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徒然なるままに日暮

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スロバキア ブラチスラバの夜

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ブラチスラバのオペラ座 ブラチスラバのオペラ座 ロランド噴水もライトアップされ... ロランド噴水もライトアップされていた 中央広場 それほど大きな広場で... 中央広場
それほど大きな広場ではない
ブラチスラバの裏道 ブラチスラバの裏道 ブルーチャーチ 夜の闇に美しく... ブルーチャーチ
夜の闇に美しく染まる
スロバキアの首都『ブラチスラバ』へは、ハンガリーから一度オーストリアを経由して入った。言うまでもなくEU圏なので入国審査も税関もない。

オーストリア国境を越えて、すぐにドナウを渡ると「ひっくり返したテーブル」と呼ばれる『ブラチスラバ城』が見えてくる。

『ブラチスラバ』の宿は『ラディソン・ブリュ・カールトン』。もともと狭い都市で「小さな大都市」と呼ばれる『ブラチスラバ』の中心街、ど真ん中の宿だ。正面はモール状の公園となっていて美しい。ちなみに、この広場、正しくは『フビエズドスラボボ広場』(Hviezdoslavovo námestie)日本人には覚えられんし、言えない。国立オペラ座がそばに建つ。

日が落ちた街に出るとオペラ座の前で大勢が集まりPVの画面に興じている。この夜はスロバキアの国技であるアイスホッケーの世界選手権決勝。しかもカードはスロバキア対チェコ。全国民がスポーツバーのTV中継、街中のPV、自宅TVに釘付けになっている。その分、街中は観光客しかいなくて空いているし、治安も良いか?

まずは、中央広場から『ミハエル門』を目指す。

中央広場には『ロランド噴水』と呼ばれる共同水汲み場があり、この製作を命じたマクシミリアンの像が戴かれるが、その造形は、実は中世都市の守護騎士ロランドである、との風説で『ロランド噴水』と呼ばれている。

この広場には日本大使館もある。そもそも、この都市は非常に小さい都市だが国家の首都なので各国の大使館が置かれ、至る所に各国の国旗がはためいている。

『ブラチスラバ』の一つの楽しみに、街中に点在するオブジェがあるが、それよりも、そこに絡む世界中の観光客の方が面白い。やはり、街には人が居るから面白いのだ。

さて、『ミハエル門』は、この街が城塞都市だったころの名残で、現存する唯一の門。時計台を持つ塔楼が美しいが、これはマリアテレジアの時代に増築されたもの。門の真下には世界都市への里程標が埋められており東京は9200kmと記載されていた。

門をくぐると、今は空堀となった上に掛かる短い橋を渡る。振り返って『ミハエル門』をみれば、跳ね橋の支柱を止めた穴が見受けられる。

その先は、もう普通のビルが並ぶ大通りでトラムが走り銀行が林立する。左手に上れば『大統領府』から『ブラチスラバ城』だが、この時間に行っても仕方がない。右手に降りるとTESCOなどのある交差点。『ブラチスラバ』』の夜のお目当てとして考えていた『Blue Church』は、この奥に在る筈。

大通りを外れると全く人通りのない暗い道を『Blue Church』へ向かう。女房は、ビビッて「どこよー、暗いじゃないー、日本じゃないんだからぁ」と文句を言いだす。だったら腕でも組めばいいのに。

薄暗い道を何本か折れると闇に青くライトアップされた『Blue Church』が現れた。この時間では内部の見学はできないが、想像通り外観だけでも十分に美しい。他に1人ブロンドの女性バックパッカーが写真を撮っていた。軽く挨拶する。

ホテルへの帰りはドナウ沿いを戻ろうかと思ったが、女房がうるさいのでショートカットして直線的に戻る。それでもオペラ座の脇までは人通りのない道だった。(アイスホッケーの影響か?)
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閑話休題 電力需給

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風力発電の風車が連なる 風力発電の風車が連なる 菜の花畑と原発 菜の花畑と原発 渓谷にかかるとダム 渓谷にかかるとダム ダム湖の上を行く ダム湖の上を行く 当然、発電所があれば変電所も有... 当然、発電所があれば変電所も有り。
ハンガリーからスロバキアへ入るのに、途中オーストリアを少し経由した。その辺りは壮大なる風力発電所である。

千機を超えるとも思わされる風車が連なっていた。これほど大規模な風力発電所は初めて見た。17年くらい前にサンフランシスコからヨセミテに向かう途中で見た風車以来だ。それにしても、その規模はこの10分の1くらいだった。

