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元 代ゼミ講師 帆糸満 先生、来館!!!

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元 代ゼミ講師 帆糸満 先生、... 元 代ゼミ講師 帆糸満 先生、...





 11月2日(月)に、元・代々木ゼミナール英語科講師の帆糸満先生が練心館に来られました。

 その一週間ほど前に、帆糸先生の息子さんからお電話を頂き、「父が貴方のブログを読んで非常に感激しております」「是非、直接お会いしたい、と申しております」とお話がありました。
 https://jp.bloguru.com/renshinkan/242691/2015-06-23
 そして、帆糸先生ご本人にも電話を代わって頂きましたが、その時は、本当に久し振りに緊張してしまいました。


 当時、「代ゼミ」の人気講師といえば、大教室の教壇の上でエネルギッシュに立ち振る舞う、ステージの上のスターのような存在でした。
 我々受講生は、客席から眩しくステージを見上げるような感じで、良い意味で、教師と生徒の間には圧倒的な距離がありました。
 約30年振りに帆糸先生のお元気な声を聴くことができ、まるで、若い頃に大ファンだったロックスターと直接会話を交わすことができたような、不思議な気持ちになりました。

 今年の1月から、苦手なパソコンと悪戦苦闘しながら、「ブログ」なるものに挑戦してきましたが、この時ほど、「何とか頑張って続けてきて、本当に良かった」、と思えたことはありません。



 当日、帆糸先生は和服をお召しになられ、息子さんとその奥様を伴われ、御年86歳とは思えない矍鑠としたお姿で練心館にお見えになられました。


 お若い頃からずっと剣道を修行しておられ(予科練時代は「薬丸自顕流剣術」もやられていたそうです)、日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)で教鞭を執られていた頃は、大学の剣道部の指導もされていた帆糸先生ですが、20年ほど前より、「子連れ狼」の主人公「拝一刀」の流儀として有名な「水鷗流居合剣法」を始められ、今は「水鷗流」一本に専念され、修行を続けられているとのことでした。
 
 その長年に亘る武道歴からも、私なんぞはもう、「師匠」とお呼びする以外にないような圧倒的な存在です。



 私が帆糸先生の講義を聴き始めたのは、高3の夏休みの夏期講習からでした。


 「大学院を修了して高校教員をしていた」という私の経歴から、私のことを「子どもの頃から良くできた優等生」だったのだろう、と想像される方も居られるようですが、実際は全く違います。
 
 どちらかといえばかなりの劣等生でしたし、出身高校は大学進学実績など殆どない県立の新設校で、自分は、学校創立後3期生でした。
 その中でも成績は下の方でしたし(合氣道部の部長として合氣道だけに青春の全てのエネルギーを捧げるような高校生活を送っていました)、そもそも、「大学進学」というものを自分の進路として具体的に考え始めたのは、他校に通う幼馴染の友人に誘われて、この高3の夏期講習を受講し始めてからでした。

 初めて聴く大学進学予備校、代々木ゼミナールの講義が帆糸先生の英語の授業だったのですが、自分にとっては本当に衝撃的でした。

 始まりから終わりまで、完全にチンプンカンプンで全く理解不能だったのです。

 「世の中の本気で大学進学を目指している同世代の受験生たちは、こんなに難しい勉強をやっていたのか!」と、思い知らされただけでも、いい勉強をさせてもらったのかも知れません。

 その後、「帆糸先生の講義が理解出来る人間になる!」を目標に、2学期以降と一年間の浪人生活の間、帆糸先生の講義を聴き続けました。
 
 もちろんそれ以外にも、同じ「代ゼミ」で、現代文・小論文の酒井敏行先生、古文の椿本昌夫先生、漢文の田中三夫先生、政治経済の吉田一徳先生といった諸先生方にも本当にお世話になりました。

