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two o one two

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わからない

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2月19日





午後5時過ぎ、ボンボンからテクスト。今週末の4-9シフトを探しているということだった。そのシフトはついこの前辞めた子の分。でもその前に明日、明後日のover night shiftがあるってこと、ボンボンは気付いていないのか・・・???

OKでもそうでなくても返事をくれ、と書かれていて、とりあえずNoと送っておいた。その後、同僚のJFにテクストし、訊いてみたところ、「もし誰もやる人がいなかったら日曜の夜なら仕事しても良い」という旨を送ったと言う。えーーー。人が良過ぎるよ、JFはーーー。でもわからないな。今日、ふたりで話していたときには「わたしはしない」って言ってたのに。

それにしても明日と明後日の夜勤はどうなるのだろう。JFとその話になったときには、NLに夜勤に出て貰ってわたしが木曜の週休を返上、JFも金曜の週休を返上して・・なんてことを考えていた。まぁわざわざこちらから提示することはないけれど。もしそれをするとわたしは12連勤になる。JFも同じくらいか。Just suck it up and do it!とか言っちゃって、ふたり揃ってマゾかもしれない、と思った。けど、今日のJFのボンボンへの返事を聞いて、わたしなんかよりもJFはもっともっとマゾだ、、、というよりも、やり過ぎーーー。身体(だけじゃない、精神も)壊れちゃうよー。



今日はとーっても寒かった。夫が出勤したので犬たちの散歩をわたしがしたのだけれど、着込んだ部分はぬくくても、露出している顔が寒いというより凍ってしまう程の痛さ。強風でたぶんwind chillは-3F(-19℃)とかだったと思う。






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強風

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2月19日





昨日は13時10分前に上がらせて貰って(タイムカードでは15分前だったけど)急いで家へ。夫がまだ普段着だったのを急かして着替えさせ、13時10分過ぎには出かけることが出来た。少し前まで雪が降っていたので路面状態が気になったが、少し走ると雪も雨も止み、大丈夫だった。おかげで13時35分には教会へ到着。この教会は6年程前だったか、AuntEが亡くなったときに訪れた教会と同じ。夫の祖母も結婚前まではここに属していたと言う(彼女は義祖父との結婚を機にカトリックに改宗した)。

中へ入ったところで義両親と会う。ともに家族控え室へ。しばらくして牧師の挨拶とお祈りがあり、列になって聖堂へ。

不謹慎ではあるが、かなりの寝不足も手伝って、式中、眠気をこらえるのに必死だった。牧師の声の抑揚や調子がさらに子守唄のように響き、、、(変な言い方だけどやけに仰々しいというか、オペラ劇のような喋りかたの牧師さんだった。AuntEのときもこの牧師さんだったらしいが、それは覚えていない)


酷い強風で、とにかく寒かった。黒のダウンコートを着ていったのは幸いだったし、去年このコートを買ったことを心から良かったと思った。白とゴールドとあって、ちょっと迷った末に黒に決めたから。

Luncheonではサンドイッチ、pea salad, potato salad, watergate salad, sauarkrout, coleslaw, coconut orange saladの他、色んな種類のケーキがふるまわれた。各々の教会によってスタイルが違うのか、この教会ではファミリースタイルダイニングで、大皿に盛られた料理をそれぞれ自分でとって、次の人へまわす、という方法。これはAuntEのときもそうだった。先の義父の教会ではbuffet style、ちなみに我が教会も(義祖父母のときに経験した)buffet styleである。久しぶりに再会したAuntPhはわたしはGermanだからと、ドイツ系統の料理を喜んで食べていた。そうそう、彼女が着ていることを知らなかったわたし、教会の入り口で後方から "hey, kido!"と声をかけられて振り向くと彼女で、抱き合って挨拶したのだが、なんだかおかしくてたまらなかった。そら彼女から見たらわたしなんかkidoだけどね。


帰って来てからは疲れてしまって、そのままシャワーをし、後はのんびりとくつろがせて貰った。夕飯はつくらず。帰宅したのが4時半だったしね。

夫は風邪をひいたらしいと言いながらソファでウトウトしていた。彼は今朝から1週間ぶりに仕事へ戻る。今朝の気温、12F(-11℃)、強風。







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wtaf

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2月18日




今日は姉1の誕生日だ。さっきおめでとうのメールを送った。10日後になるけれど、帰ったら一緒にお祝いしよう♩


昨日、朝起きたら、ボンボンからテクストが入っていた。驚きのテクスト。送信されたのはその前の夜の10時21分。内容は、
「なんとか早めに仕事に来てJBと替わってくれないだろうか。夜勤シフトのMHが来なかった。至急返事をくれ」
そして、その7分後に
「JFが来ることになった」
という2通。
WTAF!!

