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投稿日 2015-07-17 00:50
カイの家
by
hiro
糀ホールの前の通りは、大山街道と呼ばれて、江戸時代中期に庶民のブームになった「大山詣」の道として盛んに利用されました。通りには、古い建物が、いくつか、まだ、存在しています。そして、糀ホールの斜め前に、「大山街道ふるさと館」があり、その中で、大山街道にまつわる歴史資料が展示されています。「大山街道ふ...
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投稿日 2015-07-15 02:19
PSPINC代表 内倉憲一の公式ブログ
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内倉憲一
子供を乗せる自転車・・・ドイツにもありました。
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投稿日 2015-07-15 02:15
PSPINC代表 内倉憲一の公式ブログ
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内倉憲一
ベルリンには西側とソビエト連邦側を分ける壁が1961年から1989年までありました。そして唯一アメリカ側とソビエト側を行き来できた場所がこのチェックポイントチャーリーなんだそうです。今はまったくの観光地になています。...
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投稿日 2015-07-14 05:49
PSPINC代表 内倉憲一の公式ブログ
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内倉憲一
今回のヨーロッパ旅行で最も記憶に残った場所です。コメントはあまり書かずに写真を大量に掲載します。一枚の写真をクリックして拡大してスクロールして見てください。アウシュビッツは1,2,3の3箇所からできているそうです。私がいいたのは1のアウシュビッツと2のアウシュビッツ2(ビルケナウ)です。...
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投稿日 2015-07-11 07:36
PSPINC代表 内倉憲一の公式ブログ
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内倉憲一
ミラノの後にクラカウ(ポーランド)に行ました。2泊したのですが、最後の日はアウシュビッツを訪問しました。クラカウから80km離れた場所にあります。映画やドキュメンタリーなどでは聞いたり見たりしたのですが、実際に行ってみると何か違うものを感じました。広島や長崎もそうですが、忘れてはいけない、もうやって...
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投稿日 2015-07-10 21:16
つれづれなるままに
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高橋京太
守部さんにお会いしました。守部さんは日本人とキリスト教が遭遇した歴史を研究し続けておられます。私は彼の著作の全てを読み、いつかお会いして直に聞きたいことを伺ってみたいと考えていました。守部さんの著作。『聖書を読んだサムライたち』いのちのことば社、2010年『勝海舟 最後の告白』いのちのことば社、20...
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投稿日 2015-07-10 07:03
PSPINC代表 内倉憲一の公式ブログ
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内倉憲一
ドイツには原子力発電はないと聞いていた・・・でも今は使っていないくても使っていたことはあったのだろう。今ドイツは多くの電力をフランスから買っている。フランスは言うまでもなく原子力発電が多い。なんとなく矛盾しているような。それにしてもドイツは省エネが進んでいるのだろう、エアコンがほとんど使われていない...
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投稿日 2015-07-05 08:24
つれづれなるままに
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高橋京太
独立記念日はBBQと花火で祝うのが定番。我が家も例年はその定番に沿って祝っていました。が、今年は家内が不在のこともあって略式。BBQの代わりにうどん! 我が家に尋ねに来て下さった友人と一緒に祝いました。ベルビュー・パークにはわざわざ日本から花火職人を呼び寄せて大がかりな打ち上げ花火が上がります。長女...
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投稿日 2015-07-04 16:31
PSPINC代表 内倉憲一の公式ブログ
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内倉憲一
これは今回の旅行のメインイベントのひとつ。アウシュビッツに行ってきました。ホテルから約1時間20分、80kmクラカウの価値から離れた、当時は何もなかった草原にそれはありました。観光と言えるものではありません。でも色々と考えさせられます。皆さんも機会があれば行かれると良いかもしれません。こので110万...
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投稿日 2015-06-15 00:42
解体心象
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ペガサス
失脚した野中兼山は間も無く亡くなります。遺された一族家来22人も罪を着せられ、遠く宿毛の地で投獄されます。野中兼山の三女が「婉」でした。当時4歳だったと言います。そして3人の野中家男子が亡くなって、婉をはじめ残った女たちに赦免状が届きます。婉は44歳だったそうです。獄中、密かに師事した谷秦山(たに じんざん)に宛てた手紙が残っていて、それを元に高知出身の「大原富枝」氏が「婉という女」という小説を書き、映画化もされました。婉は学問に優れ美人だったと伝わっています。婉は高知城下に帰り、医を生業として 僅かに丸薬を売って生活していたと言います。患者さんとは直接対面せず糸で結んで脈を取ったと言います。...