語り尽くした空を見上げ 視線をスクロールした青は 無いものばかりを欲しがる色 成りたい欲望を埋めるには 現実が動いていない 指を滑らしては 埋まっていく時間の焦燥 想像がデバイスに収まったまま 私の空は9インチ未満の世界 まだ放熱する色を知らない
俺のこの廃墟な気分から 君へ贈る歌は 涙が渦になって飛ぶくらいに それがなんだって そう、笑い吹っ飛ばしてやるぜ ロッケンローなハウリング 燃え上がる前の合図に 君は乗り遅れちゃいけない それがなんだって そう、蹴飛ばしてやるぜ今夜 ああ、ベイベべ、ベイベ ああ、始めなきゃすべて無くて プチュプチュと消える刹那に 溺れている場合じゃないだろ おう、ベイベべ、ベイベ 俺のこの廃墟な気分から 君へ贈る歌は 涙が渦になって飛ぶくらいに それがなんだって そう、笑い吹っ飛ばしてやるぜ 君がこれから叩く泡の人形 中に入っているのは 今までの歌ってない自分さ それがなんだって そう、泡人間の壊滅状況なのさ ああ、ベイベべ、ベイベ ああ、始めなきゃすべて無くて プチュプチュと消える刹那に 溺れている場合じゃないだろ おう、ベイベべ、ベイベ
動けない朝はすでに日が暮れる 私の疲れた塊に薬が流れ 久しぶりの眠りの後は焦燥感 いつか何処かの回想に現実が濁る 消費する時間に慄いて 何も無かった休日の虚しさを 埋めるために実家へ急ぐ 母の為と言い訳をしながら 流しの食器を洗う手が速まる 歩道の端に積まれた雪 柔軟な心を忘れて固まった塊 溶けて無くなるのを待つだけの轍 カタチは時間を想像させ 苦笑いのように反射する光の鈍さ 揺れる電車には能面が並ぶ 私が心を動かさなければ 世間は隙間から冷たさを吐き出す 開いたドアは閉じる往復を忘れ 終着駅からも追い出される 年老いた母が雪を掻く 玄関までの三十センチ幅の小道 目の高さにある蝋梅から 過ぎた時間を埋める香りがした
顰(しか)めっ面されるより もっと怖いものは つまらないオヤジになることだ 時として潔く 弾け飛ぶバカをしなくては 自分が保たれないわけで ひとの話にすべて頷いていたら 俺って誰なんだよ、いったい 誰でもいい自分なのか、って やる、やらない 現状を捨てる、捨てれない 未来を変える、変えない 成功する、失敗する 生きている、ただ生きている 笑う、泣く、飛び跳ねる、佇む すべて俺の中に 選択の自由があって 博打しない人生も否定できないし 生きた証などあの世への 切符にもならないだろうし ああ、俺は岐路に立たされて 両方の景色を観ているんだ 納得の炎が燃え上がって ぽっと消える火と日を想像しながら
一般財団法人である日本詩人クラブへ入会した。会員と学友があり、会費がお手ごろな学友となった。学友は総会などに参加できないくらいで、あとは会員と変わらない。詩集を出版していなくても、詩の活動をしていて推薦者が二名いれば学友になれる。そして、日本詩人クラブでは、詩の講義や朗読会も積極的に行っているので、それらに参加して勉強しようと思う。どんな詩やひとに出会えるか、なんだか楽しみだ!
弾んでいる耳の中 タン タラ タン 僕はなんだか幸せ 気持ちは知らぬお花畑を ぼんやり眺めている 誰に感謝しているのかも わからずに言ってしまうよ ありがとう ほんとうにありがとう 悲しんでいる耳の中 ダン ダラ ダン 僕はなんだか涙がこぼれ 気持ちは遠い青い空の 想い出を眺めている 誰に感謝しているのかも わからずに言ってしまうよ ありがとう ほんとうにありがとう
おはよう、と言われ おはっ、くらいで終わる挨拶 めんどくさいから 自分が嫌なヤツと思われても 気にしないことにして とりあえず生きている って、感じでひとがいないと 仕事の手は止める できれば横になって グーグーと寝てしまいたい それにしても 時間が経つことが苦痛だ なら、すこしは仕事をやるか 頑張っているな、と言われ はぁー、くらいで返答 めんどくさいから お疲れさん、と言われ おつっ、くらいで終わる挨拶 めんどくさいから はあっ〜 こらりゃ、俺にとっては疲れる やっぱり、シャキシャキ系でいこう
生きようとする力がなくなった時 安らかに眠るように 逝けたのなら幸せだろう 父親も同じことを言っていたが 病院で生かされ苦しかっただろう 最後の最期は家族に見守れ その顔は安らかで すこし救われた気はしたが…… 生まれる順番があれば 死ぬ順番がある 誰にでもやってくることを 知ってはいるが 受け入れながら死ぬのだろうか 拒絶しながら死ぬのだろうか 生きている者にとっては どう生きるかが どう死ぬことなのだろう ギリギリまで 枯れるように生きてゆくしかない
久しぶりに難しい本を読んでいる。普段、あまり本を読まない私なので、勉強不足なのか、子どもの頃からの短期記憶が数字三桁という脳みその問題か、わからない漢字が多すぎる。理由はともかく、わからない漢字を飛ばすのも気持ち悪いし、調べながら読むが「知ってるよ、そんな漢字」と答えを見て呟く情けない感じになっている。十年前くらいにあれっと気づいた。私の場合は記憶力が乏しいが、印象の強かった出来事や思い出はけっこう鮮明に覚えている。その時の心情とか匂いとか。それをどうにか詩を書く時に活かせないかと考えるようになった。それにしても漢字が覚えられないということで、広辞苑を読めば私にとって印象の強い漢字が覚えられるだろう、と。だが、今度は長期記憶の問題が発生する。覚えたはずの漢字が長期記憶から想起できないのである。年齢も関係するのかなあ。だから、広辞苑を読破しても知識的には何も得ていない感じであった。しかし、読んでいる時は旅でもしているような、そう言葉の旅をしている気分がいま思うと詩を書く上で身になっているのだろう、と勝手にポジティブシンギングしている。その旅をもう一度しようかと思うが、うーん時間がさすがにないなあ。まあ、読めなくてもだいたい漢字の意味は経験でわかるので、まあいっか、こんな私で。