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サウスベイ マネジメント セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。 トーランスのニューガーデナホテルが会場になります。

二つの祖国を持つ一日系人の証言と提言
 副題:言葉が招く国際誤解、摩擦

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二つの祖国を持つ一日系人の証言... 二つの祖国を持つ一日系人の証言... 二つの祖国を持つ一日系人の証言... 二つの祖国を持つ一日系人の証言...
祖国日本を離れて異郷の地で、日夜、ことばや文化の壁に悩まされて、悪戦苦闘している日本人にとって、国際誤解、摩擦は切実な問題であります。


戦後、長く、日米政府の安全保障問題にたずさわってきた講師が明かす証言は多くの方々に興味津々の内容と思います。

戦後の日本人はアメリカ占領軍の統治下で、洗脳され、平和ボケになり、祖国愛を失ったとされています。


その占領軍にいた講師北村氏が語るマッカーサーの呪縛とは!!

日本人はいかにして祖国愛を復活し、かつての美しい日本の品格を取り戻せるか、講師の提言をみたいと思います。



講師:北村サムエル 
プロフィール

日系二世として1927年米国ハワイで生まれる (91歳)

キリスト教の牧師としてハワイで伝道していた父親の転任に伴い、少年時代日本に移住する。

沖縄と名古屋で小中高教育、専門学校教育を受けた後、生まれ故郷ハワイに帰米。


1950年 朝鮮戦争の勃発に伴い、米国陸軍に現役招集され、2年間の情報部隊(MIS)勤務後、大学に復学。ハワイ州立大学で言語学、極東学を専攻して、文学士号、修士号を取得。


1959年より2000年まで 米国国防省の国家公務員として日本に勤務。
主として、渉外、広報、情報の分野で米軍基地及びアメリカ大使館で勤務。
その間、米国メリ-ランド州立大学海外分校の講師として。日本語、日本文化を軍人、軍属に教授してきた。


2000年末、引退を機会に帰米しロサンゼルスに居住、現在に至る。

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講演録(北村氏ご本人により加筆校正して頂きました。)

本日の講演を引き受けた動機が二つありまして、一つはこの席を借りて、新一世の皆さまに祖国日本を離れて異国の地、アメリカで長年、言葉や文化の壁に阻まれながら悪戦苦闘して来られたことへの賛辞を呈すること; もう一つは、二つの祖国の狭間にあって、悩んで来た日系二世の私自身の証言と提言を披瀝することであります。
皆さまは色々の事情で祖国を離れてこの地に来られたことでしょう。勉学、結婚、駐在員勤務、独立自営などなど、100人100様の理由動機で現在に至っていることでしょう。その間、慣れぬ言葉のハンデキャップや文化、習慣の違いなどで辛い思いをされてこられたに違いありません。
ここで、当地在住の鈴木敦子さんの和歌を披露したいと思います。この和歌は2018年の宮中新年お歌会始めに海外から20数年振りに栄えある入選を果たされた和歌であります。

「母国語の異なる子らよ母われに時にのみ込む言葉もあるを」

我が子との会話にすら事欠く外国語の壁、自分の母国語が通じない虚しさ、もどかしさを端的に率直につぶやく母親の心情が見事にこもった名句であります。これはある意味、新一世たちの共通の苦悩を代表してくれている歌だと思います。

親子の間でさえ、生ずる誤解、コミュニケーション不足ですから、ましてや、夫婦間、他人との間、会社間、他民族間、国家間に誤解、摩擦が起きやすいことは容易に頷けることです。国際会議、首脳会談など政治外交の場での通訳、翻訳者たちの責務は極めて重要であります。
一例を申し上げますと、1970年、ニクソン大統領と佐藤首相との首脳会談で、大統領が日本からの過剰な繊維輸出量の削減を依頼する代わりに沖縄の祖国復帰を早めようとの約束を提案した際、首相は「善処します」と答えたとされますが、通訳はこれを“I will do my best “と訳したと言われています。これを聞いた大統領は首相が快諾したと思い込み、日本側の繊維輸出量の削減を期待しましたが、結局それは実現せずに、沖縄返還だけが早まったという経緯がありました。これは誤訳と言うよりは日本語特有のその場しのぎの曖昧表現のなせる不運な例だったのです。
別の例として、1945年7月、連合国側が日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言を提示して来た際、鈴木貫太郎首相はこの提案を当分の間静観する意を込めて「黙殺する」とのコメントを記者団に伝えました。これを、日本の同盟通信社が外国向けの英文で”ignore” (無視する)と訳したのを連合国側は“reject”(拒否する)と受け止めて、日本側に降伏の意思がないと判断して、原爆投下に踏み切ったといわれています。これなどは誤訳以前の言葉の受け止めかた、言葉の選択の不手際さが大きな悲劇、惨劇をもたらしたと思います。
鈴木首相は戦後、自叙伝の中で、この「黙殺」発言は「後々にいたるまで余のまことに遺憾と思う点である」と述べています。
つい最近の例として、安倍総理が今年1月のダボス会議で外国人記者団に語った発言内容が通訳の余分な説明文のせいで誤解を生み、外務省として自前の優秀な通訳を養成すべきだとの要求が自民党外交委員会で出されたそうです。
通常、首脳同士の重要会談の通訳はそれぞれ自前の官僚通訳が担当するのですが、国際会議などの同時通訳の場合は外部の民間企業に外注するのが常であります。
私自身の経験からすれば、ハワイでのアルバイトの新聞記者時代、沖縄、日本内地での米軍基地、アメリカ大使館などでの国防総省公務員時代と、要人のインタビュー、通訳に明け暮れした貴重な思い出がありますが、言葉の重み、言葉からくる誤解、摩擦は身にしみて感じてきました。それと同時に、情報の重要性も痛感してきました。
特に日米戦争の発端にソ連コミンテルンの工作員、スパイの巧妙な暗躍があったことを知るにつけ、情報力の不足がもたらす悲劇に心を痛める思いがしてなりません。日本の戦後に始まった連合国軍総司令部、GHQ の占領政策にもソ連コミンテルンの影響があったとされており、東京裁判、天皇戦犯論、憲法改正、日教組などによる教育改悪化、さらには1億総懺悔、自虐史観、祖国愛の喪失、平和ボケといった 後遺症が今尚、日本人の精神から完全に抜け切っていなことが嘆かわしいことです。
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