の激戦地ガダルカナル島で23歳の若さで戦死した兄が持っていたものでした。

日章旗を「兄ちゃん」と呼んだ女性は、戦後をどのように過ごしてきたのだろう。
そして、なぜ、旗はアメリカから突然返還されたのだろう。
多くの疑問を解くため、「79年ぶりの兄の帰還」の取材を始めました。

「兄ちゃん」のことが知りたい

日章旗を「兄ちゃん」と呼んだ女性、北見市常呂町に住む中股かず子さん93歳。
自宅を訪ねると、「兄ちゃん」の新江繁規さんのアルバムを見せてくれました。
繁規さんは9人きょうだいの長男だったそうです。



中股さん
「兄ちゃんはラッパを吹いたりスキーをしたりするのが好きでした。成績もみな「甲の上」をとっていて、すごく優秀でした。だから、お父さんも兄ちゃんの通知表だけは大事にとっていました。きょうだいみんなでお風呂に入る時、兄ちゃんに入れてもらったりしてね。本当にいい兄ちゃんだったと思います」


さらに中股さんは、繁規さんと和服姿の女性の写真を見せてくれました。
女性は繁規さんの許嫁でしたが、2人が結婚することはありませんでした。
繁規さんが今の旭川商業高校を卒業したあと、結婚前の21歳で徴兵されたからです。
そして繁規さんは、日本陸軍でも屈指の精鋭と呼ばれた旭川の一木支隊に配属されました。


中股さん
「私が13歳の時、兄ちゃんが入隊することになって網走まで送りました。それが兄ちゃんと会った最後ですね。兄ちゃんが汽車の窓からね、上半身を大きく出して『みんなで自分の分まで親孝行してくれ』と言ってくれました。戦争はだんだんひどくなる時でしたからね。もうこれで会えないんだなと思いました」



昭和17年(1942年)8月、繁規さんの部隊はわずか900人余りで、1万人のアメリカ海兵隊に占領されたハワイとオーストラリアの間にある要衝、ガダルカナル島の飛行場の奪還作戦に投入されました。
軍部の甘い見通しで10倍の兵力に挑んだ結果、隊員の8割以上が戦死し、ほぼ全滅しました。

中股さんが兄、繁規さんの戦死を知ったのは、4か月後の昭和17年12月11日でした。
父のもとに文書が届けられ、兄がガダルカナル島で頭部を撃たれて死亡したことだけがわかりました。



当時の東条英機総理大臣の名義で、繁規さんが戦死した日に陸軍中尉に昇進したと伝える文書も届きましたが、遺骨や現地で身につけていた遺品は一切届きませんでした。

前途洋々の若者の命を奪いながらも「紙」が送られてきただけだったということに、私は怒りを感じましたが、中股さんは「時代」という言葉とともに静かに「しかたがない」と、心情を語ってくれました。

中股さん
「戦死の公報を受け取った父は、兄が亡くなったと言って涙をこぼしていました。あの時はみんな亡くなったら『お国のためだから』という時代だから。『お国にご奉公した』と言っていました」


繁規さんはガダルカナル島でどのような最期を迎えたのか。かつて、ガダルカナル島から生き延びて帰国した別の元兵士から、写真とともに、『繁規さんが戦死したのに、自分は何の役にも立たず、おめおめと生き延びてしまい申し訳ない』と書かれた手紙が届いたことがありました。中股さんは兄の最期を知りたいと思いましたが、送り主の名前も住所も書かれていませんでした。
心の傷が完全に癒えることがなかったという中股さんでしたが、そんな時に突然、アメリカから送られてきたのが、兄の日章旗でした。

中股さん
「ガダルカナル島は激戦地だったので旗が戻るとは夢にも思わなかった。きっと旗を体に巻いていたんだと思う。弾があたったりして、旗が破けちゃったんだと思って。旗を受け取った瞬間、どすっと重たかった。それで『ああ、兄ちゃんが帰ってきた』と思った。この一枚の旗がね、本当に重たかった」

この時になって初めて私は、中股さんにとっては「旗の返還」ではなく、「79年ぶりの兄ちゃんの帰還」なのだと知ることができました。

手を握ってお礼を伝えたい

中股さんの話を聞いていると、居間の目立つところに孫やひ孫の写真と一緒に、ある家族写真が飾ってあるのに気づきました。
写っていたのは、日章旗を返してくれた65歳のアメリカ人、マーク・シェルトンさんとその家族でした。