その時間はもうぐっすりと眠っていてまったく気付かなかったよ。あ、というか、テクストらしき音は聞いたのだ、でもきっと娘から何かしらの連絡が入っただけだろうくらいに思って起きなかった、そのまま眠っていた。
あぁ、、、JFに申し訳ないーーーと思いつつ、仕事へ。


職場に着くと、NLが来ていた。彼女は今vacation中なんだけど、あれーもしかして彼女が日勤するのかしらーーー。
でも、結局、JFもすぐに仕事へは来られず、急遽(休み中の)NLが出来てたのだと言う。JF曰く、ボンボンから連絡があって、「何時に出勤すればいいのか」と訊くと、「あーーーんーーー、JBと連絡取り合ってふたりで決めてくれ」と言われたそうな。この時点でもう駄目でしょう。なんでふたりに任せるのよ。
で、JBに連絡すると、
「わたしはすぐに帰らなくちゃいけない、って言ったのに!!」と激怒していたそうな。
何それーーーーーー!!でもJFだって彼女の用事があるわけで・・その頃彼女は某クラブの片付けなどをしていたそうで、すぐには行けない、と。それより何より、なに?睡眠なしでそのままぶっ通し仕事しろ、ってことだったの???ちゅう感じでしょ。

そういうワケで、NLが出ることになったのだけれど、それはとてもありがたいことでNLには申し訳ないなーと思ったが、とにかくこのボンボンの采配に呆れてしまった。なんていい加減。なんて思いやりのない!!


じゃぁ今夜はどうなるのよ・・・JFとふたりで、もしも今夜(昨夜のことになるけど)も誰か仕事しなくちゃいけないのであれば、わたしが2時から、JFが前半2時までで一旦帰って睡眠をとって、、、としようか、なんて話をしたのだけれど、いやいや、これはボンボンが決めることだし、ボンボンから頼まれてからにしよう、ということになり・・

まぁ結果的には誰からも連絡がなかったので、MHが来てくれたか(あり得ないか)或いはいつものDWが緊急で仕事に出てくれたかのどちらかだろう。これから仕事に行くので、確認する。


昨夜はAuntMのお通夜に行った。Lutheran Churchなので、また色々と自分の教会とは違った感じを体験してきた。AuntMはとても綺麗で、まるで眠っているかのようだった。ほとんど苦しまずに逝ったらしいことを聞いて、安心した。
今日は仕事を13時まで、その後、急いでお葬式に出る予定。









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visitation

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2月17日





昨日、Ms.MEMのvisitationに行った。午後5時〜7時ということだったので、5時少し過ぎに出かけて行った。泣かないようにと思っていたが、彼女の写真を見ていると涙が出てきてたまらなかった。彼女の人生のいくつものシーンを切り取ったものたち。
苦い後悔もある。忙しいときに呼ばれると、ちょっと待っててね、と言いながら、あぁどうしていつも呼ぶのだろう、と思ったりした。呼ばなくてもいいのに、とかも、、、邪見に答えてしまったこともあったかもしれない、いや、あったと思う。それも苦い思い出だ。
彼女と対面したときに、そのことを詫びた。ごめんね、、、。

彼女はいつもわたしのことを好いてくれた。ありがたいことだと思う。わたしも出来る限りのことはしたつもりだ。でも、100%じゃなかった。もっと出来た筈だ、、、そのことが悔やまれる。ホスピスが始まったとき、「だからと言って6ヶ月しか生きられないってわけじゃないのよね」と言っていた。「そうよ、そのとおりよ」と答えた。あれから6ヶ月経ったのだろうか、それとも・・・もっと長かったような気もするし、短かったような気もする。

ホスピスチームのディレクターが来ていた。彼女はちょうど帰るところだったのだが、挨拶すると"She looks nice."と言っていた。ナイス、という表現に少し疑問を持ったが、対面したとき、わたしにとっての彼女は別人のように見えた。闘病最期のほうでは浮腫が著しかった。そのせいだろうと思う。

家族との再会では抱き合って言葉を交わした。こういうとき、なんと声をかけたら良いのかわからない。それでも精一杯の言葉をかけた。お互いに、感謝の気持ちを言い合った。娘と同級の、彼女の孫娘を見てたとき、彼女がMs.MEMにとてもよく似ていることに今さらながら気付かされた。


今日は、義母の叔母さんのvisitationに出かける。夫は休みを延長した。彼はまだ仕事へ戻る気になれないらしい。それはそれでいい。わたしだって母を亡くしたら同じ気持ちになるだろう。

visitationは午後6時から。少し早めに出かけて、その街のmexican restaurantで食事をとることになった。義両親と義妹も一緒に行く。
明日はfuneralで、午後2時半から。同僚のJFにお願いして勤務を5時シフトにして貰う予定でいる。それが出来たら、仕事の後に急いで出かけると間に合うので。







