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詩は元気です ☆ 齋藤純二

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なんとなく一言……

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なんとなく一言……


何を書こう。。。
うーん。
『君が元気ならそれで』
#雑記

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『ニイチェに就いての雑感』 萩原朔太郎

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理論家ではニーチェを理解することができない。
それには詩人と哲学者の両立した資格が必要であると萩原朔太郎。
また、私が知るニーチェの理解者は芥川龍之介だけだと。
そして、ニーチェは私の先生である、と。
興味深く、著作権フリーのため文書添付。







ニイチェに就いての雑感/萩原朔太郎 (萩原朔太郎全集「第九巻」)


 ニイチェの世界の中には、近代インテリのあらゆる苦悩が包括されてゐる。だれでも、自分の悩みをニイチェの中に見出さない者はなく、ニイチェの中に、自己の一部を見出さないものはない。ニイチェこそは、実に近代の苦悩を一人で背負つた受難者であり、我々の時代の痛ましい殉教者であつた。その意味に於て、ニイチェは正しく新時代のキリストである。耶蘇キリストは、万人の罪を一人で背負ひ、罪なくして十字架の上に死んだ。フリドリヒ・ニイチェもまた、近代知識人の苦悩を一人で背負つて、十字架の上に死んだ受難者である。耶蘇と同じく、ニイチェもまた自己が人類の殉教者であり、新時代の新しいキリスト(救世主)であることを自覚して居た。それ故にこそ、彼の最後の書物に標題して、自ら悲壮にも Ecce homo(この人を見よ)と書いた。Ecce homo とは、十字架に書きつけられた受難者キリストの標語であつた。ニイチェの意味に於ては、それがキリストに叛逆する標語であつた。あの中世紀の魔教サバトの徒は、耶蘇とキリスト教とを冒涜する目的から、故意に模擬の十字架を立てて裸女を架け、或は幼児を架けて殺戮した。反キリストの詩人ニイチェの意味に於て、Ecce homo がまた同じく、キリスト教への魔教的冒涜を指示してゐるにちがひない。(彼は常にさうした辛辣な反語を好んだ。)にもかかはらず、ニイチェこそは新しい時代の受難者、耶蘇キリストにまちがひなかつた。