 お陰様で、実質1年半の受験勉強で、40にも満たなかった偏差値を、20以上アップさせることができました。
 今時流行りの「ビリギャル」程ではありませんが、今思い返してみても、我ながら良くやった方だと自負しています。
 しかし、その中でも、帆糸先生の講義は奥深く、難しかったという印象です。

 帆糸先生の英語講義のベースには、それまでの学校の英語の授業とは根本的に方法論や概念の違う、言語学に基づいた、独自の緻密な語法・文法の理論がありました。
 さらに、語彙力の増強には英英辞典を使いなさい、と仰られ、最初のうちは英英辞典の解説を理解するために英和辞典を引かざるを得ず、それが大変な労力を要するものでした。


 しかし今になって、後に自分が高校教員となってから聞かされた、あるベテランの先生(学校長まで務められ、既に一線を退かれた方でした)のお話と関連して、色々と考えさせられるのです。

 それは、「本当に良い授業とは?」という内容のお話でした。


 「本当に良い授業とは、果たして簡単に『わかる』授業なのか?・・・。」
 
 「簡単に『わかった!』となってしまった時点で、人間は、自らの頭で考えることを放棄してしまっているのではないか?・・・。」
 
 「それは単に『思考停止』『判断停止』をしているだけ、ともいえるのではないか?・・・。」

 「人間の脳味噌が一番活発に活動する時とは、『わからない・・・、でも、もっとわかりたい!』と、白でもなく黒でもない、グレーのもやもやしたものに対して、必死に向き合おうとしている時ではないのか?・・・。」

 「本当に良い授業とはむしろ、どこか『わからない・・・、でも、もっとわかりたい!』という、白でもなく黒でもない、グレーのもやもやしたものを、少しだけ生徒一人一人の頭の中に残してやれるような授業ではないのか?・・・。」


 帆糸先生のお陰で、英語の偏差値も当時はずいぶん上がりましたが、一方で、やはり愚鈍な自分にとっては、最後まで帆糸先生の講義は奥深く難解で、どこか「わからない・・・、でも、もっとわかりたい!」と、頭の中にもやもやしたものを残してくれるものだったと思います。





 ところで、以前、ブログのタイトルにもした帆糸先生の名言、「基礎ほど難解なものはない」という言葉は、先生の書かれた参考書『代々木ゼミ方式 帆糸英語一気シリーズ』(代々木ライブラリー)の「はしがき」にも書かれていました(※実家に帰って探し出しました)。

 「丸暗記は空に舞う凧と同じ、一度糸が切れたらもう決して戻って来ない。試験場で『度忘れ』した苦い経験があろう。どんな簡単なものでも、理解し納得して学習せよ。そうすれば、忘れても、理論の糸がたぐれるもので、きっと思い出せる。
 学問の苦手な人の唱えるお経は『基礎』。あたかも『基礎』と唱えていれば『怨霊退散』と信じているかのようである。『基礎』ほど難解なものはない。決して『基礎』と『愚書』とを混同してはいけない。基礎はただ暗記せよと言い、なんらの解説もせず、納得させようとしない本ほど腹の立つものはない。基礎はやさしいものと信じ、そのやさしい筈の基礎ができないと自己をなんと愚かな者かと考えていれば、それこそ『愚の骨張』である。くりかえす、基礎ほど難解なものはない。」
(『代々木ゼミ方式 帆糸英語一気シリーズ』帆糸満 著 代々木ライブラリー)


 大学院修了後、7年間だけ高校の国語科教員となり、ここ10年以上は合氣道の師範となっている自分は、今や、残念ながら、普段英語と接する機会もほぼなく、受験生時代に比べても、英語の学力は相当落ちていることと思われます。

 しかし、帆糸先生からは、合氣道師範としての今の自分の仕事に直結するだけでなく、人生万般にも活かすことのできる大きな教えを授けて頂いたと感謝しています。
 その教えを代表するものこそが、「基礎ほど難解なものはない」だといえます。

