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徒然なるままに日暮

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憧憬のチェスキークルムロフ

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ホテル「ベルビュー」。チェスキ... ホテル「ベルビュー」。
チェスキークルムロフの旧市街では大きいホテルの方だ。
チェスキークルムロフ城第一の中... チェスキークルムロフ城
第一の中庭
掘割から塔を望む息を飲むほどに... 掘割から塔を望む
息を飲むほどに美しい
第二の中庭噴水越しに塔を望む... 第二の中庭
噴水越しに塔を望む
小さな中庭を抜けると... 小さな中庭を抜けると 峡谷にかかる橋 峡谷にかかる橋 そこから見るチェスキークルムロ... そこから見るチェスキークルムロフの夜景 夜半 犬を散歩する人影も美しく... 夜半 犬を散歩する人影も美しく輝く
『チェスキークルムロフ』は、チェコ ボヘミア地方の小さな街。「クルム」=曲がった、と言う意味だが、チェコを代表する『モルダヴ川』(現地語ではヴルタヴァ川)が、大きく回り込む両岸に栄えた街だ。埼玉県人風に言えば『チェコの巾着田』である。(もちろん、田んぼも彼岸花も無い)

ここもまた、街全体が世界遺産に指定されており、昨今では「クロアチアのドヴロヴニク」と並んで「世界一美しい」という形容詞が冠される街である。正直、今回の旅でも最大級の楽しみの一つ、もっと有り体に言えば『我が憧れの地』だ。

非常に小さい区域に街並みと城が密集しているので、ざーっと見るなら2時間でも一回りできる。よって、「プラハ」からの日帰りツアーや移動途中の立ち寄りツアーで昼間は大勢の観光客で溢れている。だが、しかし『わが憧れの地』。朝晩の風景を撮りたいので、この地には2泊するのだ。

ここも街中は一般の観光車両や大型バス通行止めなので、川沿いにあるビール工場『エッゲンバーグ醸造所』の駐車場でバスを降りる。醸造所直営のレストランの隣が今回の宿『ベルビュー』だ。『チェスキークルムロフ』には、いわゆる大型ホテルが無く(教会上に建つ「ルージュ」が最大級か?)どこも小さいペンションの様なホテルなのだが、この四つ星のホテルもご多分に漏れない。廊下の小窓から見る風景は、どれも額に入った絵のようになっていたが、『ベルビュー』という名前の割には、3階の部屋の窓から見る景色は良くはなかった。

ホテルの手前にATMが有ったので早速キャッシングでチェココルナを出しておいた。今回の旅は、全てカードキャッシングである。どの国もユーロ圏なのだが、自国通貨も有しており統一はしていない。もちろん、小規模な店舗や屋台でもユーロは使えるのだが、現地通貨に比してユーロの方が1~2割高い。よって現地通貨を使うわけだが、日本円⇒ユーロ⇒現地通貨みたいな感じでレートがやたら高いし、手数料も馬鹿にならないのでカードキャッシングにしている、という訳。空港やホテル、街中の銀行、大型SC内のATMなら故障や誤動作も無く普通にキャッシングできる。使ったATMは全部英語表記は有った。

さて、夕食をホテルで手早く済ませ、とっぷりと暮れた街に出る。この旅、ほとんど晴天に恵まれてきたが、ここに来て空からは、ポツポツと雨が落ちてくる。それもまた風情と前向きに割り切る。

ホテル前の石畳の坂を50mも行けば頂点が『チェスキークルムロフ城』の正門。赤い格子の大きな門なので「赤門」(命名)と呼ぶことにする。(正式名称は「チェルヴェナー・ブラーナ」=赤い門と言うらしい。同じやないかい。)

「赤門」を入ると坂になった広場に出る。ここが「第一の中庭」と言われるところだ。
この時間、観光客はほとんど居ない。正面にはライトアップされた城の円塔を望むことが出来る。城門の掘割の手前から塔を見上げれば、息をのむほど美しい。

結構な深さのある掘割には聖人像が立っている。頭の星の数が多いので「ヤンさん」では無い様だ。以前は、跳ね橋だったと思われる石橋を渡ると「城内」。暖色の照明が雰囲気を盛り上げる。

すぐに噴水が有る「第二の中庭」に至る。左手の隅からは塔に上がる階段が有るが、この時間では入れない。

まだ先に進むと今度は城館に囲まれた小さめの広場、、そこを進むと、また同じような広場。ん~、温泉宿の増築改築新館オープンという感じのお城だ。(笑)

更に進むと見晴らしの良い廊下状の橋に出た。渓谷を跨ぐように城を繋いでいるのだが、ここら辺が『チェスキークルムロフ』のビュースポットの一つ。闇に沈む中世の街を堪能できる。橋の両側には聖人像が立っており、なんか、本当に「トゥームレーダー」か「アンチャーテッド」の世界に来たみたいだ。像の後ろから「ララ・クロフト」が飛び出してくる気がした。

雨脚も強くなってきたので、断腸の思いで宿へと戻る。
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ルネサンスの玉手箱 テルチ