 ニイチェの著書は、おそらく人間の書いた書物の中で、最も深遠で、且つ最も難解なものの一つであらう。その深遠な理由は、思想が人間性の苦悩の底へ、無限に深くもぐりこんで抜けないほどに根を持つて居るのと、多岐多様の複雑した命題が、至るところで相互に矛盾し、争闘し、容易に統一への理解を把握することができないこと等に関聯して居る。ニイチェほどに、矛盾を多分に有した複雑の思想家はなく、ニイチェほどに、残忍辛辣のメスをふるつて、人間心理の秘密を切りひらいた哲学者はない。ニイチェの深さは地獄に達し、ニイチェの高さは天に届く。いかなる人の自負心をもつてしても、十九世紀以来の地上で、ニイチェと競争することは絶望である。
 ニイチェの著書は、しかしその難解のことに於て、全く我々読者を悩ませる。特に「ツァラトストラ」の如きは、片手に註解本をもつて読まない限り、僕等の如き無識低能の読書人には、到底その深遠な含蓄を理解し得ない。「ツァラトストラ」の初版が、僅かにただ三部しか売れなかつたといふ歴史は、この書物の出版当時に於て、これを理解し得る人が、全独逸に三人しか居なかつたことを証左して居る。彼の著書の中で、比較的初学者に理解し易いと言はれ、したがつて又ニイチェ哲学の入門書と言はれるアフォリズム「人間的な、あまりに人間的な」でさへも、相当に成育した一般の文化常識と、特に敏感な詩人的感覚とを所有しない読者にとつては、決して理解し易い書物ではない。
 ニイチェの理解に於ける困難さは、彼の初期に於ける少数の著書論文(悲劇の出生など)を除いて、その後の者が多くアフォリズムの形式で書かれて居ることにある。彼がこの文章の形式を選んだのは、一つには彼の肉体が病弱で、体系を有する大論文を書くに適しなかつた為もあらうが、実にはこの形式の表現が、彼のユニイクな直覚的の詩想や哲学と適応して居り、それが唯一最善の方法であつたからである。アフォリズムとは、だれも知る如くエッセイの一層簡潔に、一層また含蓄深くエキスされた文学(小品エッセイ)である。したがつてそれは最も暗示に富んだ文学で、言葉と言葉、行と行との間に、多くの思ひ入れ深き省略を隠して居る。即ち言へば、アフォリズムはそれ自ら「詩」の形式の一種なのである。(したがつて西洋の詩人たちは、独りニイチェに限らず、グウルモンでも、ジャン・コクトオでも、ボードレエルでも、ヴァレリイでも、すべて皆アフォリズムを書いてる。それは正しく「詩人の文学」なのである。)
 アフォリズムは詩である。故にこれを理解し得るものも、また詩人の直覚と神経とを持たねばならない。そこでニイチェを理解するためには、読者に二つの両立した資格が要求される。「詩人」であつて、同時に「哲学者」であることである。純粋の理論家には、もちろんニイチェは解らない。だが日本で普通に言はれてるやうな範疇の詩人(彼等は全く没思想である)にも、また勿論ニイチェは理解されない。だがその二つの資格をもつ読者にとつて、ニイチェほど興味が深く、無限に深遠な魅力のある著者は外にない。ニイチェの驚異は、一つの思想が幾つも幾つもの裏面をもち、幾度それを逆説的に裏返しても、容易に表面の絵札が現れて来ないことである。我々はニイチェを読み、考へ、漸く今、その正しい理解の底に達し得たと安心する。だがその時、もはやニイチェはそれを切り抜けて居る。彼は常に、読者の一歩前を歩いて居る。彼は永遠に捉へ得ない。しかもただ一歩で、すぐ捉へることができるやうに、虚偽の影法師で欺きながら、結局あの恐ろしい狂気が棲む超人の森の中へ、読者を魔術しながら導いて行く。
 ニイチェを理解することは、何よりも先づ、彼の文学を「感情する」ことである。すべての詩の理解が、感情することの意味につきてるやうに、ニイチェの理解も、やはり感情することの外にはない。そして感情するためには、ニイチェの言葉の中から、すべての省略された意味、即ち彼の慣用する音楽術語で言ふ Con moto(思ひ入れ)の部分を、自分で直感的に会得せねばならない。そして此処に、彼の理解への最も困難な鍵がある。たしかに人の言ふ如く、カントの哲学も難解である。特に僕等のやうな「柔軟な頭脳」の所有者にとつては、あの幾何学公式のやうな書体で書かれた「純粋理性批判」の第一頁を読むだけでも、独逸的軍隊教育の兵式体操を課されたやうで、身体中の骨節がギシギシと痛んで来る。カントは頭痛の種である。しかし一通り読んでしまへば、幾何学の公理と同じく判然明白に解つてしまふ。カントに宿題は残らない。然るにニイチェはどこまで行つても宿題ばかりだ。ニイチェの思想の中には、カント流の「判然明白」が全く無い。それは詩の情操の中に含蓄された暗示であり、象徴であり、余韻である。したがつてニイチェの善き理解者は、学者や思想家の側にすくなくして、いつも却つて詩人や文学者の側に多いのである。