 「予備校講師は受験のインストラクターのようなもので、決して教育者などと呼べるようなものではない」と仰る方もいるようですが、自分にとっては、帆糸満先生は紛れもない「教育者」であり、「師」たる存在です。


 日本一有名な合氣道師範で、哲学者・思想家の内田樹先生は、以前、ご自身のブログに次のように書かれていました。

 「知識や技術の伝授という外形的な関係を経由して、『それとは違うこと』を学ぶのが教育である。
 知識や技術は商品化できる。単位も学位も商品化できる。
 けれども、『それとは違うこと』は商品化できない。
 それは師弟の対面的な関係の中で一回的に生起し、師弟二人のほかに誰もが経験することのできない唯一無二の『出来事』だからである。
 誰にとってもその有用性や価値がわかっているものだけが『商品』になる。
 一方、弟子はその師から『私以外の誰にもその有用性や価値が理解されないもの』を学ぶ(そうでなければ、『私』がこの世に存在し、その人の弟子である必要がないからである)。」
(ブログ『内田樹の研究室』、「ビジネスマンに大学は経営できるのか?」2008.1.22より)
※参照 http://blog.tatsuru.com/2008/01/22_1632.php





 当日、帆糸先生とは、トータルで2時間近くもお話させて頂きましたが(つい夢中になって長時間引き留めてしまい、大変申し訳ありませんでした)、最後に、長年気になっていて今回どうしてもお訊きしたかった、ご自身の、戦時中の特攻隊でのことをお伺いしました。

 「お辛い思い出でしょうが、戦争を知らない我々のような今の日本人に、貴重な証言として伝えて欲しい」と言ってお願いしました。


 帆糸先生は、昭和18(1943)年、旧制中学2年生の14歳の時に、海軍飛行予科練習生(予科練)である鹿児島海軍航空隊に入隊されたそうです。

 まずは、当時在籍していた旧制中学校の生徒たちに対して、「誰か志願する者はいないか?」と話があったのだそうです。

 当時の社会情勢下では、「自分は嫌です」などと言おうものなら、「非国民!」と罵られ決して許されるものではない、と皆が解かっており、身体的に問題のない者は、ほぼ全員が半ば強制的に自ら「志願」させられた、ということでした。
 恐らくは、ある者は本当に自らの意志で志願し、またある者にとっては、「空気を読んで」、「嫌々」、「仕方なしに」、「圧力に屈して」志願させられた、ということなのでしょう。 

 あの時代にあった諸々の出来事について、一律に、それは自らの「志願」なのか、それとも他者からの「強制」なのか、白黒はっきりさせようとする議論が、現代ではしばしば行われているようですが、それがいかに無意味なものかを思い知らされるような気がします。

 当の帆糸先生ご自身は、恐らく、自ら進んで志願されたのではないかと思います。

 当時の帆糸少年は、まさに「立派な」軍国少年だったそうで、元々は、旧制中学校ではなく陸軍幼年学校への進学を希望されていたそうですが、受験時の体調の問題から身体検査で落とされてしまったのだ、と仰っていました。

 自ら志願されて入隊した予科練ですが、一番辛かったのは、とにかく自由な時間がなかったことだと仰っていました。
 「一分でもいいから自分の自由な時間が欲しい・・・」という思いは、本当に切実なものだったそうです。

 もしも当時の帆糸先生に自由な時間が与えられたら、後に教育者になられるような方ですから、思い切り勉強や学問がしたかったのではないかと思います。
 恐らくは、「祖国を守る」の一念で予科練に入隊はしたけれども、「本当に自分がやりたいことは、特攻隊員として爆弾を抱えて敵艦に突っ込むことなどでは決してなく、本当はもっと勉強がしたい、学問がしたいんだ」と、幾度も心が揺れ動いたのではないでしょうか・・・。

 そんな予科練時代には、見付からないように便所にこっそりと隠れて、泣いたこともあったそうです。
 しかし、そこを運悪く内務班の班長に見つかってしまい、「隠れてメソメソ泣いとるとは何だ~!」と、こっ酷く怒られてしまったと仰っていました。


