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母と父 3章

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  10月の5日に父の退院。結局、私は父の退院にも向えに行かなかった。
でも、もちろんその後も一日に一回は家に電話を入れる日々。悪いとは思っていても、もう年末に帰るチケットは買ってある。ひと時の平和を過ごしていました。11月23日の金曜日、何時ものように、「おはよう」の電話をかける。 また母さんの声が変!! 昨夜39度8分の熱をだしたらしい。「ちょっと待って、もうすぐ帰るから」と言い残し、午後からのお客さんを午前に来てもらい、駅に向う道中で薬局に寄り風邪薬を買い、1時の新幹線に乗って変える。
連休で東京駅はごったがえしている。倉敷駅には幼なじみが待っていてくれた。母はうつろな顔で、「帰って来てくれたの」と言う。さっそく風邪薬を飲ませ一晩、氷で冷やす。あくる日はすっかり熱も下がり、少しだけ食べてくれた。母は何時も私が帰ってくると髪の毛をカットして欲しいと言う。私のカットが好きらしい。今も寝ていても、「帰るまでにカットしてくれる?」と言う。私は、「うん!」 もっと食べないと体力がつかないから」と勧める。母の体重は38キロ、ほんとに細くて小さくて可愛い。 あくる朝、母を見に行くと、真っ赤な顔をして目がまわっている様子。熱を測ると39度1分、「もう救急車呼ぶから」「そうして」の一言でした。よほど辛かったのでしょう。父を残して、病院に向う。診断の結果、肺炎でした。そのまま入院です。私はどうしても撮影の仕事とお客さんのアポが入っていたので3日間でとんぼ帰りをしました。それから東京に着いてからの3日間、格闘でした。帰宅した私は父がどうしているかチェックの電話をいれるのですが、父がいない。父は母が寂しがっていると思い車で病院に行くのですが、何時まで経っても帰って来ない父を心配して、叔父と叔母が病院に迎えにいく。父は途方にくれたように立っている。 置いた駐車場が分からない。2時間と捜してようやく父の車を見つける。叔父が運転する父の車を遊動して家に連れ戻す。この間の私と叔父、叔母の電話の回数は何回だろう。叔父が父を納得させて、車のキーを没収する。    次の日、また父が・・・ スペアキーで病院へ・・・ また2時間車を捜す。叔父は車屋に連絡をして取りに来てもらい、叔父の車で家路に。 母は今も微熱を出したまま父に、「来ないで」の電話を何回もしつづけてる。
このままでは、母が死んでしまう。あと2日、あと1日と数えながら、明日、倉敷にやっと帰れるのです。
私がこの日記を書いた理由は、父のアルツハイマーと診断を受けて、私の一時の気持ちが、父への攻撃になったり、善悪のつかないような考えになったからです。私を生んでくれたのは父と母、何があっても二人を見捨てたりしない、私の出来る限り二人を見守ってあげたい気持ちを今、自分に約束したからなのです。
父と母を愛しています。

今度帰って来た時は何時もの私・・・
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