 近代の文学者の中で、ニイチェほど大きく、且つ多方面に影響をあたへたものはない。思想方面では、レーニンやトロツキイの共産主義者を始め、それの対蹠であるファッショや強権主義者等までが、多少みな間接にニイチェの影響を蒙つて居る。文学の方面では、ドストイェフスキイや、ストリンドベルヒや、アルチバセフや、アンドレ・ジイド等が、すべて皆ニイチェから影響されてゐる。特に就中、詩人の影響されたことは著るしく、独逸のデエメル、イワン・ゴール、仏蘭西のグウルモン、ジャン・コクトオ、ヴァレリイ等、殆んど近代の詩人にして、ニイチェからの思想的、哲学的影響を受けないものは一人もない。
 それほどニイチェは、多くの影響を各方面にあたへながら、世に「ニイチェスト」とか「ニイチェズム」とかいふ言葉がないのは不思議であるが、実際ニイチェの思想の中には、多くの矛盾した対立があり、且つ複雑した多要素が混入して居るので、単純にこれを一つの概念でイズムに形態化することができないのである。人々は各ニイチェの多様質の宇宙の中から、夫々の部分をとつて自家の食餌にしてゐる故、見方によればそのすべてがニイチェズムでもあるけれども、同様にまた、そのすべてがニイチェズムでないのである。甚だしきは独逸近代の軍国主義さへも、ニイチェの影響だと見る人がある。それによつてアメリカ人は、世界大戦の責任者をカイゼルとニイチェとの罪に帰した。
 日本に於けるニイチェの影響は、しかしながら皆無と言ふ方が当つて居る。日本の詩人で、多少でもニイチェの影響を受けたと思はれる人は、過去にも現在にも一人も居ない。(生田春月だけが、少しばかりその影響を受けてた。)況んや小説家の中にも皆無である。ただ一人、僕の知る範囲で芥川龍之介が居た。彼は自殺の一二年前から、その作品の風貌を全く変へたが、これがニイチェの影響であつたことは、その「歯車」「西方の人」「河童」等の作品によく現れて居る。且つ彼はそのエッセイにも、ニイチェの標題をそのままイミテートして「文芸的な、あまりに文芸的な」と書いた。特に「歯車」と「西方の人」の中には、ニイチェが非常に著るしく現れて居り、死を直前に凝視してゐたこの作者が、如何に深くニイチェに傾倒して居たかがよく解る。
 西洋の詩人や文学者に、あれほど広く大きな影響をあたへたニイチェが、日本ではただ一人、それも死前の僅かな時期に於ける一小説家だけに影響をあたへたといふことは、まことに特殊な不思議の現象と言はねばならない。そのくせニイチェの名前だけは、日本の文壇に早くから紹介されて居た。生田長江氏がその全訳を出す以前にも、既に高山樗牛、登張竹風等の諸氏によつて、早く既に明治時代からニイチェが紹介されて居た。その上にもニイチェの名は、一時日本文壇の流行児でさへもあつた。丁度大正時代の文壇で、一時トルストイやタゴールが流行児であつた如く、ニイチェもまたかつて流行児であつた。そしてトルストイやタゴールが廃つた如く、ニイチェもまた忽ちに廃つてしまつた。それもその筈である。人々はただニイチェの名前だけを、ジャーナリズムのニュースで知つてるだけで、実際には一頁のニイチェも読んでは居なかつたのだ。