 昭和20(1945)年、8月15日の終戦の時点では、帆糸先生は、同じ鹿児島県内にある、水上特攻艇「震洋」の部隊に配属されていたそうです。

 あの、ベニヤ板を張り合わせて作られた貧弱なボートに、爆弾を載せて自ら敵艦に突っ込むという、悪名高き「震洋」ですが、余りにもちゃちな構造ゆえに、洋上の流木に当たっただけで壊れてしまったり、爆発してしまったりと、使い物にならないような代物だったそうです。

 飛び立って出撃するにも、乗る飛行機がすでになく、その後、新たに配属された「震洋」の部隊でも、出撃するにも、すでにボートもない、といった状況であったそうです。
 しかし、そのお陰で自分は生きているんだ、と帆糸先生はしみじみ仰っていました。

 敗戦、武装解除、部隊解散の後は、鹿児島の基地から福岡のご実家まで、ボロボロになりながら歩いて帰られたそうです。





 令和4(2022)年12月12日(月)追記。
 帆糸満(渡部十二郎)先生は、令和4(2022)年11月17日(木)に満93歳で
御逝去されました。
 先生とは実質、高校3年生の夏から一年の浪人生活の間、代々木ゼミナールの講義で生徒としてお世話になっただけの関係なのかも知れません。
 しかし、結果として自分の人生に深く影響を与えた運命的な出会いであり、恩師でありました。
 翻って、後に自分も人の師たることを生業とする身になりましたが、果たして自分は、誰かの人生に少しでも良い影響を与えられているだろうか?と省みてしまう、そんな歳になってきたことも思い知らされます。
 人生での、この帆糸満先生との素敵な出会いに感謝して、心より御冥福をお祈り致します。
 合掌。
#ブログ #合気道 #戦争 #武術 #武道 #特攻隊

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「正を以て合い、正を以て勝つ」ことは可能か?

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 お稽古の中でふと考えたことです。

 合氣道の基本の立ち方として、左足を前にする「左半身」、右足を前にする「右半身」というのがありますが、練心館ではつま先を「ソ」の字に開いて、お臍を中心に「正中線」を真っ直ぐ前に向けるように指導しています。

 実はこの立ち方、古流武術に照らし合わせると、「半身」ではありません。

 日本の伝統的な古流武術では、「正中線」を真っ直ぐ前に向ける姿勢を「向身(むこうみ、むかいみ)」といい、正式な「半身」とは、足を「丁」字、若しくは「L」字に開いて、「正中線」を45度から90度程相手から逸らす姿勢をいいます。

 ですので、練心館でやっている「左半身」「右半身」は、正式には「左向身」「右向身」というべきなのかも知れません。
 しかし、合氣道の世界では、大半の流派が「正中線」をしっかり前に向けた姿勢で、「左半身」「右半身」といっているので、合氣道用語として、今後もこのままでやっていくつもりです。

 一方で、合氣道の動きの中にも、古流武術でいう所の正式な「半身」もあって、練心館ではそれを「撞木足(しゅもくあし)」と呼んで、合氣道の「半身」とは区別しています。



 最近、お稽古をしていてふと思ったのが、日本の武道において、「まごころ」「誠心」というものをしっかりと目に見える形に現したものが、この「『正中線』を真っ直ぐ相手に向けた姿勢」といえるのではないか・・・?、ということです。
 合氣道開祖・植芝盛平先生の言葉にも、「愛のかまえこそ正眼の構えであります。」(『合気神髄』P129)というのがありました。
 そう考えると、古流武術に於ける「半身」いわゆる「撞木足」は、やはり「斜に構える」ということなのか・・・?と、思われてきました。



