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昨日は、地方納付金の話にお話がずれたのですが、その辺のお話はまた改めてお話をさせていただくことになるかと思います。 再び第一次5か年計画のお話に話題を戻したいと思います。 第一次5か年計画は、老朽資産の取替という目的だけは100%達成し、動力近代化(蒸気機関車を1975年までに全廃し、電気もしく...
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元々国鉄は非課税組織であった。 国鉄は、元々は国の機関である運輸省から派生したもので、その公共性から、国鉄法第六条では左記のように非課税が明記されていました。 第六条 日本国有鉄道には、所得税及び法人税を課さない。 2 都道府県、市町村その他これらに準ずるものは、日本国有鉄道に対しては、地方税を課す...
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今日からは、戦後の老朽資産取替と電化・複線化等による輸送力増強のお話を中心に進めて行きたいと思います。 昭和30年代とはどんな時代だったのか? さて、ここで技術的な話から少し外れて、昭和30年代のお話をしてみたいと思います。 昭和25年の朝鮮戦争を契機として、日本は本格的に復興の道を歩み始め、昭和...
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〇交流電化のメリット 交流電化のメリットは、地上設備(変電所)の削減、直流では数キロ置きに設置される変電所が数十キロと長くなるほか、高い電圧を流せるので電流量が減少するため饋電線を細くすることが可能となり、その結果電柱などの構造物も軽くなると言うメリットがあると言われました。 〇デメリット 実際には...
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北陸本線は、昭和32年10月1日、田村駅~近江塩津駅~敦賀駅間が交流電化されましたが、米原~田村間は、その区間を非電化として蒸気機関車(E10)で連絡したことは前述しましたが、昭和昭和38(1963)年12月28日、米原駅~田村駅間が直流電化され、田村駅の米原寄りにデッドセクションが設置されることと...
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このとき導入されたのが、交流整流子式電動機を採用した直接式機関車ED44(ED90)形と水銀整流器を用いたED45(ED91)形であり、当時はその性能が未知数であったこともあり、両方式が比較検討されることになりました。 当時の資料などを参照しますと、技術陣は当初は直接式を本命としていたようです、ただ...
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終戦、そしてGHQにより日本占領が終了した昭和27年、国鉄は輸送力増強そして動力の近代化に前向きに取組こととなりました。 海外に目を向けてみると、昭和26(1951)年フランスが商用周波数による交流電化(それまでは16 2/3と言う特殊な周波数を使っており、変換装置などが大掛かりなものとなり、決して...
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ローカル線と呼ばれる地方線は、元々鉄道敷設法に基づき建設されることとされていましたが、鉄道で輸送するには過剰な輸送力になるような地域もありました。 戦後、膨大な赤字を抱える国鉄とすれば、儲からないローカル線は、積極的に敷設したくないと言うのが本音でした。 国鉄はマッカーサー書簡により、公社と呼ば...
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ローカル線問題とは直接関係ありませんが、昭和25年からは、貨物輸送についてもサービス改善が図られ、小口貨物輸送専用のワキ列車が、汐留~梅田間および吹田~門司間に設定されました。 汐留~門司間が65時間から43時間に大幅に改善されたと言うお話を以前にさせていただきました。 改善の動機はドッジ・ラ...
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国鉄では、ローカル線の割増運賃を導入することを検討し、実施することとなりました。 昭和35年3月22日に開通した指宿枕崎線(山川~西頴娃間) には割増運賃として基本賃率の1.75倍を課した運賃となっていました。 この方式は4線区に導入されましたが、翌年に新線建設補助特別措置法が成立するとこの制度...