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ボンビーでもしあわせのカタチはあります

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やや、難しいですね。まあ「道」と名の付くものは、限りなく奥が深いですね。■調べたものを転載しました。何度も読みたいと思います。

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弓道を極めようとする人の姿が美しいのは、そこに「道」の本質が現れているからです。
 
『老子』に「大成若欠(大成は欠くるがごとし)」とあります。真に完成されたものは、むしろ未完成のように見える。弓を引く人もまた、常に「これでよし」という境地に至ることはなく、つねに自己の未熟を悟り、一本ごとに心を正そうとします。その謙虚な営みこそが、美を生み出す根源です。
 
また『荘子』は「心斎坐忘」を説き、心を斎(いつ)き、己を忘れて大道に従えと語ります。弓を引く者も同じく、我欲や執着を捨て、ただ呼吸と姿勢と心を一にしたとき、矢は自然の理に従って放たれます。そこには「人為」を超えた「無為自然」の美が宿ります。
 
禅の語に「無心是道(むしんこれどう)」があります。矢を放つ瞬間、雑念を抱けばその射は乱れます。無心にして真を射るとき、矢は的を超えて、自己の内奥にある虚妄を貫くのです。弓道とはまさに「己を忘れて道に従う」修行であり、その姿は静謐にして峻厳です。
 
ゆえに、弓道を極めようとする人は美しいのです。その美は、外見の所作を超え、「有限の自己が無限の道へと溶け入ろうとする姿」、すなわち東洋思想が説く「道(タオ)」や「空(くう)」の真理を体現するものだからです。

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