 「斜に構える」という言葉は、元々は剣術の「脇構え」から来た言葉だといいます。
 現在でも、古流剣術のいくつかの流派では、「脇構え」を「斜(車)の構え」として伝承しています。
 それが、「身構えて改まった態度をする」という意味になり、更に「物事に正面から対処せず、皮肉やからかいを込めた態度、ひねくれた態度で臨む」という意味にも転じてきました。


 
 そこで更にふと思ったのが、この「正中線を真っ直ぐ向ける」姿勢と、「斜に構える」姿勢は、そのままぴったり古代中国の兵法書『孫子』における「正法」と「奇法」に通じるのではないか・・・?、ということです。

 「凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、尽きざること江河の如し。」(『孫子』勢篇第五)
 (現代語訳)「およそ戦闘というものは、先ずは定石通りの正法で会戦し、変化に適応した奇法でこれに打ち勝つのである。云々~。」

 考えてみると、「実戦武術」といわれるような流派・門派の戦闘法は、先ずは「正中線を真っ直ぐ向けた」姿勢で正対し、「斜に構えた」姿勢で相手の懐に入身して制する、といった技法が多いようです。

 個人的には、所詮は戦争などという人間の最も深い罪業の場面で、「いかに相手を打ち負かすか」という観点で書かれた兵法書である『孫子』の教えと、もっと壮大で、人類全ての平和と幸福を理想とした「愛と調和の道」である合氣道とは、相容れないものがある、と考えていますが、実は合氣道の技も、先ずはお互いが「正中線を真っ直ぐ向け合って」正対した所から、「奇」に転じて相手を制するものが多いように思われます。

 言い訳がましく聞こえるかも知れませんが、合氣道において、最初は「正を以て」合いながらも、「奇」に転じるように見えるのは、飽くまでも「相手の氣を尊び」、「相手の立場に立ち」、「相手と一体になる」結果であって、決して「奇」策・「奇」襲を弄して相手を制圧するということではない、とだけは言いたいです。



 何となく心の中がモヤモヤしたままなので、「正を以て合い、正(正中線、まごころ、誠心)を以て勝つ」ということが可能なものは何かないのか・・・?、とあれこれ考えてみた所、お付き合いさせて頂いている剣道家の先生(都内私立大学の教授で哲学者をされています)から以前伺った話を思い出しました。
 
 「長い剣道歴の中で数える程しかないが、お互いが渾身の「面」を打ち合った瞬間、お互いが正対したまま一方の竹刀が一方の竹刀の上に乗り、鎬で相手の軌道を逸らし、鮮やかな「面」が決まる瞬間がある」、と。
 「そしてこの瞬間は、一本を決めた方も決められた方も、言葉では表現できない程の爽快感があるのだ」、と。

 この技法は新陰流では「合撃(がっし)」といい、現代剣道のルーツである一刀流では「切り落とし」といって、奥義とされています。

 古来、日本剣術の奥義とされてきた「合撃」「切り落とし」、そして剣道における理想の「面の一本」こそが、「正を以て合い、正(まごころ、誠心)を以て勝つ」ものであった・・・?、というのは感慨深いものがあります。
 我々の合氣道も、体捌きのベースになっているのは剣術であり、練心館では剣技の型も稽古しています。



 元警視庁剣道主席師範で剣道界の重鎮でいらっしゃる、森島健男先生は、次のように述べられています。

 「かつて剣道には三百もの流派があったといわれるが、その主だった流派は相打ちの勝ちを極意として伝えている。
    いづれかを勝と定めむいづれかを
     負けとも申さむあひのあひうち
 どちらを勝ちと定めどちらを負けと申そうかと迷う程のきわどい相打ちであるが、そこに紙一重の厳しい勝負もあるものだということを歌ったものである。
 山岡鉄舟は、『剣法邪正弁』で『我が体を敵に任せ』と述べている。任せれば恐懼疑惑の迷いはなくなる。相手の出方によって臨機応変。自分を任せるということは自分が死ぬということ、つまり捨て身。心の問題であって技ではない。極限状況において死を決意すればそこに生きる道が開けるということであろうが、容易なことではない。だからこそ各流派が極意としたのであろう。竹刀剣道も極意は相打ちの勝ちである。」
(『日本の伝統 魂をみがく武道 明治神宮 至誠館』 明治神宮社務所編 卓球王国)