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テルチまでは、どこまでも続く菜... テルチまでは、どこまでも続く菜の花畑 元々は掘割だったが、現在は景観... 元々は掘割だったが、現在は景観用の池 テルチの街並み テルチの街並み 現存する最も古い建物いまではお... 現存する最も古い建物
いまではおもちゃ屋になっている
テルチの裏道 中々趣がある... テルチの裏道 中々趣がある 塔に登る死喰い人ではなく女房... 塔に登る
死喰い人ではなく女房
塔上からのテルチの眺め... 塔上からのテルチの眺め コリドールに囲まれた教会の中庭... コリドールに囲まれた教会の中庭
数々のムービーロケーションに採用されている
『ブラチスラバ』を出てこの旅4国目のチェコに向かう。目的地は世界遺産の街『テルチ』だ。でも、今日の宿は、これも世界遺産の街『チェスキークルムロフ』に取っているので先を急がねばなるまい。

しかし、田舎の街、いや田舎の村『テルチ』へ向かう道は当然のように田舎道。途中のチェコ第二の都市「ブルノ」まではいいのだが、そこから先は本当に田舎道なのだ。

流石にヨーロッパだけあって「すれ違うのに厳しい」という日本の酷道とような事はなく、それなりの道なのだが、周りは本当に田舎の風景。広大な菜の花畑が続いて一生分の菜の花を見ることができた。

さて、世界遺産の街『テルチ』は、当然のように一般車両が立ち入り禁止となっており、街の外に作られた駐車場からエントリーすることになる。近年、ウィーンやプラハからの1Day 観光に訪れる観光客で賑わっている。

しばらく道を歩き、小規模なペンションが並ぶエリアを抜けると、昔は街を守る掘割だったところに掛かる橋から『テルチ』の中心街に入ることになる。

エントランスからの角を曲がるとドンと開けた広場に出る。街並みがそれぞれの装飾に彩られ美しい。この街は16世紀に大火があり、街並みから3m程度の張り出しが各戸に許された事から民間による住居、店舗の装飾がルネッサンス様式、バロック様式で作られた珍しい街。他の遺産と異なり民間人の世界遺産なのだ。

頃合いなので昼食を取る。季節のアスパラと鶏肉をピルスナーで戴く。そうだ、もうチェコに居るのだ。

観光本などでは『テルチ』は、広場の家々の装飾が紹介されているが、裏に入った路地の街並みも非常に美しく楽しめる。現在、『テルチ』の中心地は非常に地価が高く、中々空家も出ない、という理由も何となく判る。

ぐるっと街並みを回っても30分程度の街。仕上げに『テルチ城』を見学する。まずは狭い通路を上り塔の上から市街を見学する。途中の鐘は「鳴らすな」と書いてあったが拳骨で音色を聴く。罰かぶるかもしれない。

塔からの眺めは流石に美しく遠く辿ってきた菜の花畑を見渡せた。

ヨッコラショと塔を降りて中庭のコリドールへ進むと、過去に映画撮影に使われたパネルがいくつも掲示されている。モノクロのドラキュラや最近のハリウッド映画まで色々と使われてきたようだ。

本当は天気も最高に良いので『テルチ』の街並みの夕景を撮りたかったが、今日は『チェスキースルムロフ』に宿を取っているので、それもままならない。

駐車場へは来た道と異なり『ドルニー門』を出てすぐに左に折れて『テルチ城』の庭園を通って帰る。観光客は、ほとんどおらず地元民が平日の午後を楽しんでいた。
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ブラチスラバ城に響く哀愁のハーモニカ

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大統領府から坂を上ると石垣が見... 大統領府から坂を上ると石垣が見えてくる ブラチスラバ城の外門入場無料で... ブラチスラバ城の外門
入場無料で開放されている
すぐ脇に建つスロバキア国会議事... すぐ脇に建つスロバキア国会議事堂
んー、どう見ても景観的に合わねーだろ
ブラチスラバ城全景 ブラチスラバ城全景 展望台からドナウを望む... 展望台からドナウを望む 展望台の下はお土産屋さん左側の... 展望台の下はお土産屋さん
左側の奥が「とうもろこし人形」
中庭の井戸一体、何人を飲み込ん... 中庭の井戸
一体、何人を飲み込んだのか?
何も無い中庭に老人のハーモニカ... 何も無い中庭に老人のハーモニカが響く
心象風景としてディライトに加工してみた
『大統領府』の手前を左手に入り坂を上ると、丘の上にある『ブラチスラバ城』に着く。「ひっくり返したテーブル」と呼ばれるスクエアなお城だ。入場のチェックゲートなどは無くフリーで入ることができる。駐車場には「ドナウ川クルーズ」の観光バスが何台も止まっていた。お城を観光した後に船でランチクルーズってパターンなのだろう。

城の右手には「灰色の四角いビル」がある。これがスロバキアの『国会議事堂』である。まぁ、素っ気無い。ブダペストのハンガリー国会議事堂のイメージが記憶に新しい身からすれば、このコンクリートの四角い建物は、城の丘という場にそぐわないこと夥しい。社会主義時代に作られた建物と思い込んでいたが実際には築10年もたっていないらしい。