ルイジアナ州に住むシェルトンさんは8年前、父の遺品を整理していたところ、クローゼットで旗を見つけたといいます。その後、テレビ番組で日章旗のことを知り、自身で経緯を調べた結果、旗は21年前に亡くなったシェルトンさんの親戚が、戦利品としてガダルカナル島から持ち帰ったとみられることがわかりました。
シェルトンさんは、日章旗の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」に相談します。そして、旗は、出征する兵士のために一人一人が心を込めて寄せ書きをしたもので、多くの遺族が見つかることを待ちわびていると知り、NPOに託したといいます。

中股さんは、旗とともに送られてきたシェルトンさんの手紙を大事に保管しています。

シェルトンさんが中股さんに宛てた手紙
「親愛なる中股さま。
 お兄様が生きた確かな証である日章旗が故郷にかえってくることで、あなたやご家族、そして私自身にも、喜び、平和、そしてある意味、心の平穏がもたらされることを願っております。マーク・シェルトンより」

取材中、中股さんは、「年も年だし、アメリカに行くことは難しいが、本当はシェルトンさんの手を直接握ってお礼を伝えたい」と、たびたび話してくれました。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大もあり容易にアメリカには行けない状況です。私は繁規さんの遺影を見ながら、「何かできることはないか」と考えるようになりました。

それと同時に、私はシェルトンさんの手紙に「アメリカ軍人として自国のために誇りをもって戦った私の親族のことをあなたに知って頂ければ幸いです」、「旗のことを一生懸命に調べていると、私の心の中でたくさんの疑問や感情が混ざり合いました」とも書かれていたことが気になりました。
シェルトンさんは、どうしてかつての敵国である日本にわざわざ旗を送り返したのだろうと。

私にできることは・・・
中股さんの話を聞いた私は、NPOを通じてシェルトンさんと連絡を取り合い、2人がオンラインで話す場を設けることを提案しました。
シェルトンさんも「ぜひ中股さんと話がしたい」と応じてくれ、令和3年12月に実現しました。
私は、2人が対話する中で、シェルトンさんが日章旗を送る決断をした背景もわかるのではないかと思いました。


ひらがなで「こんにちは」と書かれたフリップを片手に持ち、笑顔であいさつをしたシェルトンさん。隣にいた孫を、中股さんに紹介しました。

シェルトンさんの孫
「僕の名前はジョセフです」

シェルトンさん
「孫のジョセフの名前は、私の叔父ジョセフ・シェルトンにちなんでいます。
 あなたのお兄さんと同じように戦争から帰ってきませんでした」

シェルトンさんには旗を持っていた親戚とは別に、戦争に参加したジョセフ・シェルトンさんという叔父がいました。昭和20年(1945年)に名古屋の空襲に参加した際に撃墜されて捕虜となり、その後、処刑されたといいます。

シェルトンさんの手紙に書かれていたのは、このことだったのです。

しかし、シェルトンさんはかつての敵国である日本に旗を返すことに、全くためらいはなかったといいます。
国は違えど、家族や親戚を戦争で失った遺族の悲しみは同じだと考えたからです。

シェルトンさん
「戦争に巻き込まれたのは『人間』なのです。私よりも前の世代が日本に対して厳しい感情を持っていることは知っていますが、私の世代や若い世代は、過去に何があったのかを受けとめ、次に進む準備が出来ています」

「思いはみんな一緒」

中股さんはこの日のために用意した手紙をシェルトンさんに読み上げました。

シェルトンさんに宛てた中股さんの手紙
「親愛なるマーク・シェルトン様へ
シェルトンさんのご家族の写真をいただき、毎朝『おはようございます』と声をかけています。私は1人暮らしの93歳という年寄りです。おかげさまで元気です。
日章旗は兄が身につけていたもので、兄が帰ってきてくれたのと同じです。これからは仏前で毎日兄と会えるのです。兄との昔の思い出を思い出しながら暮らしていきたいと思います。長生きしてよかったなとつくづく思います。
捨てられてもしかたないほどにぼろぼろな旗なのに、捨てずに返して下さいましたシェルトン様に心よりお礼申し上げます」

手紙を読んでもらったシェルトンさんは「とてもうれしく光栄です」と応じ、中股さんがアメリカに来たらアメリカンフットボールの観戦に案内したいと笑顔で話していました。中股さんも涙をぬぐいながら「いつか北海道に来て下さい。私が生きている間にお会いしたい」と、別れのあいさつをしました。

