大分の “赤猫根性” をテーマにラベルにした麦焼酎です。 これも大分の赤猫根性か!? 【大分の県民性 「赤猫根性」 の由来について】 歴史と風土に培われて生まれた県民性は、一言では言いあらわせませんが、それを象徴する言葉は各地に残っています。土佐の「いごっそう」、薩摩の「ぼっけもん」そして大分の「赤猫根性」などがそれです。たとえば「いごっそう」とは「強情で頑固、一本気で自分の思うところをつき進む者」といった意味ですが、土佐人の誇り坂本龍馬がその代表とされるように、本来の意味とは少し離れて、好意的に解釈されているようです。 それに対して「赤猫根性」は、「ずるがしこくて計算高く、偏狭」、「ケチでがめつく利己的で協調性がない」などを意味し、 悪い面ばかりを強調した言葉となっています。大分県人には心外ですが、どうしてそんな言葉が生まれたのでしょうか。 発祥に関する記述が『臼杵市史 上』にあります。すなわち、「臼杵人は、質素・倹約・勉励という良い面もあるが、反面頑固・ずる賢く、この狡猾な性癖が、猫の恩知らずで性悪な性向に似ていることから、「臼杵のアカねこ」(アカは強調の接頭語)と称ばれるようになり、後に「臼杵の」が広域化し「大分の」になったそうです。また、別話として、次の例もあります。「平清水(臼杵市西部)の赤ネコ」伝承です。藩政時代、町家と、町から少し離れた平清水・市浜との間に対立が続き、町家からみた羨望や軽侮を包み込んだ対抗感情が「平清水の赤ネコ」の言葉を生み、それが「臼杵の」に、更に「大分の」に汎用されたということです。 臼杵ではこのようにして言葉が生まれたとしており、今日まで語り継がれていますが、ほかにも発祥に関する話があるかもしれません。 =大分県立図書館 豊の国情報ライブラリーより= ★おいさんが尊敬する、辻野功教授(別府大学教授)の大分学では、これを真っ向から反論しています。 【大分の県民性は 「赤猫根性」 ではない】 県民性に関する本を読んでみて頂きたい。殆どすべての本が、大分の県民性を赤猫根性で説明している。例えば「大分の県民性を表すのに、『赤猫根性』という言葉がある。偏狭的で協調性のない県民性を表した言葉だ。この県民性は、かつて八つの小藩に分かれていたことから生れたものといわれている」(『「県民性」なるほど雑学事典』)。有名な文化人類学者の祖父江孝男氏まで、大同小異の記述をしている。 しかしこのような説明は根本的に誤っている。赤猫根性は臼杵の八町に住む既成の商人たちが平清水(ひらそうず)(と市浜)の新興商人を「平清水の赤猫根性」と軽蔑して呼んだ言葉である。その謂れは2説ある。1説は従来八町の問屋を通して仕入れていた新興商人が力をつけ八町の問屋を通さず直買いをし、忘恩の徒として「3年の恩を3日で忘れる」猫と軽蔑されたというのである。赤は強調の接頭語である。新興商人たちは猫の如く油断も隙もないから用心しろということから生れたというのが、他説である。 「平清水の赤猫根性」が「臼杵の赤猫根性」に転じていったのは、商業先進地の臼杵の商人に対する他地域の警戒の言葉としてであろう。なにしろ臼杵藩の稲葉家は斎藤道三・織田信長によって楽市楽座が始められた美濃から移封されて臼杵に来たのだ。 しかし「大分の赤猫根性」という言葉には、何の根拠もない。小藩分立と絡めて纏まりの悪さ、協調性のなさを言う人は多いが、語源的には何の根拠もない。第一、纏まりが悪いのは大分県の専売特許ではない。私の調査研究では、大分県以上に纏まりの悪い県は沢山ある。その筆頭が長野県であることは、識者の等しく認めるところである。 ところで赤猫根性は平清水の新興商人の側から見ると進取の気性となる。いま臼杵では赤猫根性を積極的に捉え直し、赤猫まつりを開いている。これぞ見上げた赤猫根性である。