大先輩でたいへんお世話になっている木村さんの詩が 海外のチャリティーコンサートで朗読されることになりました。 ずっと震災の詩を書き続け 被災後の現地を案内されるボランティアなどされ メッセージを送り続けている素晴らしいかたです。 英語で拝読されるようですが、とても楽しみだな。
僕は詩に手を染め 足を洗えなくなり 手だけを洗うようになった いや待てよ 詩は悪ではないのだから そんな言い方は変だな でも中毒性があるのは 間違いなさそうだ 授業中に詩を書き 気がつくとチャイムがなって 手洗いだけを済ませ 続きを綴った
ナイタースキーのリフトが止まる 隣には知らぬ女性 綺麗な女神に微笑む俺 くだらない話に付き合ってくれ 楽しいひと時を過ごす幸せ感じ しかし ト、トイレが近くなって リフトが動き出すと じゃあ、とトイレに走る そして、ゲレンデに戻ると…… どうやら彼氏がいたようだ だよね〜
ぼくが歩くと 「むねをはりなさい」 おとなにいわれた 空を見て歩くと 「地を見て歩きなさい」 おとなにいわれた 下を見て歩くと 「まえを見て歩きなさい」 おとなにいわれた ないて歩くと 「なくんじゃない」 おとなにいわれた おとなはだれも 「どうしたんだい」 と聞いてくれない (再掲、ちょっと推敲)
喫茶店でケーキセットを頼んだ ケーキが食べ終わる頃に ビニールの小さな破片が入っていた あの〜 これが入ってました 替えは要らないので大丈夫ですよ お知らせしただけ たいへん失礼しました とコーヒーのお代も取らなかった なんだろう この申し訳ないケーキの後味は……
アウトっ 嘘だろピッチャーの手から ボールが離れてから走塁したぜ 町内のソフトボール 守備の選手は俺に微笑みを見せた ここで審判は絶対だ ひとが間違えることも 自分が間違えることもある しかし真実を閉じ込めてはいけない おいっ どこに目をつけているんだよ 退場っ
駅へ向かう 重たくなった身体に 容赦のない冷たい洗礼を浴び 現実に包まれ 日がまだ昇らぬどんよりの中 電車に揺られては 何か希望を探している 年末に作った仕事用のスケジュール帳 カバンに入っていることを想い出し 去年の準備に今年の日が昇った
難解な詩があって。私には解らない詩があって。何処かの誰かには解っている詩があって。いろんな詩人の考えがあって。それは自由であって。満足している詩人たちがいて、満足できない私がいて。小さな世界で盛り上がっている詩があって。ちっとも解らないと見向きもされない詩もあって。詩がどんどん我儘に思えてしまう私がいて。でも、それはやはり詩人の表現の自由であって。詩人個人がいて。読者個人がいて。言葉が限定されたひとだけに伝わって。芸術は多くの人が共感できる世界であって。難解な詩は伝える奉仕の心がなくなって。詩がもっと身近になったら豊かだろうと思って。では、お前はどうなんだよ、という私もいて。
頑張ろうと思った瞬間 楽しみが苦痛に変わってしまう 進む方向ではない 表現しきれない努力 入り込む集中力からの エネルギーが必要なのだろう 自分と言葉に向き合い 吐き出し切った完成を味わう もちろん納得の一作は 都会で流れ星を見るほどの出来事 しかし過程が輝くほどの充実に 向かう方向を導く まだ自分を裏切れていない 根底にある安心が書かせてくれる