 また、陸上自衛隊特殊作戦群初代群長で、現在は鹿島神流師範として明治神宮武道場「至誠館」館長をされている、荒谷卓先生も次のように述べられています。

 「剣では、自分の身を餌に相手の間合いに入って、切らせに行きます。そのきっかけを自分で作れるかどうかが分かれ目で、相手が切ってくるのを待っているようではダメです。相手が動いてからではなく、自ら入身して、相手に切らせる場所とタイミングを自分で作り出すのです。それで相手の攻撃オプションを一つに限定させ、そこに攻撃を加える。相手が‟やった、これでコイツを切れる”と思うまで自分を追い詰める、それが‟入り身”という技と‟捨て身”という精神で、日本の武道で一番大切なところです。」
(『Strike And Tactical』 2010年7月号 カマド)



 森島健男先生が「相打ちの勝ち」と仰り、荒谷卓先生が「捨て身の精神と入り身の技」と仰っていることは、古来、日本剣術の奥義であり、恐らくは、「正を以て合い、正(まごころ、誠心)を以て勝つ」ということに通じるものだと思います。

 しかし、命を懸けた真剣勝負でこれらを実践することは、文字通り「容易なことではない」でしょう。
 
 そう考えると、日本の伝統的武術・武道が打太刀(受け)と支太刀(取り)の一対になって形稽古をすることの意味や、剣道で防具を付けることの効用は、命の危険なく誰もが安全に「捨て身で入り身する」稽古ができる、ということ。
 つまり、誰もが「相打ちの勝ち」を目指し、誰もが「正を以て合い、正(まごころ、誠心)を以て勝ち」にいく稽古ができる、ということではないかと思います。



 純粋に試合に勝つための、スポーツゲームとしてやっておられる方はどうか知りませんが、本来、日本の武道では、自分が100%の力を発揮するだけではなく、相手にも100%の力を発揮してもらうことこそが大事でした。
 
 例えば現在でも、剣道の試合中に、突然相手がよそ見をしてボケーっと考え事を始めたからといって(常識的に考えてそんなことは普通あり得ませんが)、これ見よがしにそこを狙って、渾身の力で相手を打ちのめしたとしても、そんなものが、相手の隙を衝いた理想の「一本」であるなどとは、誰も認めてはくれないでしょう。
 
 相手にも100%の力を発揮してもらうということは、捉えようによっては、それは敢えて自らを危険に晒すことです。
 これはまさに「捨て身」になることにも通じ、武士道精神としては、潔く、美しいものだと言えます。

 しかし、これを実戦で応用できるのは特殊部隊の突入作戦や、圧倒的戦力差がありながらも、護身のため起死回生を狙うギリギリの状況下であって、飽くまでもこれは、国家レベルでのリアルな戦争の常套手段とすべき方法ではないでしょう。



 これは飽くまでも個人的な見解ですが、70年前の先の大戦では、「武士道精神の潔さ、美しさ」と「戦争のリアリズム」との間に、大きな齟齬があったのではないかと感じています。
 日本人に馴染んだ「武士道精神」に則って、実戦の場でも、どこまでも人間の崇高な精神を重視し、信頼しようと試みた結果、却って非人間的な悲劇を生んでしまったということに、歴史の皮肉を感じざるを得ません。



 「戦争のリアリズム」に則した実戦の戦闘法は、やはり、海外の実戦武術や勝利至上主義のスポーツなどでは常套手段となっている、「相手の力を1%も発揮させずに、こちらだけが一方的に100%の力を発揮して相手を打ち負かす」ということだろうと思います。
 現在、その究極の姿が、アメリカ軍などによるドローンを使用した一方的な攻撃だといえるでしょう。
 しかし、日本人の「武士道精神」から見ると、それは「卑怯」極まりなく、決して受け入れ難いものです。



