「共通項という灯りを探して」歩いてきた。
6月
26日

学生として社会に出て、やがて職業人となり、いまは地域人として
日々を重ねている。人生のステージが変わるたびに、自分の輪郭も少
しずつ変化してきた。

それでも一貫してきたのは、「人と関わる」ということだった。
職場でも、地域でも、思いをぶつけあい、すり合わせ、時に傷つき、
また笑いあって、気づけば今日という日にたどり着いていた。

もちろん、ぶつかりもあった。とくに父とは、何度も葛藤を繰り返した。
「人生こうであるべきだ」という理想を押しつけてくる姿に、
正直、うんざりしたこともある。けれど、それもまた人生。
押しつけではなく、対話のなかで生まれる「真実」が、きっとどこかにあるはず。
そんな確信のような気持ちが、年を重ねるごとに静かに芽を育ててきた。
自分のことだけでなく、相手のことも、まわりの人の幸せも含めた「基本方程式」が、たしかにある——。
その核心に少しでも近づきたくて、日々を生きている気がする。
押しつけではなく、対話のなかで生まれる「真実」が、きっとどこかにあるはず。
そんな確信のような気持ちが、年を重ねるごとに静かに芽を育ててきた。
自分のことだけでなく、相手のことも、まわりの人の幸せも含めた「基本方程式」が、たしかにある——。
その核心に少しでも近づきたくて、日々を生きている気がする。
その“共通項”こそが、社会生活にも、地域生活にも、欠かせないものではないか。
まだまだ模索の途中。
でも、「どう生きるか」を考えるよりも、「どう生かされているか」に感謝できるようになってきた気がする。
でも、「どう生きるか」を考えるよりも、「どう生かされているか」に感謝できるようになってきた気がする。
人との出会いが、自分の中の共通項を磨き、深めてくれる。
だから、これからも刺激をもらいながら、付き合っていけたら嬉しい。そんな気持ち。
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