マスク越しでも、中股さんがほほえんでいたのがわかりました。

中股さん
「戦争中、アメリカのことはただ、敵国だという気持ちでした。だけど、終戦になって、こうやってじかにシェルトンさんのお話を聞かせてもらい、お互いにたくさんの方が亡くなっているんだから、思いはみんな一緒だと思いますね。だから戦争だけはもう2度とないように、ない世界になってほしいです」

取材を終えて
中股さんは「今の時代とは違い、当時は戦死したら『おめでとう』という人もいた。家族は涙を流しても外では誰にも言えないような時代でした」と話していました。だからこそ、そのような「時代」に後戻りしないよう、戦争だけはやめてほしいという訴えは、胸に響きました。

そして、中股さんは、旗がどれぐらい大事なものなのか、私に教えてくれました。今にもちぎれそうな旗が、「どすっと重たかった」こと、そして中股さんが毎日仏壇の前で優しかった「兄ちゃん」に会っていることを。

一方で中股さんは「兄ちゃん以外にも戦死した人はたくさんいる。1人でも多くの人に遺品が届いてほしい。私ばかりよくしてもらって申し訳ない」とも話していました。
中股さんのように遺品が返ってくるのを待っている方々は今も全国にいます。遺族が高齢化する中、1つでも多くの遺品が早く見つかり、遺族の手元に返されてほしいと思います。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_139.html?fbclid=IwAR2yEr8J8H-I9lbSf3yqRg_IC20a2GCewSUMYZZLtvvARmlHNhC3A-6Qv4Q
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戦没兵士の出身校、同窓会誌に記事を掲載(Article published by the alumni association of the school where the war dead came from)

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【瓊林会】は、長崎高商、長崎経... 【瓊林会】は、長崎高商、長崎経専、長崎大学経済学部の卒業生を会員とする同窓会を基盤とし、公益事業活動を行う組織です。110有余年の歴史と1万6千名余の会員を擁し、全国25箇所の支部を設け、会員相互の親睦をはかるとともに母校発展のために事業を行う。
11月5日に長崎県護国神社にて執り行われました日章旗返還式について、兵士と同じ学校の出身であるOBONソサエティ捜索班の山本の手記が同校同窓会誌【瓊林(けいりん)】に掲載されました。
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December 2021 Newsletter

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December 2021 Newsletter
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Japanese Newspaper '' The Mainichi '' featured flag return in Kitami City-Hokkaido Japan

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Japanese Newspaper '' The M...
79 years on, WWII Japanese soldier's good-luck flag returns from US to his bereaved family

KITAMI, Hokkaido -- After 79 years, a Japanese flag thought to have been taken to battle by a soldier killed in the Pacific War has finally returned to his hometown, the city of Kitami in Hokkaido. Upon receiving it, his sister said through tears: "My brother has finally managed to come home."

On the flag were messages addressed to Shigenori Arae, who died in 1942 aged 23 on Guadalcanal in the Solomon Islands. Arae was the eldest son of nine siblings. His 93-year-old sister Kazuko Nakamata, who lives near the family home, said that because his remains were never returned, the flag meant her brother could finally come home.

Arae was assigned from the Imperial Army reserve officers' academy in Morioka, Iwate Prefecture, to Colonel Kiyonao Ichiki's detachment of the Imperial Japanese Army's 7th division in the Hokkaido city of Asahikawa. He was killed in combat against U.S. forces on Guadalcanal on Aug. 21, 1942, one of some 20,000 Japanese who died in the battle.

Arae was 21 when he left the Tokoro-cho neighborhood, now part of Kitami. His sister, Nakamata, then 13, recalled the day: "I went with him to Abashiri Station and saw him go. He leaned out the window and waved to me." Her big brother apparently asked her to "be good to our parents for me, too." "He was a kind brother," she said.

The flag, which has the words "presented to Shigenori Arae" written in its upper right corner, was found among the belongings of Louis Sowers, a U.S. military pilot who died in 2001. His nephew Mark Shelton was taking care of it when he learned about the movement to return Japanese flags. Shelton entrusted it to the Obon Society, an American non-profit organization. Eventually, they contacted the bereaved family association in Kitami, who took about two years to reach Arae's family including Nakamata.

The flag is quite damaged, as if telling of a fierce battle.
The inscriptions on it include "Buunchokyu (long-lasting good luck in battle)," "Fushakushinmyo (unsparing devotion to Buddhism)" and "Ganbare (do your best)." "They were probably written by his colleagues at work or at the military academy," Nakamata said.