入り口の門を入ると、すぐ左手に小さい庭園、そのまま進めば城の城門だ。現在では衛兵などが居るわけでもなく門も開かれている。

その先が城のテラスになっている。一段高く櫓になっている所が展望デッキになっていて大勢の観光客でにぎわっている。その下が城のお土産屋になっている造りだ。

早速、登ってみれば眼下に広がるドナウが美しい。UFOレストランを有する『MOST SNP橋』が景観のアクセントになっている。

スロバキアの首都ブラチスラバは、ヨーロッパの首都に珍しく市域がオーストリア、チェコとの国境に接している。当然、ここからも両国の領土が見渡せる。3つの国を一度に見る、という感覚は日本人には当然なく、このあたりが国際化や社交性という点での民族意識の差を感じさせもする。

「ひっくり返したテーブル」の中に入ってみれば、ぽかーんと何もない。よーく見れば、隅に井戸が一つっきり。四隅を白い城の壁面が覆っているだけに、余計に「何にもない」感が強まっている。ちなみに井戸の深さは85mと伝えられている。聖マルティン教会の塔の高さと同じだ。スロバキア人は85mが好きなのかもしれない?

この城、現在は純白の城壁に深橙の瓦の色が映えて美しい城だが、これは近年の大規模改修で建築当時の状況を再現したもので、その前は黄土色の壁面の城だったようだ。現在では歴史博物館として館内見学ができる。

さて、何も無い中庭は流石に何もすることもなく、そうそうと引き揚げようとすると、ドイツだかタリアの団体で来ていた爺さんがポケットからハーモニカを出して哀感のある旋律を吹き始めた。城館の壁に反射して美しい調べが響く。ん~、無茶苦茶かっこいいじゃねーか。思わず、私もハーモニカを習おうかと思う。(やりはしないが)

ざっと、城のお土産屋を眺めると「トウモロコシの「皮で作った人形が名物」と教えてくれた。記念にはなるが、そういう趣味でも無いので買わずに店を出る。

外門まで帰ってきたら、門のすぐそばに場内の案内図が有った。入るときには気もせいていて気が付かなかったが、その図によると城の右手奥に、さらに庭園やテラスのようなものがあったらしい。初めての施設では、こういう物を見逃すと肝心なものを見逃すこともある。気を付けよう。

教訓:観光施設の案内板を見落とすな
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ブラスチラバ 朝の街歩き

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聖マルティン教会 聖マルティン教会 黄金の王冠誰も盗めないのか、と... 黄金の王冠
誰も盗めないのか、と誰もが思う
ブラチスラバの中央広場... ブラチスラバの中央広場 楽団ご出勤 楽団ご出勤 モーツアルトの「ここ何プレート... モーツアルトの「ここ何プレート」 ミハエル通りからミハエル門を望... ミハエル通りからミハエル門を望む こういう街かどのカットがどれも... こういう街かどのカットが
どれも絵になるのがヨーロッパの魅力
TOKYO 9140km思えば... TOKYO 9140km
思えば遠くに来たもんだ
『ラディソン・ブリュ・カールトン』をチェックアウトし街の散策に出る。まずは、ホテルの目の前からも鐘楼の頭を覗かせている『聖マルティン教会』へと向かう。

ブラチスラバにある各国大使館で唯一、鉄網のフェンスで囲われている米国大使館などぶらぶらと見ていると、すぐに『聖マルティン協会』に着く。

まぁ、何のことはない村にもよくある感じの教会なのだが、この教会実は何気にすごい教会なのだ。

まず、その初期ロマネスクの建築様式からも判るように14世紀の建物である。まぁ、見た目がそっけないわけだ。14世紀といえばブダペストの国会議事堂よりも300年も古い。こういう建物が、普通に残っているのが、中欧の凄いところだ。現在の内装は19世紀にネオゴシックに改装されているとの事。

その歴史的価値は、この教会が歴代ハンガリー国王の戴冠式の会場であったことである。11人のハンガリー国王と8人の王女が戴冠式が行われた。その中には、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝として戴冠したマリアテレジアも含まれている。なぜ、ブラチスラバの、この規模の教会が戴冠式の会場として使われてきたのかと言えば、昔ハンガリーが東方からのオスマントルコの侵攻を受け、敗退を続けて、この教会まで逃げ延びてきた際に、新たなハンガリー国王の戴冠式を行った故事に由来する。新しいハンガリーの国王は、この教会で生まれなければならなかったのだ。

3つ目は先の故事の象徴ともいうべき純金の冠が、その尖塔の塔頂に輝いていることである。何金製かはわからないが、一説には350kgあるという、ホンマかいな?

さて、続いて中央広場(フラヴニー広場とも呼ばれる)まで戻り、『ミハエル門』へ進む。朝のミハエル通りは人通りが少なく歩きやすいが、夜の雑多な雰囲気の方が楽しい。この通り沿いには、ここで何があった、という「ここ何プレート」(命名)が張られた建物が散在している。中にはモーツァルトが6才の時に演奏会した、なんてプレートもあった。

門をくぐり、今日は左手の大統領府から『ブラチスラバ城』へ向かう。
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