彼等の中で、比較的忠実に読んだ人さへが、単なる英雄主義者として、反キリストや反道徳の痛快なヒーローとして、単純な感激性で崇拝して居たこと、あたかも大正期の文壇でトルストイやドストイェフスキイやを、単なる救世軍の大将(人道主義者)として、白樺派の人々が崇拝して居たに同じである。甚だしきは、かつてニイチェズムの名が、本能主義や享楽主義のシノニムとして流行した。それからしてジャーナリスト等は、三角関係の恋愛や情死者等を揶揄してニイチェストと呼んだ。
 何故にニイチェは、かくも甚だしく日本で理解されないだらうか。前にも既に書いた通り、その理由はニイチェが難解だからである。たしかメレヂコフスキイだかが言つたやうに、ニイチェの読者は、インテリの中での最上層に生活して居る読者である。ところで、日本のインテリは、欧羅巴のそれに比して一般に程度が低く、知識人としての下層に居る。単にそればかりでなく、日本の詩人や文学者は、一般に言つて「哲学する精神」を所有して居ない。そしてこれが、ニイチェを日本の理解からさまたげてる最も根本の原因である。近頃日本の文壇では「日常性の哲学」といふことが言はれて居るが、元来文学者の生活には、常に「哲学する日常性」が必要なのである。即ちゲーテも言つてるやうに、詩人に必要なものは哲学でなくして、哲学する精神である。ベルグソンやデルタイは言ふ。真の意味の哲学者とは、哲学を学問する人のことでなくして、哲学する精神を気質し、且つメタフィヂックを直覚する人のことである。即ち真の哲学者とは、所謂「哲学者」の謂でなくして「詩人」の謂である。詩人こそ真の哲学者であると。文学者がもし真の文学者であるならば、このベルグソン等の意味に於ける哲学者でなければならない。ところが日本の文壇には、その哲学者が甚だすくないのである。日本人は昔から「言あげせぬ国民」であり、思考したり哲学したりすることを好まない。日本の詩人は、芭蕉、西行等の古から、大正昭和の現代に至るまで、皆一つの極つた範疇を持つて居る。その範疇といふのは、単に感覚や気分だけで、自然人生を趣味的に観照するのである。日本の詩人等は、昔から全く哲学する精神を欠乏して居る。そして此処に詩人と言ふのは、小説家等の文学者一般をも包括して言ふのである。
 ニイチェは詩人である。何よりも先づ詩人である。しかしながら彼のポエジイには、多くの深遠な思想や哲学が含まれて居る。その内容を理解し得ないでは、ニイチェの詩を感情し得ない。しかも彼の思想や哲学やは、学問する頭脳では理解し得ず、哲学する精神によつてのみ理解されるのである。その哲学する精神を欠いた日本の詩人や文学者にとつて、ニイチェが不可解なのは当然と言はねばならぬ。日本の詩人や文学者は、動物のやうに感覚がよく発育して居る。どんな深遠な美の秘密でさへも、いやしくも感覚される限りに於て、すぐに本質を嗅ぎつけてしまふ。彼等は全く動物の叡智を持つてる。その不可思議な独特の叡智によつて、彼等はボードレエルを嗅ぎつけ、ドストイェフスキイを嗅ぎつけ、象徴派の詩を嗅ぎつけ、自然主義の文学を嗅ぎつけた。しかし流石にその智慧だけでは、ニイチェを嗅ぎつけることが出来ないのである。