再生可能エネルギーかと思っていたら、次には原発のサイロが現れた。4基ほどが稼働している。

そうかと思うと次は渓谷にかかる水力発電ダムだ。

今日の経済はエネルギー政策で回っていることが実感できる。
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エステルハージの夢

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フェルデードのエステルハージ宮... フェルデードのエステルハージ宮殿
おっさんの顔のように見えるのは建築家の皮肉か。
庭園のファウンテーション 庭園のファウンテーション 派手なロココ調のホール 派手なロココ調のホール どこから見ても、自分の方に走っ... どこから見ても、自分の方に走ってくるように見える馬車 寝台のサイズから、当時の貴族は... 寝台のサイズから、当時の貴族は非常に単身だったことがわかる。 ハイドンの間 後からつけられた... ハイドンの間
後からつけられた名称か
風通しの良い「控えの間」 客は... 風通しの良い「控えの間」
客はここまで馬車で乗り入れたらしい
ハンガリー最後の街は『フェルテード』。この田舎町に何があるかと言うと「ハンガリーのベルサイユ宮殿」と言われる『エステルハージ家の宮殿』がある。

勿論、この手の話は小江戸、小京都、戸越銀座という奴で本家のベルサイユ宮殿には及びもつかないのだが、ハンガリーと言う国の共産圏の時代が長かった地味なイメージからすれば、その対極にあるロココ調のベルサイユ宮殿のミニ版があるという事には興味がひかれる。

エステルハージ家はハンガリー1の大地主だったそうだが、歴史の舞台ではハプスブルク家と親交が深かったハンガリーの豪族として紹介される。フェルテードの他に2つ、計3つの宮殿が現存する。

宮殿そのものとしては、然程大きくも無く、我が家よりちょっと広いか、といった佇まい。(大嘘)それを意識してか、ホールなど広さを欲しい部屋には、鏡が効果的に配されて見た目よりも空間的な広がりを持たせている。

そして、内装はロココでロカイユ。当然、感想は「まったく、金持ちって奴は。」である。

調度品は、当時の貴族豪族が「所有する事によって自らのステータスとした」品物の数々。具体的にはオリエンタルな陶磁器や箪笥、テーブル等々。中には、山水図のような構図の金地のレリーフの部屋なんてのまであった。

実はエステルハージ家を有名にしている最大の要因は、「交響楽の父」と呼ばれたハイドンのスポンサーであった事。この宮殿では「ハイドンの間」という部屋があったが、ハイドンは実際には、この宮殿に居があったわけでは無く、近くの家に住んでいた。結局、この家の一族にとってはハイドンも又、所有する事で己のステータスを上げるアイテムの一つであったに過ぎないと思わされる。

どうも己の精神性を磨く事を高潔と定める東洋哲学と己の影響範囲の拡大が高貴とする西洋思想の差分を感じずにはいられない。

まぁ、持たざる者の僻みでもある。
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パンノニアの聖なる丘

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パンノニアの丘に佇むパンノンハ... パンノニアの丘に佇むパンノンハルマ大修道院 世界遺産センターから見学入口ま... 世界遺産センターから見学入口までは植物園の中を進む パンノンハルマのシンボル 鐘楼 パンノンハルマのシンボル 鐘楼 鐘楼広場から周辺の村並を望む 鐘楼広場から周辺の村並を望む 礼拝堂のリブボールトが美しい 礼拝堂のリブボールトが美しい 世界の知を集める図書館 世界の知を集める図書館 VIATORから鐘楼を眺める VIATORから鐘楼を眺める
ちょっと早いリゾート気分を味わった『バラトンフュレド』を出て、『パンノンハルマ修道院』を目指す。世界遺産として有名な修道院なので名前くらいは聞いたことがあるが、実態に関しては、さっぱりわからん、というのが修道院という物。『パンノンハルマの修道院』は、その周辺の景観を含めた世界遺産だ。

途中、ハンガリーでは珍しい古城を峠道から望む。ハンガリーではオスマントルコ軍に対し、地方の城が攻防拠点となった事から、ハプスブルク家による統治となった時代に反体制勢力の拠点を潰す目的で多くの古城が爆破された歴史を持つ。故に、古城が周辺諸国に比べ少ないのだ。