 結局、やはり日本の「武」は、実戦で相手を打ち負かし勝利するための、合理的な戦闘術・制圧術としての「武術」などでは決してなく、人間を磨き、心を磨き、魂を磨く「武道」である、ということだと思います。
 
 そしてやはり、日本の「武道」の神髄は、平和の中でこそ活きるもの、だと思います。

 平和な世の中で、一人一人の人間が、潔く、美しく、生きるためのヒントになるもの。
 それこそが、日本だけが生み出すことのできた、世界に誇るべき精神文化である、「武道」ということだと思います。



 自分も、せめて「人生」の中においては、時には事に臨んで、「正を以て合い、正(まごころ、誠心)を以て、捨て身で入り身」できる人間になりたいものだと思っています。



 何だか今回は、『孫子』を引用したせいなのか、話が終始「実戦」とか「戦争」とかいった殺伐としたものになってしまってすみません。
#ブログ #合気道 #武術 #武道

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無償の遊戯性

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 10月3日(土)の夜、NHK・Eテレ「SWITCHインタビュー達人達」という番組で、言わずと知れた「さかなクン」と、静岡文化芸術大学教授で歴史学者の磯田道史先生の対談が再放送されていました。

 実は自分、「さかなクン」の大ファンでして、当初、7月下旬に放送された時もしっかりと番組をチェックしていました。

 テレビで「さかなクン」を視ていると、微笑ましく、羨ましいような、憧れるような、不思議な気持になります。
 彼の、自分が大好きなことに、とことん夢中になりながら、生き生きと目を輝かせて、楽しそうにお魚の話をする姿は、視ているだけで幸せな気持になります。
 それに、「さかなクン」を視ていると、「この人は、つまらぬことで腹を立てたり、人を怨んだり、妬んだり、一切しないんじゃないか・・・?」とまで思えてきます。
 もちろん、彼も人間ですから、我々の知らない所で、人知れず悔しい思いをしたり、腹を立てたりすることもあるのでしょうが、人前ではそんな所を微塵も感じさせないのが格好良く、憧れてしまいます。


 
 一方、対談相手の磯田道史先生は、映画化もされた『武士の家計簿』の著者で、子どもの頃からの筋金入の、自他共に認める歴史「オタク」だったそうで、「さかなクン」に対しては、「自分と同じ匂いがする」と仰っていました。
 それは例えるならば、「虫取り網を持って蝶をどこまでもどこまでも追い続けていた結果、いつの間にか、誰も到達したことのない山の高みにまで来てしまった」ようなものだとも仰っていました。



 そんな、分野は違えど一つの道を窮めんとする二人の対談は、合氣道の道を窮めんと日々精進する自分にとっても、大変勉強になるものでした。



 対談の中で、磯田先生は、所謂「オタク」である両者に共通する行動原理として、「無償の遊戯性」というキーワードを使って説明しておられました。

 「無償の遊戯性」で行動する人間にとっては、結果の損得は関係なく、ただ楽しいからやる、むしろ遊びとしてやる、のであって、この「無償の遊戯性」を江戸の言葉で言い換えるならば、それをまさに「道楽」というのだそうです。

 思わず目から鱗が落ちる思いとはこのことでしょうか。

 昔から「道楽」という言葉は、物好き、放蕩、不品行といったマイナスイメージで語られることも多かったと思いますが、「道楽」とは、まさに「道」を「楽」しむと書くわけで、武「道」も合氣「道」も、どうせやるなら「道」を「楽」しんでやれたら、それは理想的ではないかと思います。



 更に磯田先生は学者の立場から、こんなことも仰っていました。

 「無償の遊戯性」を持って研究している人は、「一生懸命労力をかけて研究しても、成果が得られなかったらどうしよう・・・」などとは決して考えず、ただ楽しいからやるのである、と。
 そして、研究者には、成果や損得で考えてしまうと、どうしても乗り越えられない壁が存在するのだと。