 ニイチェはその哲学詩人としての本領の外に、純粋の詩人としての抒情詩を書いて居る。しかし抒情詩人としてのニイチェには、僕としてあまり崇敬できない点がある。ゲーテも言ふ如く、詩人に哲学する精神は必要だが、詩に哲学を語ることは望ましくない。特に抒情詩に哲学は禁物である。ニイチェの場合にあつては、この禁物が多すぎる為、詩がまるで理窟っぽい警句のやうなものになつてしまつて居る。理智で考へながら読むやうな文学は、純正の意味で「詩」とは言へないのである。しかし流石にその二三の作品だけは、ニイチェでなければ書けない珠玉の絶唱で、世界文学史上にも特記さるべき名詩である。特に「今は秋、その秋の汝の胸を破るかな!」の悲壮な声調で始まつてる「秋」の詩。及び

鴉等は鳴き叫び
風を切りて町へ飛び行く
まもなく雪も降り来らむ――
今尚、家郷あるものは幸福(さいはひ)
なるかな。

 の初聯で始まる「寂寥」の如き詩は、その情感の深く悲痛なることに於て、他に全く類を見ないニイチェ独特の名篇である。これら僅か数篇の名詩だけでも、ニイチェは抒情詩人として一流の列に入り得るだらう。

 ニイチェのショーペンハウエルに対する関係は、新約全書の旧約全書に対するやうなものである。だれも知る通り、旧約の神エホバは怒と復讐の神であり、新約の神は愛と平和の神である。この二つの神は正反対の矛盾として対蹠して居る。しかも新約は旧約の続篇で、且つ両者の精神を本質的に共通して居る。ニイチェのショーペンハウエルに於ける場合も、要するにまたこれと同じである。ニイチェは如何にその師匠に叛逆し、昔の先生を「老いたる詐欺師」と罵つたところで、結局やはりショーペンハウエルの変貌した弟子にすぎない。彼はショーペンハウエルが揚棄した意志を、他の一端で止揚したまでである。あの小さな狡猾さうな眼をした、梟のやうな哲学者ショーペンハウエルは、彼の暗い洞窟の中から人生を隙見して、無限の退屈な欠伸をしながら、厭がらせの皮肉ばかりを言ひ続けた。一方であの荒鷲のやうなニイチェは、もつと勇敢に正面から突撃して行き、彼の師匠が憎悪して居たところの、すべての Homo と現象に対して復讐した。言はばニイチェは、師匠の仇敵を討つた勇士のやうなものである。文部省の教科書でも、ニイチェは大に賞頌して書かれねばならない。

 最後に、僕自身のことを話さう。僕はショーペンハウエルから多くを学んだ。僕の第二詩集「青猫」は、その惑溺の最中に書いた抒情詩の集編であり、したがつてあのショーペンハウエル化した小乗仏教の臭気や、性慾の悩みを訴へる厭世哲学のエロチシズムやが、集中の詩篇に芬々として居るほどである。しかし僕は、それよりも尚多くのものをニイチェから学んだ。ニイチェは正しく僕の「先生」である。だが僕の学んだ部屋は、主としてニイチェの心理学教室であつた。形而上学者としてのニイチェ、倫理学者としてのニイチェ、文明批判家としてのニイチェには、僕として追跡することが出来なかつた。換言すれば、僕は権力主義者でもなく、英雄主義者でもなく、況んやツァラトストラの弟子でもない。僕は「心理学」と「文学」だけを彼に学んだ。僕の他の教師であるところの、ポオやドストイェフスキイやから、丁度その同じ学科だけを学んだやうに。
 元来、僕は気質的にデカダンスを傾向した人間である。僕がポオやドストイェフスキイに牽引されるのも、つまりは彼等の中に、異常性格者的なデカダンスがあるために外ならない。僕のやうな人間が、もし自然のままの傾向で惰力して行つたら、おそらく辻潤や高橋新吉のやうな本格的のダダイストになつたにちがひない。それが幸ひ(だか不幸だか知らないが)一つの昂然たる貴族的精神によつて、今日まで埋没から救はれてるのは、ひとへに全くニイチェから学んだ訓育の為である。そしてこの一事が、僕のニイチェから受けた教育のあらゆる「全体のもの」なのである。
#雑記

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文豪たちがバトルっ。。。

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文豪たちがバトルっ。。。

どうしたということだ。文豪たちがアニメで登場しているらしい。『文豪ストレイドッグス』、なんだか文豪たちがバトルする話だそうだ。中島敦、太宰修、芥川龍之介、中原中也などが出てきてドンパッチなのか。コミックスを480万冊売り上げている。人気があるということは、たぶん面白いのだろう。齧ってみるか、どうか……

中原中也記念館でもこの文豪ストレイドドッグスと生誕110年記念のイベントコラボするらしい。中原中也は人気キャラだそうだ。今回は一般公募で文芸の展示はないみたいだ。ちょっとさみしい気がするが、賑やかなイベントになり詩が注目されるといいな、なんて思うのである。

#雑記

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前橋(萩原朔太郎)記念館へ着く

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前橋(萩原朔太郎)記念館へ着く 前橋(萩原朔太郎)記念館へ着く 前橋(萩原朔太郎)記念館へ着く


式典が終わっていて、記念館もなんとなく……、という感じだ。
前橋マンドリン楽団の演奏を楽しみにしていたが、仕方ない電車が止まっていたのだから。
とりあえずコーヒータイムだ。


#雑記

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高崎にて途中下車、山田かまち美術館へ

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高崎にて途中下車、山田かまち美... 高崎にて途中下車、山田かまち美... 高崎にて途中下車、山田かまち美...

人身事故のため電車が止まったり、動いたり。前橋の手前、高崎でまた待たされるみたいだ。それなら途中下車をしようじゃないか。

たしか、高崎には山田かまち美術館があったはず。インターネットで検索。よしゃ、ビンゴだ!