A handover ceremony in Kitami on Nov. 6 was also attended by Arae's other siblings, Noriko Watanabe, 85, and Sanae Kudo, 80, who both live in Hokkaido. It was the first time the sisters had seen their brother's belongings in 79 years. They plan to display the flag along with his portrait in front of the Buddhist altar at the family home.

Nakamata thanked the involved parties including the Obon Society and Shelton, saying, "His remains were never returned. This is the only memento of him. I'm glad I lived long enough to see it." Obon Society staff member Kosuke Kudo, 47, said about 400 of the around 2,000 flags entrusted to it so far have been returned to bereaved families. This is the fourth case in Hokkaido, following others in Sapporo, Chitose, and Uryu. 
https://mainichi.jp/english/articles/20211113/p2a/00m/0na/004000d?fbclid=IwAR3p5yrc_R1mYwPCixB9oPz_SVAe3QSmd_NK4710dj1GQYZZwv-Q8kKJjXA
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オホーツク地区新聞【伝書鳩】/兄ちゃん、お帰り(Japanese Newspaper featured flag return in Hokkaido)

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オホーツク地区新聞【伝書鳩】/...
兄ちゃん、お帰り 2021-11-10 掲載(北見市/社会)

北見市常呂の新江繁規さん遺品

太平洋戦争で旭川の陸軍支隊に所属し、激戦地ガダルカナル島で1942(昭和17)年に戦死した、北見市常呂の新江(あらえ)繁規さんが戦地で持っていた日章旗が6日、同市在住の妹ら遺族のもとに返還された。旧日本兵の遺品返還を進める米国の非営利団体OBON(オボン)ソサエティが日本の遺族会の協力を得て実現。81年を経て故郷に帰ってきた兄の生きた証を握りしめ、妹達は「兄ちゃんに会えた」と涙を流し、受け取った。

約80年経て日章旗が妹らの元へ
激戦地ガダルカナルで戦死
米国OBONソサエティの仲介で返還

当時の常呂村豊浜の新江家に生まれた繁規さんは20歳で徴兵検査に合格し、21歳で旭川の部隊に入営するため、働いていた夕張炭鉱を出征。その際に同僚らが寄せ書きした日章旗と思われる。武運長久、七生報國など気持ちを高ぶらせる言葉が並ぶ。

そのとき13歳だった三女の中股かず子さん(93、北見市常呂)は、いったん故郷・常呂に帰ってからの出征を網走駅まで見送りに行った。五女の渡部規子さん(85、江別市)は6歳で「お風呂に入れてくれたり、いい人でした」、六女の工藤早苗さん(80、札幌市)は「市松人形を買ってくれました」とそれぞれ思い出を語る。

新江さんは旭川で一木支隊に配属。OBONソサエティと日本遺族会常呂支部によると「一木支隊には、この地方からかなり配属になり、熊部隊と呼ばれ強健で、畏れられた」という。42(昭和17)年8月に空港奪還の命令でガダルカナル島に上陸侵攻したが、まちぶせに遭い、先発隊の多数が壊滅した。

元米軍パイロットの米ルイジアナ州に住む親族がテレビで遺品返還の活動を知り2019年に同団体に連絡。札幌在住の同団体日本スタッフ・工藤公督さんが「新江という珍しい名前を頼りに」探し出したそう。道内では4例目の返還となった。親族は米国から遺族宛に「心のくぎりとなりますように」とビデオメッセージを寄せた。

6日、市常呂老人いこいの家に妹ら家族3人が集まり、辻直孝市長を通じて返還された。同遺族会の土本勝昭常呂支部長が「お兄さんが帰って来たね」と声を掛けると、中股さんは涙を旗で隠した。そして「兄の形見であり宝ものです。仏壇に供え、みんなで兄ちゃんをしのびたい」とお礼の言葉を述べた。 https://denshobato.com/BD/N/page.php?id=124771&fbclid=IwAR0VY33UrjaDDMkpQgPdJ5-o-dSw7jb7sWU_iMhwosLJ00CssV_isoSdI6M
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毎日新聞・読売新聞・北海道新聞/北海道北見市常呂町での日章旗返還式を報じる(Japanese Newspapers featured flag return in Hokkaido)

