欅の白い花 たらたら解ける面影に あなたのここはどこのあそこ 形が消えれば消えるほど わたしのここはどこのあそこ 滴の落ちゆく 冬の解ける音を誰が聴く ふたりの景色を くるりと包み地に向かう 廻り廻る長さ わたしは天寿のどこにいる ふたりの景色を 春へ流してここを聴く
赤いよ赤いよ 夕波を聴く僕がいるよ 君を待つ 寄せてはかえす波時計 きっと僕の顔は 恥ずかしいくらい赤くなり ひとりよりふたり 不思議と強くなくちゃ そんなふうに思えるんだ そして 君を大好きだ と叫びたくなるんだ 待ち遠しい物語は どんどん 僕よがりなってしまう 君が現れたら ちょっと遅くねえ そういって 照れ笑いをして だからさ いろいろ考えちゃうんだよ まだ君が来ないのに もう君でいっぱいの僕なのさ
ぶんぶんぶん僕は羽もなければ針もない蜂。だけど飛ぶことも刺すことも忘れてはいない。飛べない、刺せないと思うかもしれないが、信じないで死んでしまうより信じて死にたいんだ。いいんだよ、僕の生なのだから好きにするさ。僕は蜂には変わりないだろ。笑われたって、弾かれたって、無視されたって、もう僕はそんな弱い蜂ではないのだから。目を閉じればほらっ、僕は飛べているじゃないか、そこに嘘などひとつもないんだし、誰が文句を言ってみても僕の心を潰すことなんてできやしないんだ。ぶんぶんぶん僕は針もなければ羽もない蜂。まだ君の心に突き刺せる針は隠し持っているんだよ。気をつけた方がいいよ。僕が本気になったら僕が知らないくらい凄いってことを信じているんだから。それに僕が僕を信じないで誰が僕を信じてくれるというんだよ。ぶんぶんぶん僕は針もなければ羽もない蜂。
みんな暗者であって 明者なんだと思う 詩作も詩人のスタイルも 意識して、無意識で真似っこして でも守破離が必要なのかも そしたら作品も詩人も 比べる必要もなくなるから そして、ひとりではたいした作品 たいした人間にはならない そう思うこの頃であった この一作一作に感謝しながら
「人」という字は ひと同士が 支え合っているのではない 関係が崩れて疲れるより 「人」という字の 自立したひとりの姿を見る 二人、三人、四人だろうと ひとりひとりが 知識、感情、意志の調和とれた 全人であれば疲れはしないのだが
お久しぶりぶり ぶりぶり齋藤です みなさん さんさんと元気でしたか ほほっ そうですかいろいろ いらいらもあったのですね ころっともあったのですね まあまあみなさんと こうしてまたまたこうしてまた 寄り添う福島を忘れずんずんと会え ウレピーのであるるるるるん はいはいぶりぶり齋藤 マンモス浮いてすいません すみませんすんません すぐに謝っちゃう日本人 ケロケログワッグワッ 今年はネクタイが 朗読用紙にはならないケロね モーモーモーモーと 牛乳パックから ネタが出ることもないないよね はてはてはてはてなあ朗読2020 てなわけで どんなわけでそんなわけ いわき七夕まぼろし朗読会 リモートな感じで もりもりもりっとてんこ盛り盛り みなさんの短冊詩で心たいらけく てんてこてんてんのてんてんと 声は思いは願いは 天にも届くでごじゃるでごじゃる 2020も2021も2022も 負けないでごじゃるるんと いわき結束パワーでるるるるるん さあ読めや泣けや踊れや笑えや そっちのまぼろしじゃなくて こっちのまぼろしでどどんどんどん どどんと行ってみようか
小豆色の貨物列車 断続に叩く ガタン ゴトン 足の裏から伝わって 八分音符の間にある 急かされる休符 鼓動はレールの上 私の旋律は響く 今までの私を 私が恨みながら また私を許す連続 やがて通り過ぎ ダ・カーポに息衝く 生活の口を持つ電車に 私は飲み込まれ また連れ去られて行く
いきなりさ カレーの鍋が転がり にんじん じゃがいも 肉 玉ねぎの哀しさ ルーをかき集める 虚しさ 苛立ち 放棄心 俺はもう一度 カレーを作る力はあるか 生きていく力はあるか 手についた カレーの熱さに笑う
僕は雲が緑だという詩を書いた でもその詩を読んだ君は 「白い雲について書いてあるね」 そういうんだ 旅立ってしまった言葉たちは いつの間にか姿を変えて 面白いことになっているんだ もう僕の思い通りにならない だって君の心を自由に浮くんだから