2022年8月「原子爆弾の製造と投下後の威力並びに体験談」小松和三(かずそう)氏
<セミナー概要>
僅か一個の爆弾が投下された瞬間、14万人の市民が焼身で死亡、周辺数Kmの数十万の民間人も、摂氏4,000度の熱線で半身、全身を熱傷、77年経った現在もなお、10数名が毎日生命を絶って行く経験者のみが知りうる本当の被曝論。
マンハッタン計画は、ルーズベルト大統領の命令でニューメキシコ州ロスアラモスに研究所を設立しました。原爆製造計画を全く聞かされていなかったトルーマン副大統領が大統領を継承し実験20日後の8月6日を指定し原爆投下命令を下したのです。
講師自身が被爆者であることから、その生々しい実体験を当日会場にお集まりの皆様と共有させていただければ幸いです。
講師:小松和三 (Komatsu Kazuso)氏プロフィール
広島市 出身、 1939年生れ広島県立広島商業高等学校卒業後、銀行で為替課、融資課事務を経て本店企画部で営業企画、支店指導を担当、渡米目的の為7年余りで銀行を依願退職、1965年渡米。
渡米後暫くして当地の加州住友銀行に現地職員として再就職、Los Angelesで南カリフォルニア地域の営業企画担当、1979~ 1990年 Ventura County, Ⅵ bst Los Angeles,Orange County,South Bay地域の支店長職務を12年間務める。
1990年4月、サンフランシスコ頭取室長兼南カリフォルニア業務統括部長、合わせて新店舗開設市場調査並びに支店開設を担当、1990年10月、大蔵省要請により加州住友銀行が公表されていないが、3ヶ月以内に売却されるという超極秘情報を入手、誰も知らない内に即、退職を決意、個人の都合上を理由に依願退職する。
銀行退職後、暫くビジネス コンサルテイングをする傍ら、高齢化社会問題に挑戦し、男性では数少ない介護士にチャレンジ、介護士資格取得の勉強と実地訓練を経て介護士資格取得、渡米当時、個人的に助言支援等受けた人達が高齢となり、入退院、寝たきり等の状態で要介護の人達を恩返しの為の支援、介護個人事業をスタート、介護以外、掃除、洗濯、アイロン掛け、食事料理、入浴、リハビリ、 ドクター訪間、 トイレの世話等全てを担当、十数名の方々限定の在宅介護を務め、皆さんが一人ずつ逝去されて行き最後のお一人を、お勤めした上で事業は辞めました。気付いて見ると自分自身が60歳の高齢者仲間入りしていました。大変なハードワークでしたが、ご本人、家族の方々に大変喜んで頂き、素晴らしい恩返しをする事が出来ましたことは自分の誇りです。医学知識も習得出来、経験が自己自身の健康管理に役立っています。以後は、自身の引退生活を楽しんでいます。
僅か一個の爆弾が投下された瞬間、14万人の市民が焼身で死亡、周辺数Kmの数十万の民間人も、摂氏4,000度の熱線で半身、全身を熱傷、77年経った現在もなお、10数名が毎日生命を絶って行く経験者のみが知りうる本当の被曝論。
マンハッタン計画は、ルーズベルト大統領の命令でニューメキシコ州ロスアラモスに研究所を設立しました。原爆製造計画を全く聞かされていなかったトルーマン副大統領が大統領を継承し実験20日後の8月6日を指定し原爆投下命令を下したのです。
講師自身が被爆者であることから、その生々しい実体験を当日会場にお集まりの皆様と共有させていただければ幸いです。
講師:小松和三 (Komatsu Kazuso)氏プロフィール
広島市 出身、 1939年生れ広島県立広島商業高等学校卒業後、銀行で為替課、融資課事務を経て本店企画部で営業企画、支店指導を担当、渡米目的の為7年余りで銀行を依願退職、1965年渡米。
渡米後暫くして当地の加州住友銀行に現地職員として再就職、Los Angelesで南カリフォルニア地域の営業企画担当、1979~ 1990年 Ventura County, Ⅵ bst Los Angeles,Orange County,South Bay地域の支店長職務を12年間務める。
1990年4月、サンフランシスコ頭取室長兼南カリフォルニア業務統括部長、合わせて新店舗開設市場調査並びに支店開設を担当、1990年10月、大蔵省要請により加州住友銀行が公表されていないが、3ヶ月以内に売却されるという超極秘情報を入手、誰も知らない内に即、退職を決意、個人の都合上を理由に依願退職する。
銀行退職後、暫くビジネス コンサルテイングをする傍ら、高齢化社会問題に挑戦し、男性では数少ない介護士にチャレンジ、介護士資格取得の勉強と実地訓練を経て介護士資格取得、渡米当時、個人的に助言支援等受けた人達が高齢となり、入退院、寝たきり等の状態で要介護の人達を恩返しの為の支援、介護個人事業をスタート、介護以外、掃除、洗濯、アイロン掛け、食事料理、入浴、リハビリ、 ドクター訪間、 トイレの世話等全てを担当、十数名の方々限定の在宅介護を務め、皆さんが一人ずつ逝去されて行き最後のお一人を、お勤めした上で事業は辞めました。気付いて見ると自分自身が60歳の高齢者仲間入りしていました。大変なハードワークでしたが、ご本人、家族の方々に大変喜んで頂き、素晴らしい恩返しをする事が出来ましたことは自分の誇りです。医学知識も習得出来、経験が自己自身の健康管理に役立っています。以後は、自身の引退生活を楽しんでいます。