が、しかーし、駅からずいぶんと遠かった。片道2.5キロ、往復5.0キロ。ちょっと疲れたがそれ以上に元気をもらったので、行ってよかった。

美術館の客は私だけ。貸し切りだ。

どこからか時計の音がカチッカチッと雰囲気を盛り立ててくれている。山田かまちの絵と詩が誘う、己と会話する声が聞こえそうな表現からのエネルギー空間。荒削りだがそれがよく、それでいて繊細(優しさとか…)かつ美しい若さでグイグイ私に入って来る哲学。

また、すでに三歳の時に描いた絵から完成されている。ああ、天才っていうのかな、こういう人を。

しかし、悔やまれる、早すぎた死。
エレキギターが展示されていた。こいつで感電死なのか。
そのグレコのギターが私に何かを伝えようとしていた。。。
#雑記

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二十億光年の孤独にさよなら

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未来、未来、未来に子どものピンクちゃんとイエローちゃんがいました。ふたりはとても仲が良くて、いつも一緒、宇宙船に乗って旅を続けています。ケンカなんてしたこともありませんでしたし、もともとケンカの意味も知りません。ピンクちゃんはとてもお喋りで、イエローちゃんはニコニコと話を聞いて微笑んでいました。ピンクちゃんはお父さんとお母さんの話をしていました。


「ねえ、わたしたちにはやっぱり、お父さんとお母さんはいないのかな」
と、ピンクちゃん。微笑むイエローちゃん。

「だって、だってさみしいもん。知っているもん。私たちが試験管から生まれたこと」
「うん」

「でもさ、ほんとうにいないのかな」
「う〜ん」

「できることなら、会いたいなあ」
「会えるよ」

「イエローちゃん、今なんていった?」
「会えるよ」

「そうなの、ほんとうにそうなの」
「うん」

「信じる、イエローちゃんのこと」
「うん」

宇宙船はどこへ向かっているのでしょう……

ピンクちゃんとイエローちゃんの先には希望と夢しかありません。それはさみしいけどさみしくない、孤独だけど孤独でないということなのでしょう。ひとりじゃない幸せがあれば、どこへ行こうがどうでも良いことなのかもしれません。


「イエローちゃん、なんだか眠くなっちゃった。おやすみ」

「おやすみ」

#詩 #雑記

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前橋文学館への足止め、チクショ〜!

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前橋文学館への足止め、チクショ...

なんてことでしょう〜〜〜っ!!

えっ〜〜!!

休みだというのに朝六時前から前橋文学館へ行くため準備してきたが、高崎線がななななんと人身事故。。。 とうぶん電車は動かないらしい。もうオープン式典も間に合いません。新幹線を使っても間に合いません。運転再開を祈り、大宮駅にて下車中なのです。ががが、しかし、ラッキーなことがありました。なななななんと、えらく鉄ちゃんがカメラを持っているじゃないですか。おっと、ディーゼル機関車!? 詳しいことはわかりませんが、レアなことは間違いないでしょう。って、いうことで半日がかりで前橋へ向かいます。辿り着くのだろうか。。。。。

いや、ぜったいに辿り着きます。萩原朔太郎が待っているので、なんて。
#雑記

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前橋文学館へ行こうか、どうか。。。

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先日、埼玉詩人会で講演があり萩原朔太郎についてのお話だった。朔太郎の詩を真剣に読んだことがないが、たいへん人気がある詩人ということは知っている。
インターネットで詩のイベントを調べていたら、前橋文学館にて新装オープン記念式が明日あるらしい。ここの記念館の売りはやはり朔太郎みたいなので、このイベントへ足を向けるか悩み中。また、前橋は詩人を多く排出しているところらしい。もし参加した時には、ブログで記事をアップしよう。参加費は無料で当日行くと朔太郎の絵葉書が貰えるそうだ。もし、このブログにご訪問されている方でイベントに参加され私らしきひとを見かけたら「詩は!」と声をかけて頂ければ、「元気です!」と答えるので……。まあ、あり得ないか。でも、その時はもちろん反応。私の顔はブログのプロフィール写真と変わらない、まあ、本人だからね。
では。。。


