足利事件
6月
13日
■ 冤罪
罪がないのに、疑われたり罰を受けたりすること。無実の罪。ぬれぎぬ。
■この事件での最近の報道
冤罪で17年間も身柄を拘束されていた菅家さんに対して、謝罪するかしないかの有無が
主題になっている。
そうじゃ無いだろうと言いたい。
■国家権力は正義か?
冤罪は、警察・検察・それの判断を誤った裁判所、国家権力の誤りである。
ある報道番組に出た弁護士が言っていた。
いったん最高裁で確定した事件で、検察は個人に対して謝罪するのは「司法の革命」であ
る。と述べていた。
又裁判所が再審の審理に於いて、菅家さんに対して謝罪の意志表示をするか否かに注目し
ている。と語っていた。
■ 私達人間の性格は個人差があって千差万別である。
この足利事件の場合は自白の強要があったとされている。
実際にその現状に立たされてみないと分からないのが事実であるが、自白の強要に徹底的
に対抗出来る人はそう多くはいないと推察する。
■同情
足利事件を含め、冤罪事件に同情している人が多いが、その同情心は他人ごとである。
まさか我が身に冤罪事件が降りかかってくるとは思っている人は少ない。
■国家権力は怖い。
今回はDNA鑑定の結果で冤罪が明るみになったが、全く事件に関係の無い我々が、犯人に仕立て上げられる事実を再確認した事件でもある。
証拠のでっち上げでの事実も多い。選挙違反で鹿児島県の事件でもそうである。
科学鑑定は正義、したがって自白の強要。
■裁判員制度が始まった。
制度そのものは否定をしないが、裁判員がこの足利事件を初審理する場合を考えて見る。
DNA鑑定の一致、自白、選ばれた裁判員の全員が有罪の判決をするであろう、
選挙で無い。多数決は問題である。全員一致であるべきである。
■正義
アメリカ映画「12人怒れる男」と言う、陪審員の映画があった。映画は無実の黒人少年
か捉えられ、12人の内1人が無罪を主張、ドラマの展開の中で、全員が無罪判決下す映画であった。
この事件を契機に、私達はどうすべきか? 具体的に何をすべきか?
国家権力の怖さに、じっと身を潜めているしか無いのだろうか?
火の粉が降りかからないように・・・
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投稿日 2009-06-13 15:42
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2009-06-14 02:09
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投稿日 2009-06-13 15:55
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投稿日 2009-06-14 02:15
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