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「誰とでも仲良く」ではなく「誰とどうかかわるか」

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「誰とでも仲良く」ではなく「誰...
私たちは社会の中で生きる以上、他者との関係は避けて通れない。
 
そう考えると、全てのつながりを維持しようとか、拡大しようとかすると、自分のエネルギーや心の健やかが少しずつ損なわれていく機会がしょっちゅうやってくる。
 
 
特に、無理に合わせたり、気を遣いすぎたりといった「頑張る交流」は、知らず知らずのうちに自分を削ってしまう。
 
自分にとって健やかで自然な人間関係を見極める感度は、意識して磨いていきたい。
 
 
ボクがそうであったが、
 
無理な交流を続けていると
 
「誘いを断れない」
 
「場の空気を壊したくない」
 
といった理由で、自分の本音を後回しにしてしまいがちになる。
 
その結果
 
休日でさえ心が休まらない、何かに疲れているのに理由がわからなという状態に陥ってしまう。
 
 
そうならないように
 
まずは無理な交流を一つ手放すことで、自分にとっての「本当に必要な余白」を少しずつ戻したい。
 
その空白こそが、自分の感情や欲求と向き合う余裕を生んでくれ、また次に向かうエネルギーが湧き出すキッカケを作ってくれる。
 
 
そもそも
 
人付き合いに疲れるのは
 
「合わない相手」そのものよりも
 
「合っていないのに合わせようとする自分の行動パターン」
 
であることが多いのではないか。
 
要は無理するっていうのは、この辺のことかと。
 
そうした癖に気づき、少しずつ距離や関わり方を調整することで、「本当に無理をしなくていい関係」の自分なりの見極め方が磨かれていく。
 
 
また、不自然な付き合いを見直すことで、自分らしくいられる関係や安心できる場所のありがたさにも、より敏感になれる気がしてる。
 
 
無理な交流を手放す行為は
 
「嫌われるかもしれない」
 
「気まずくなるのではないか」
 
という不安と常に隣り合わせ。
 
 
ただ
 
その「恐れ」に対して、丁寧に越えるプロセスを進むのは、自分に対しても相手に対しても、実は誠実であろうとする姿勢だと思う。
 
しっかりとそこと向き合えた時
 
「自分の気持ちを信じ、尊重してよい」
 
という自己信頼が固まっていくようにも思っている。  
 
 
自分の基準で人間関係を築いていくことは、他者と心地よく距離をとれるということでもあり、より気持ちに自由度が増す。
トレーニング次第で誰もが手にいれるものだと思うから、少しずつ始めてみることをオススメしたい。
 
 
 
私たちは、すべての人に好かれる必要はないし、すべての人を好きになるなんてこともできない。
 
だからこそ、無理な交流を手放すことは「相手を切り捨てること」ではなく、「自分を大切にする選択」として「線引き」することで、自分を大切にする行為になっていくのだと思う。  
 
 
それは結果的に、その選択が関係性における誠実さや透明さを育み、より豊かな人間関係を築いていく土台になる。
 
たぶんこれからはますます「つながりの総量」よりも、「つながりの質」を大切にする時代になると感じている。
 
そこに意識を向けて、心をより自由に、そして穏やかでいたい。
 
そのためにも
 
「誰とでも仲良く」ではなく、「誰とどう関わるか」を心に掛けていきたい。

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