約120年の日系コミュニティーの歴史を見守り続けている西本願寺ロサンゼルス別院。宗教としての役割以上に日本人移民のための文化センターやコミュニティー・センターの役割を果たし、かつて強制収容所に送られた日系人の家財道具などを収容しておく場所にもなりました。
令和の今もその存在は日系コミュニティーの中で変わらず日本人の心の拠り所であり続けています。
2009年の引退以降も日系社会を見守り続け、また関わり続ている松林ジョージ忠芳氏がリトル東京の西本願寺を中心とした日系社会の歴史やその移り変わりをお話しくださいます。
講師:松林ジョージ忠芳 (まつばやし じょーじ ちゅうほう)氏
〔プロフィール〕
西本願寺ロサンゼルス別院 元輪番
ハワイ生まれ
島根育ち
1960年 本派本願寺ハワイ別院 開教師
1970年 米国仏教団 開教師
1976年 ベニス本願寺別院 開教師
1999年 西本願寺ロサンゼルス別院 輪番
2009年 引退
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米国西海岸には、ロサンゼルス,シアトル、サンノゼ、この3箇所に西本願寺があります。
今回は私がシアトルにいた時に書いたものを最初にご紹介します。
母川回帰:人間はどこか帰るところがあるというのが大切ではないかと思うのです。
ロサンゼルスは136年前に日本人街がスタートしました。
リトル東京にある風月堂が今も残る一番古いお店
そして、1969年、西本願寺は今の場所に移転しました。
それまでは、現在:全米日系人博物館のある場所にありました。
2019年9月4日、息子(Mr.Dean Matsubayashi)が49歳で他界しました。
彼はリトル東京サービスセンターのExecutive Directorとしてリトル東京のための仕事を7年間にわたって務めてきましたが、脳の癌になり、それでも薬を飲んで癌と闘っていました。
彼は亡くなる前に、亡くなった後、小東京に戻ってきたいと、彼の妻に告げていたそうです。
1999年、みんなでリトル東京にある壁画を作成しました。
そこには「小東京はわれわれの心の故郷です」と書かれています。
私も作成にあたり、その一部を担当させてもらいました。
今、リトル東京では、「IBASHO」という活動が行われています。
これは、居場所=溜まり場=帰る場所という活動です。
いただいた命は、皆さんのお力添えをいただいて生きておるということ。
西本願寺には建設された当初、お盆には3000人位の人たちが訪れる場所でした。
西本願寺の納骨堂がある場所には、以前、共同貿易がありました。
そして、共同貿易の創設者の金井紀年氏が亡くなった後は、やはり「帰りたい」というご希望から、
リトル東京にある西本願寺の納骨堂にお入りになりました。
LAの日本人、日系人の帰る場所が、リトル東京なのです。
アーカンサスの収容所からのご遺骨も西本願寺の納骨堂に特別廟室というものを設け、無縁仏として納めさせていただいています。
また、この無縁仏の中には赤ちゃんのご遺骨も多くあります。
これはLAで疫病が流行った時に亡くなった赤ちゃんがほとんどです。
中には日本にお送りした遺骨もあったのですが、受け取り人がおらず、返送され、今もリトル東京の納骨堂に安置されているというものもあります。
人間は縁があるからこそ、生まれて来るのです。
この無縁仏というものはとても悲しいことです。
親鸞聖人が90歳で亡くなる際、このような言葉を仰いました。
我が歳きわまりて、安養浄土(あんにょうじょうど)に還帰(げんき)すというとも、和歌の浦曲(わかのうらわ)の片男浪(かたおなみ)の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。
我なくも法(のり)は尽きまじ和歌の浦
あおくさ人のあらんかぎりは
意味
間もなく親鸞、今生の終わりが来るだろう。一度は弥陀の浄土へ帰るけれども、寄せては返す波のように、すぐさま戻ってくるからな。一人いる時は二人、二人の時は三人と思ってくだされ。
うれしい時も悲しい時も、決してあなたは一人ではないのだよ。いつもそばに親鸞がいるからね
第二次世界大戦時
収容所に連れて行かれる日本人たちが、収容所には遺骨を持って行けないということから、西本願寺に遺骨を預けて収容所に行かれました。
戦後、1945年、西本願寺の門がまた開かれました。
当時、収容所から戻った日本人は帰るところがなく、西本願寺にしばらく滞在されていたということもありました。
またロサンゼルスの仏教会の建物は、臨時ホテルとしてだけでなく、情報交換の場といったコミュニティーセンターとしての役割も果たしていました。
今回はサウスベイ・マネジメントセミナーということで、自分の命をマネジメントするという意味でもお話をしますが、羅府新報に「いただきますと言っていますか?」という記事がありました。
これは、日本で学校の給食費を払っているという親が、子供達に「いただきます」と食前に言わせるのはおかしいという内容のクレームが学校に対してあるのだという永六輔さんのコラムでした。
「いただきます」というのは、生き物の命をいただいて、私たちが生きている、その感謝を表す言葉です。
私たちはいろいろなものによって、生かされているのです。
生きていこうとしても、生きていけないこともあるのが人間。
しかし、こうして「今」生きていられるというのは、本当に感謝したいことなのです。
私の好きな日本一短い母への手紙
○かあさん、褒めて欲しいよ 今日初めてお母さんの五目飯の味が炊けました
○お母さん、お母さん、遠くで見てると懐かしい 近くで見ると腹が立つ でもお母さん大好きだよ
日本人が一番使った言葉で、今は使われる数が減っていると言われている言葉。
「おかげさま」「もったいない」「ありがとう」
私は、この3つの言葉が日本人の指針となっていると思います。
子供達にこれらの言葉を教えて行かないと、親の命も子供の中に生きて行かないと思うのです。
皆さんのおかげで私も今日ここに来て、お話をする機会をいただきました。
本当にありがとうございます。
お声がかからない、必要とされないということはとても悲しいものです。
こうして、お声をかけていただき、やはり人間は周りのいろいろな人に生かされていると思います。
西本願寺はリトル東京にあります。
また皆さんお時間ありましたら、西本願寺にお参りにお越しください。
本日はありがとうございました。