フリースペース
それぞれの終わりには、
必ず新しい始まりがある
雨上がりの夕方、17時過ぎ幻日のような虹が東の空にかかりました。
幻日は、太陽の近くに出るはずなので、途切れた虹の橋の一部でしょうか。
ほんの一瞬のこと・・・それも形が少しずつ変化して行きました。
白実の小紫・小紫・さてさて、その横には、長い赤い花が垂れています。
犬蓼(イヌタデ)の巨大版!!
たぶん、大紅蓼(オオベニタデ)ではないでしょうか。
恐るべし花畑。ここの持ち主さんは、お花作りが上手です。
珍しい花を見せてくれます。
昨日、ひと月以上ぶりに、実家へ顔を出しました。
「何しに来たん?」
「来たらいけんの?」とそっけない母子の会話です(笑)
すぐ近くに住んでいながら、なかなか顔を出さない冷たい娘です。
最近、セレモニーホールの見学に行って、互助会に入ったとか・・・。
「10年積みたてたら、この葬儀が出せるのよ」
「まだ10年生きるつもりなのね」
パンフレットを開いて「このセットで、お料理はこれで!!」
「わたしが取り仕切るのだから、わたしの好きなようにするから心配しないでもいいよ」
と、葬式談義。
婆さまよりも一回り年下なので、まだまだ若いのです。
最近、買ったカメオのペンダントを「わたしが死んだら、あなたのもの」と見せてくれました。
わたしの買い物好きは、彼女の血筋だといつも思います。
花言葉は・・・「淑やか」
美しい淑やかな顔のお方を「芙蓉の顔」とお呼びするそうです。
2012年芙蓉の顔・・・ようやく拝めました。
ついに出合いました。白式部。
白実の小紫かもしれませんが。
花を見逃してしまいましたが、本当に実が白いのです。
たわわに実っていました。
日没時間が段々と早まっています。
17:30にはすっかり山の向うへと消えてしまいました。
快晴の日のお疲れさまの夕日は、雲一つありません。
『お江戸の百太郎』
那須正幹・著 長野ビデ子・画
岩崎書店
子どもたちが小学生の頃、童話館ぶっくくらぶで、毎月本を取っていました。
その時に届いた本です。わたしは、未読でした。
読書の秋になって、何か本が読みたくて・・・手に取りました。
あなどるなかれ児童書です。
児童書の中でも素晴らしい作品がたくさんあります。
これは、何も考えずに楽しめる本です。
お江戸のものがたり。
内容(「BOOK」データベースより)
花のお江戸は本所・亀沢町のとある長屋に、大仏の千次という岡っ引きがすんでいました。
この千次親分、捕りものの腕はさっぱりで、これまで、手がららしい手がらをたてたことがありません。
そのぶん、むすこの百太郎がまァよくできた子で、おやじ顔まけ。
寺子屋の師匠秋月先生をはじめ、友だちのお千賀ちゃんや寅吉と協力して、悪人を向こうにまわしての大捕りものを演じます。
今の子どもたちは、時代劇も見ないでしょうから、このお江戸のものがたりも理解し難いのかなぁ!!と感じて読んでいます。
最近の小学生は『かいけつゾロリ』ばかり読んでいるといわれ続けて久しいです。
ロングセラー&ベストセラーです。
『ゾロリ』よりも面白い本がいっぱいあるのに、未だに『ゾロリ』人気は衰えません。
恐るべし『ゾロリ』。
そう呼んでみたくなる「お菊さん」です。
着物の文様にもありそうな・・・。
ご近所さんが「婆さまにあげて」と持ってきてくれました。
花びらはドライフラワーのような雰囲気です。
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