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あと10日

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2月16日





あと10日で日本へ帰るというのにまったく実感がわかない。
昨夜、夫から来週半ばに20㌅の雪予報が出ていると聞かされたのを思い出して、weather channelのアプリで見てみたら木/金と雪予報になっていた。しかし積雪量のほうは出ていないのでよくわからない。ついでにもっと先のほうを見てみると25日月曜日も雪予報になっていた。出発は火曜日。大丈夫だろか、、、
ずっと雪なしの暖かい冬で楽させて貰っていたが、ここに来て心配になってきた。無事に出国できますように。



さて、今日から6時シフト。2連完了。水曜日まで5連勤。
今日は帰って来たらチーズケーキを焼く。ブルーベリー入り。








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AuntM

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2月15日





仕事中、義妹から着信。voice mailに何も残してなかったのでたいしたことじゃないのかもと思いつつ、仕事を終えてからテクストすると折り返し電話が来て、AuntMが今朝亡くなったそうよ、と言う。

AuntMは義母の叔母だ。義母の実母は40年以上も前に亡くなっていて、5年程前か、別の叔母が、そして今度は3姉妹のうちの最後のひとりAuntMが亡くなった。これで義母の実母方の直系の親類はいなくなってしまった。叔母が年老いてきたこと、そしてAssisted Living Centerに移り住んでからはそんなに頻繁に行き来していたわけではなかったようだが、去年のThanksgivingでは義叔父家族が州外から来て久しぶりに皆が集まったこともあり、AuntMのところへ挨拶に行ったようだった。あの時はとても元気そうだったと言っていたが、最近、肺炎に罹り、眠るように亡くなったのだそうだ。


悲しいニュースを聞いた後、何かふっきるように、夫から買いものにでも行こうと誘われ、出かけてきた。最初に夫の職場へ寄って、先日の葬儀の書類手続きを試みたのだが、あいにく上司が不在だったようで、出来なかった。その後、モールへ行ってちょろちょろ見てまわり、久しぶりにチャイニーズのbuffetをいただいた。「あさり」があって、びっくり。薄味だったけど、美味しかった。この食事、夫曰く、「昨夜はValentineなのにどこへも連れて行けなかったから」とのこと。サプライズの贈りものも貰って申し分なかったのに、こんなにサービスしてくれるなんて・・あらためて夫は良い旦那だなぁ、と思う。わたしも、実は、今日、一日遅れだけどチーズケーキでも焼こうかなと思っていたのに、こうして出かけてしまったので、まだ何もしていない。明日に延期。








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You and Me

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2月14日





Happy Valentine's Day!

昨夜は結局1時過ぎに娘のところから帰宅。その後、娘から携帯を車に忘れてしまったというメールがありそれを探したり同僚からレジデントのMEMさんが亡くなったというテクストに気付いて返事をしたりでベッドへ入ったのが1時45分頃、アラームを4時半にセットして寝ようとしたのだが頭が冴えてどうも寝付けない、、、そのまま4時15分に起床。熱いシャワーをしたけれど、身体と精神が眠りを渇望している状態で仕事へ向かった。

そんな感じで午前中はぼーっとしていた。午後に近付いてからだんだんと眠気がなくなり、仕事から帰ってきたらたっぷりと昼寝するぞーと思っていたのに、娘に荷物を送ったり(その前にバレンタインのギフトを買いに行ったりも)で、昼寝しないまま夕方になってしまった。
夕飯は義母が昨夜置いてってくれたツナヌードルキャセロール。なかなか美味しかった。


バレンタインのギフトを夫から貰った。わたしの好きなwillow treeの人形で、夫婦のやつだった。you and meというタイトル。わたしからは何も用意してなくて、しかも夕飯も手抜きで作らなかったので、申し訳ない、、、



ようやく眠くなってきた。今夜はぐっすりと眠りたい。







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帰路

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2月13日






テキサスからアイオワに向けて帰路の途中。ホテルより。
日曜日の午後2:45に家を出て月曜日、火曜日と毎日何時間かは車での移動をしている。明日で最後。
が、家に着いたら今度は娘を大学街まで送ることになる。往復6時間。その後7連勤。


あとでゆっくりと記録したい。過酷ではあったが、良い旅であった。











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2月9日

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2月10日




2月9日はわたしの父の命日だ。
が、同じ日、義父の命日となってしまった。


9日、12時過ぎに夫が帰宅。これまでの経緯を説明、夫は口数が少なかった。それから1時間半後、義妹から電話、夫が飛び起きて電話に出ると、義父の訃報だった。


あの夜、娘にも電話をして話したとき、この週末持たないかもしれないという言葉が医師からのものではなく義父たちの所属する教会の牧師の言葉だったということで、それは信用できないとか、早まって今行くよりは、とか、わたしがホテルをキャンセルしたことに対して、ダディに言う前にそれをしちゃったのは良くなかったんじゃないか、とか言われ、医療の場にいた人間としての直観であり、たとえそれが早まったことであって、治療がうまく行って落ち着いたというのであればそれに越したことはないではないか、お金とか時間とか労力とかは、2の次で良いのではないか、と、やや感情的に答えてしまったのだが、、、こんなにあっけなく訃報が届いて、、飛行機のフライト時間とかも、もう関係なくなってしまった。どんなに急いで駆けつけたって、義父の命はもう尽きたのだ。


