湊川神社の正門の右手に、『楠木正成公墓所』 と 『徳川光圀公銅像(黄門さま)』 があります。 気付き難いのですが立派な墓所と銅像です。 大楠公(楠木正成)と水戸光圀公との関係は。 光圀は大楠公を景仰し墓所を建立し、その御盛徳を天下に顕彰された事による。 ★それがこれです 「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」 【楠木 正成】 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。 建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。 尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、 湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。(大楠公を祀っているのが湊川神社) 鎌倉幕府からは悪党と呼ばれたが、明治以降は 「大楠公(だいなんこう)」 と称され、 明治13年(1880年)には正一位を追贈された。