パンノニアの聖なる丘
5月
9日
途中、ハンガリーでは珍しい古城を峠道から望む。ハンガリーではオスマントルコ軍に対し、地方の城が攻防拠点となった事から、ハプスブルク家による統治となった時代に反体制勢力の拠点を潰す目的で多くの古城が爆破された歴史を持つ。故に、古城が周辺諸国に比べ少ないのだ。
峠には、バイクで飛んだと思われる墓碑が設けられていた。思わず合掌する。
ハンガリーは大平原の国とも言われるだけあって、聖イシュトバーンにより名づけられた『パンノニアの聖なる丘』の上に建つ『パンノンハルマ修道院』は、かなり遠くから見ることが出来た。周辺の村は小さな家が目立つが、いわゆる長屋のように連なっているわけでは無く、一軒家集落と言う感じだ。パンノンハルマの世界遺産センターの駐車場に着くころにはポツリと雨が降り出していた。
世界遺産センターでは、ここでも、まずは「パンノンハルマ修道院のお勉強」として、シアターでVTRを観る。そして、ここもまた日本語字幕で上映してくれた。
勿論、VTRの内容は何国人だろうが共通なのだが、どうもキリスト教文化圏の欧米人にとっても「修道院」というのは、「今でも殉教精神に基づき厳しい戒律の下で修業している修道士が居るのか?」という疑問を持つ物らしく、VTRでは「今でも多くの修道士が在籍」、でも「修道士も普通の生活をしている」「電子レンジも使う」「ipadも使う」という「思ってるほど別世界でもないんですよー」的なものだった。この修道院には付属の高校が2校あるが、その高校生も全寮制だが「卒業者がみんな修道士になる訳ではありません」なんてところに、やたら力を入れて説明していたのが印象的だった。
まぁ、受けた印象は日本の禅宗の本山参詣と似た感じだ。
世界遺産センターからは修道院の植物園=ハーブや薬草を育てている、を巡って建物の入口へ行く。入口から鐘楼のある広場までは極めて近代的なエレベーターで上がれる。
鐘楼の広場からは、周辺の村と近隣が一望に見渡せる。建物は、右手に高校の校舎、左手が図書館?と言う造り。修道院内部の見学はキリスト教の宗教観を表したレリーフの鉄扉から入る。一番上は神で一番下は蛇・蜥蜴・蛙って奴だ。
見学路の最初は修道院の礼拝堂からだが、思ったほどの大きさは無い。むしろ、小じんまりとした印象を受けた。思えば、修道士の為の礼拝堂であり、集う村民が居たとしても、絶対人口が多くない事を考えれば、こんなサイズなのだろう。ベネディクト派最大の修道院という訪問前のイメージとは若干のギャップを感じる。
むしろ、この礼拝堂で驚いたのは主祭壇の下に納められた霊廟。なんと、ハプスブルク家最後のボヘミア王であるオットー・フォン・ハプスブルクの遺骨が眠っているという。オットーは2011年まで生きたので高校時代ハプスブルクの歴史を学校で学んだ際に「でぇー、この時代の末裔が今でも現役で評議会議員とかやってんだぁ」と驚き、且つハプスブルクを身近に感じた人でもある。その遺骨が眠る霊廟を前にして、少しく感慨に耽った。
その後、装飾が施された礼拝堂の正面扉(右下の台座に世界最古の落書きと呼ばれるXX参上なんて文字が書かれている)や回廊を彩る十字の紋章などを見学した。ふと、廊下の隅にドネーションの賽銭箱(寄付金箱が正しい)が置いてあったので、オットーへの思いとして10Hft投げ込んでおいた。(日本円換算5円)
一度、鐘楼広場に戻って左手の建物に進むと立派な図書室へと出た。大きな地球儀をホール中心に据えた日本人が最も「んー、これこれ」と思う西洋の古書庫のイメージそのままの図書室だ。入口右手にはペスト患者(実はキリスト)に差しだされた聖人のマント、奥には聖イシュトバーンの塑像もたつ。
後は、お定まりのスーベニアショップ(宗教団体は商売がうまい)だが、ここでパンノンハルマシグネチャ(PAXマーク)の半そで白ポロシャツを買う。2990Hft=1500円位。なにしろ、この旅では冬の関東をベースとした服しか持ってきていなかった為、結構暑くてしかたが無かった為である。買って気が付いたが、バックプリントはパンノンハルマのもう一つのシンボル『♡♡♡♡』だった。か、かわいい♡。
昼食は他に探すのも厳しいという感じで修道院直営のレストラン『VIATOR』で取る。流石に一面ガラス張りの窓からは鐘楼が美しく眺められ、ロケーションは抜群。また、日本の有り勝ちな付帯施設としての「食堂」ではなく、ちゃんとレストランになっているのは流石。
カリフラワーのスープは美味だったが、海老のリゾットはコメの芯が有りすぎて「アルデンテ」というよりも「バリカタ」だった。コシヒカリの国の者としては、ちょっとねぇ。
でも、お目当ての「3つの丘のワイン」は戴けたので良しとしよう。(キリスト教はワインで布教推進してきた宗教だかんね)