前橋文学館ホームページ
http://www.maebashibungakukan.jp/
#雑記

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中原中也とのちょっとした関わり

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中原中也とのちょっとした関わり

どうやら中原中也が生誕して110年になるそうだ。たいへん人気のある詩人で今も慕われ愛されている。詩作も生き方も魅力的な詩人、中原中也。

私は小学生の時に毎日聴いていた曲があり、そのレコードをどれだけ回転させたことだろう。当時、俳優で歌手の中村雅俊が中也の詩に曲をつけてレコーディングしたものがあった。たぶん、そのアルバムはそんなに売れていなかったと思う。
ほとんどが中村雅俊が作った曲で、一曲だけ中也の詩「汚れっちまった悲しみに」とういう曲があり、この詩にハマっていた。小学生の頃だった私は少し変わっていたのかもしれない。山口百恵やキャンディーズより、中也だった。

しかし、その当時は中原中也というひとが詩人ということも知らなかった。ただ、その名前は覚えていて、高校生の頃に詩人だったということを知った。私は中学生の頃から詩を書いているので、たぶんそれは「汚れっちまった悲しみに」に影響されてのことだと思う。

そして、中原中也の生誕100年にイベントがあり、記念館が写真、絵、詩などの一般応募して、展示する企画があった。作品をそのようなところにあまり送らない私だったが、自分が詩を書いて充実を得ているのは、中也のおかげだと思いひとつ作品を送った。たしか、三回ほど展示物を貼り替えたそうだが、なんとか三期持ち堪えてくれたみたいだ。ただ、今思うと悔やまれるのが、その記念館へ行かなかったこと。入場券をわざわざ送ってくださっていたのに、スルーしてしまった。山口市で遠方だったが、やはり悔やまれる、行けば良かったと。

というわけで、もうそれから十年経って生誕110年。その当時の作品をアップしても問題ないと思うので、読んでみてください。

それと、作中の「蒔」の字は意識的にこの字を使っているので誤字ではありません。
#雑記

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読まれることを念頭に置く詩人

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売れている詩人の詩を読む。とはいえ、小説に比べれば売れていない本。それは淋しい気もするが、仕方ない、これが日本での詩の姿なのだから……。どうにかしたいと思っている詩人はきっとあちらこちらにいるはずだ。

とにかくひとに読まれる詩を探ってみたくなり、少し齧る程度にパラパラページをめくる。そんな態度でそれらの詩について語れるのか、となってしまうが私なりのそれらの表現の傾向を考察してみる。

まず、売れている詩集を読んで感じたのは上手に書かれていること。まあ、当たり前か。そして、なんとなく電車や駅などで書かれている宣伝文句のように説得力がある。すんなりと書かれていて内容がわからなくても頷けてしまう。詩の創作はどんどん自分の深い世界に潜り込むのと同時に、その詩が読まれるための技術、発想、そして思いやりが挿入されてやっとひと様に喜ばれる作品となるのだろう。詩だけではなく、文芸でも商売でも同じことが言える。ただ、詩の場合はその客観に抵抗を持つ者が多いと感じている。しかし売れる詩集は、やはり「サービス精神」を強く持っている詩人が書いたものということだ。

詩にサービス精神なんていらない、と感じている詩人でも少なからずひとに読まれるため、言葉を整えているに違いない。ただ、詩を生業とするなら、読者がいなければ成り立たない。サービス精神は過大に必要不可欠となるのだろう。詩に携わる場合、そこを躊躇する傾向があるわりには、詩は読まれない、なんて嘆いている言葉を活字で目にするのが現状だ。読まれるために書いていないのだからその言葉は、ループするジレンマでしかない。

この話の行き先はどこへ行くかというと、やはりひとに読んでもらおうとするならサービス精神のない詩は我儘な作品となってしまう、ってことだろう。ただ、この「サービス精神」という私の概念を語るともう一コマ必要になるので、本日はここまでとさせていただこう。

尻切れ文章、御免。
#雑記

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