峠には、バイクで飛んだと思われる墓碑が設けられていた。思わず合掌する。

ハンガリーは大平原の国とも言われるだけあって、聖イシュトバーンにより名づけられた『パンノニアの聖なる丘』の上に建つ『パンノンハルマ修道院』は、かなり遠くから見ることが出来た。周辺の村は小さな家が目立つが、いわゆる長屋のように連なっているわけでは無く、一軒家集落と言う感じだ。パンノンハルマの世界遺産センターの駐車場に着くころにはポツリと雨が降り出していた。

世界遺産センターでは、ここでも、まずは「パンノンハルマ修道院のお勉強」として、シアターでVTRを観る。そして、ここもまた日本語字幕で上映してくれた。

勿論、VTRの内容は何国人だろうが共通なのだが、どうもキリスト教文化圏の欧米人にとっても「修道院」というのは、「今でも殉教精神に基づき厳しい戒律の下で修業している修道士が居るのか?」という疑問を持つ物らしく、VTRでは「今でも多くの修道士が在籍」、でも「修道士も普通の生活をしている」「電子レンジも使う」「ipadも使う」という「思ってるほど別世界でもないんですよー」的なものだった。この修道院には付属の高校が2校あるが、その高校生も全寮制だが「卒業者がみんな修道士になる訳ではありません」なんてところに、やたら力を入れて説明していたのが印象的だった。

まぁ、受けた印象は日本の禅宗の本山参詣と似た感じだ。

世界遺産センターからは修道院の植物園=ハーブや薬草を育てている、を巡って建物の入口へ行く。入口から鐘楼のある広場までは極めて近代的なエレベーターで上がれる。

鐘楼の広場からは、周辺の村と近隣が一望に見渡せる。建物は、右手に高校の校舎、左手が図書館?と言う造り。修道院内部の見学はキリスト教の宗教観を表したレリーフの鉄扉から入る。一番上は神で一番下は蛇・蜥蜴・蛙って奴だ。

見学路の最初は修道院の礼拝堂からだが、思ったほどの大きさは無い。むしろ、小じんまりとした印象を受けた。思えば、修道士の為の礼拝堂であり、集う村民が居たとしても、絶対人口が多くない事を考えれば、こんなサイズなのだろう。ベネディクト派最大の修道院という訪問前のイメージとは若干のギャップを感じる。

むしろ、この礼拝堂で驚いたのは主祭壇の下に納められた霊廟。なんと、ハプスブルク家最後のボヘミア王であるオットー・フォン・ハプスブルクの遺骨が眠っているという。オットーは2011年まで生きたので高校時代ハプスブルクの歴史を学校で学んだ際に「でぇー、この時代の末裔が今でも現役で評議会議員とかやってんだぁ」と驚き、且つハプスブルクを身近に感じた人でもある。その遺骨が眠る霊廟を前にして、少しく感慨に耽った。

その後、装飾が施された礼拝堂の正面扉(右下の台座に世界最古の落書きと呼ばれるXX参上なんて文字が書かれている)や回廊を彩る十字の紋章などを見学した。ふと、廊下の隅にドネーションの賽銭箱(寄付金箱が正しい)が置いてあったので、オットーへの思いとして10Hft投げ込んでおいた。(日本円換算5円)

一度、鐘楼広場に戻って左手の建物に進むと立派な図書室へと出た。大きな地球儀をホール中心に据えた日本人が最も「んー、これこれ」と思う西洋の古書庫のイメージそのままの図書室だ。入口右手にはペスト患者(実はキリスト)に差しだされた聖人のマント、奥には聖イシュトバーンの塑像もたつ。

後は、お定まりのスーベニアショップ(宗教団体は商売がうまい)だが、ここでパンノンハルマシグネチャ(PAXマーク)の半そで白ポロシャツを買う。2990Hft=1500円位。なにしろ、この旅では冬の関東をベースとした服しか持ってきていなかった為、結構暑くてしかたが無かった為である。買って気が付いたが、バックプリントはパンノンハルマのもう一つのシンボル『♡♡♡♡』だった。か、かわいい♡。

昼食は他に探すのも厳しいという感じで修道院直営のレストラン『VIATOR』で取る。流石に一面ガラス張りの窓からは鐘楼が美しく眺められ、ロケーションは抜群。また、日本の有り勝ちな付帯施設としての「食堂」ではなく、ちゃんとレストランになっているのは流石。

カリフラワーのスープは美味だったが、海老のリゾットはコメの芯が有りすぎて「アルデンテ」というよりも「バリカタ」だった。コシヒカリの国の者としては、ちょっとねぇ。
でも、お目当ての「3つの丘のワイン」は戴けたので良しとしよう。(キリスト教はワインで布教推進してきた宗教だかんね)
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