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毎日新聞紙面 毎日新聞紙面 読売新聞紙面 読売新聞紙面 北海道新聞紙面 北海道新聞紙面
毎日新聞・読売新聞・北海道新聞がそれぞれ紙面で北見市常呂町で行われた日章旗返還式について記事を掲載して下さいました。
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毎日新聞/兄が戦地に持参の日章旗、79年を経て北海道の妹へ 「形見に」(Japanese Newspaper featured flag return in Hokkaido)

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毎日新聞/兄が戦地に持参の日章...
太平洋戦争の激戦地・ガダルカナル島で1942年、23歳で戦死した新江(あらえ)繁規さんが戦地に持って行ったとみられる寄せ書き付きの日章旗が、79年を経て故郷の北見市常呂町に届けられた。9人きょうだいの長男だった新江さん。遺骨もなく、実家近くに住む妹の中股かず子さん(93)は「兄がやっと帰って来られた」と涙を流した。

新江さんは、盛岡の旧陸軍予備士官学校から旭川市の旧陸軍第七師団一木支援隊に配属された。日本側に約2万人の犠牲者が出たソロモン諸島のガダルカナル島で、米軍との地上戦のさなかの42年8月21日に戦死した。

新江さんが常呂を離れたのは21歳の時。3番目の妹で、13歳だった中股さんは、その時のことを覚えている。「網走駅まで一緒に行き見送った。窓から身を乗り出し手を振っていた」。兄は「自分の分まで親孝行を」と頼んだという。「優しい兄でした」

日の丸の右上に「贈新江繁規君」と筆書きされた日章旗は、米軍パイロットだったルイス・ソワーズさん(2001年死去)が持っていた。遺品を預かったおいのマーク・シェルトンさんが日章旗返還運動を知り、米国の団体「OBONソサエティ」に託した。最終的に北見市遺族会に連絡が入り、約2年で遺族にたどりついた。

激戦を物語るように、旗は傷みが激しい。「武運長久」「不惜身命」「頑張レ」などの寄せ書きについて、中股さんは「就職先か士官学校の仲間が書いてくれたのでは」と話す。
6日に町内であった返還式には、妹の渡部規子さん(85)=江別市=と工藤早苗さん(80)=札幌市=も出席。兄の遺品と79年ぶりの対面を果たした。実家の仏前に、肖像画と一緒に飾る予定という。中股さんは「遺骨も戻らなかったので、唯一の形見。長生きしてよかった」と返還活動団体や保管してくれていたシェラトンさんらに感謝していた。

「OBONソサエティ」スタッフの工藤公督さん(47)によると、これまで返還を託された約2000枚のうち約400枚が遺族の元に戻った。道内では札幌市、千歳市、雨竜町に次いで4例目という。https://mainichi.jp/articles/20211106/k00/00m/040/245000c?fbclid=IwAR3_RjFH8OyQ_rlHBLZV3np2kIJX5TT0pkNtJ3LOjCW9d5_1Lj7MoRx7x5k
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北海道 NEWS WEB /北見市出身の男性 日章旗が79年ぶり 遺族に返還(Japanese TV News featured flag return in Hokkaido)

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北海道 NEWS WEB /北...
太平洋戦争で戦死した北見市出身の男性が戦地へ持って行った日章旗が
6日、79年ぶりに遺族のもとに返還されました。

北見市常呂町出身の新江繁規さんは、1942年8月、太平洋戦争で出征していたガダルカナル島で戦死しました。当時23歳でした。

その後、新江さんが戦地に持って行った日章旗を元アメリカ兵のパイロットの男性が保管していたことから、遺族への返還が実現することになり、6日、返還式が行われました。
式には、遺族を代表して妹の中股かず子さんや遺品の返還を行っているアメリカの団体の職員などが出席しました。

ビデオメッセージで、団体の代表が保管していた男性のおい、マーク・シェルトンさんの手紙として、「新江さんが生きた証である日章旗の返還で心に区切りがもたらされれば」と読み上げたあと、旗が返されました。

日章旗には、戦地へ行く際、当時の勤務先の人などから贈られたとみられる寄せ書きが書かれています。

受け取った中股さんたちは「やっと返ってきた」などと話しながら涙を拭っていました。
中股さんは「島は激戦地だったので旗が戻るとは夢にも思わず、当時戻らなかった兄の遺骨が帰ってきた気がします」と話していました。

https://www.youtube.com/watch?v=655lVmjokk0



https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20211106/7000039955.html?fbclid=IwAR1V3L8CdxIa_Y4jiMpSNllblcpooqSzJLh13BtIsQGyWwsomGdJhRwsThU
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