夫は悲しみに塞ぎ、最初は一緒に寝ていたが途中で娘の部屋に行った。ひとりになりたかったのだろうと思う。


昨日の朝は、夫が起きて来る前に義妹と電話で何度か話す。彼女も気が動転していて、「どうしたら良いのかわからない、本当にどうしたら良いのか、、、」と言っていた。わたしは、とにかく今後の予定の詳細を知るべきだということ、visitationとfuneralの日程に合わせて出かけたほうが良いのではないかということを話した。義父が逝ってしまってた後、義母(夫や義妹にとっては継母である)はわたしたちを彼らの家に泊めるなどのはからいは出来ない様子だろう。周辺のホテルに泊まることになる。そして、どこまで手伝えるのかもわからない。義母の家族との交流はまったくないし。

夫が起きてきてから話をすると、彼は最初、わたしは同伴しないものだと思っていたようだ。何を言うのか、もちろんわたしは同伴します。仕事は休む。どうにでもなる。
それを聞いた夫は少し安心したようだった。以前、義父が危篤状態だと聞いた直後、わたしが夫と義妹だけ早めに行くべきだ、わたしは犬たちの世話をするから、と言ったので、誤解したのだと思う。あのときとは状況が違う。あのときわたしは、彼らだけ先に飛行機で行って貰って、何かあったときにわたしと娘とで車で行こうと思っていたのだった。


娘。
娘を連れて行くかどうかで、少々、もめた。わたしとしては連れて行きたい。夫は複雑な事情から、どうしたら良いのか、、と悩んでいる様子だった。大学があるだろう、とも。
決めきれない夫を尻目に、娘に電話。彼女はもう21歳になったのだから大人として自分で決断して欲しかった。同時に、わたしの気持ちも伝えた。
結果、娘は一緒に行く、と言う。彼女もまた夫のことを気遣い、ダディが一緒に行って欲しくないのであれば自分は残る、というようなことを言っていたのだが、わたしが押した。あなたのグランパなのだよ、と。


お葬式用の服も買わなくてはならないので買いものへ行くことを伝えると、夫もスーツを新調しなkyてはならないことに気付き、一緒に行くことになった。そしてついでにそのまま娘を迎えに行く。

夫は夫妻でいたが、だんだんと気持ちが落ち着いたようだった。特に娘と合流してからは少しずつ元気を取り戻した。血のなせる業だと思った。夫の父、娘の祖父。



今日はNLに換わって6時〜14時と仕事。そして月曜から水曜まで休みをいただいた。火曜はJFがわたしの代わりに仕事してくれる。ありがたいことだ。
仕事から帰って来たらすぐにでも出る予定。一緒に行くのは、わたしたち家族3人、義妹夫婦。義妹のところの3人の子供たちは出席しない。








#日記

ワオ!と言っているユーザー

、、、

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2月8日





仕事からあがる頃、テキサスの義母からテクスト。義父の容態が良くないらしい。文面から、かなり深刻な状況であることが伺えた。

仕事で出ている夫に連絡。すぐにでも会いに行ったほうが良いと思う、と伝えておいたが、彼は動揺してうまく考えがまとまらない様子だった。

義妹と連絡。義妹は今週末は様子を見ようと思う、と言う。わたしたちが行っても何も出来ないから、と言う。複雑な事情があるのだろうと思い、わたしからも何も言えなくなってしまった。

夫から再び連絡。義妹と話したらしい。今週末は様子を見る。予定通り娘のところへ行こう、と言う。わたしもそれを承諾。

が、義妹から泣いて電話がある。この週末持たないのではないか、と。夫へ連絡するが携帯がオフになっている。とりあえずテクストを送っておく。

義妹からまた電話。少し落ち着いた様子。叔父夫婦は明日の朝に病院へ向かうので到着は明日の夕方だと言う。だからわたしたちが急いで行っても、、、と。少し遠回しに、飛行機で行ってもいいのではないか、と言ってみる。夫ひとりで20時間以上の運転は(しかもこの状況で)とても勧められない。

飛行機のスケジュールをチェックしてみると、明日、午後12時発、4時半着、というのがあった。それがいちばん早い便だ。夫が帰ってたら、それに乗るよう、話してみる。








#日記

ワオ!と言っているユーザー

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