 これは合氣道修行にもぴったり当てはまることだと思います。

 練心館を含め、現在、世の中の殆どの道場が級・段位制を採用していると思いますが、級・段を取得するために必死に頑張るような努力の仕方は、全くの初心者のうちは確かに一定の効果があります。
 しかし、いつまでもそのような成果や損得を求める姿勢での取り組み方を続けていると、目に見える判り易いものしか求めなくなってしまい、結果、中身のない形骸のようなものになり果ててしまうことが多いようです。
 むしろ、本当の実力とは、丹田や氣の感覚、心身統一といった、形に現われない判り難いものの中にこそあるのであって、稽古を通じて、そうした本質的なものを構築していくためには、試行錯誤を繰り返しながら探究していく過程である「道」そのものを「楽」しめるようでなければなりません。


 
 また、この「無償の遊戯性」というキーワードは、あらゆる分野で「ブレイクスルー」を達成するための条件だとも言えるのではないかと思います。

 私は専門家ではないので決め付けることはできませんが、絶滅種とされていたクニマスの発見も、学界の常識に囚われない、在野の研究者であり、「無償の遊戯性」を持って「道」そのものを「楽」しんでいた「さかなクン」がいたからこそ、達成することのできた「ブレイクスルー」ではないかと考えます。

 今後、あらゆる分野で「ブレイクスルー」を達成できるような人材を育てようとするなら、必要なのは熾烈な競争原理と成果主義などでは決してありません。

 「無償の遊戯性」を持って「道」そのものを「楽」しめるような人間を、温かく見守ってやれる社会、これで十分なのではないでしょうか?
 少なくとも、そういったタイプの人間にとっては、高額な報酬も、特別な待遇もあまり興味の無いことなのではないかと思います。



 番組の最後の方で「さかなクン」も素晴らしいことを仰っていました。

 (彼らのような)オタクと呼ばれるような人たちは、自分自身が納得するためにひたすら追究し、そこで色々なことが見えてきて、色々な喜びを得る。
 しかし段々と、「自分一人だけで自己満足しているのがもったいない」と思うようになってくるのだと。
 そして、自己満足している段階ではまだアマチュアの域を超えないけれど、「この感動を誰かと共有しないともったいない」と思うようになってくると、それが仕事に繋がったりもし、アマチュアからプロへと変化していくのだと。



 私事で恐縮ですが、10年前、自分が練心館の館長を継いだ時の気持ちが、まさにこれでした。

 「さかなクン」が、かつての自分の思いを代弁してくれている。

 そう考えると、特に魚に関して詳しくもない自分が、何故か「さかなクン」に惹かれてしまうのは、磯田先生と同じように、「自分と同じ匂いを感じてしまう」ということがあるのかも知れません・・・。



 話は変わりますが、以前は、よく周りの人たちに冗談で、「自分は合氣道界の内村鑑三になりたい」などと言っていました。
 
 内村鑑三は、立派な教団組織や立派な教会の建物がなくとも、純粋に信仰に生きることは可能であるとし、「無教会主義キリスト教」というものを提唱しました。
 しかし一方で、彼は既存の教会を否定することは決してしませんでした。
 無教会主義は決して反教会主義ではない。
 そこが内村鑑三の素晴らしさであると個人的には思っています。

 合氣道練心館も、大きな組織や立派な建物はなくとも、純粋に合氣道の奥義を追究することは可能であるとする、言わば、「無団体主義合氣道」を目指しています。
 そして私たちも、既存の合氣道団体、組織を否定することはしません。
 それぞれがそれぞれに、天から与えられた大切な役割があり、それらを全うすることが天から与えられた使命だと考えます。



 近頃は、「合氣道界の内村鑑三」に加えて、もう一つ、「自分は合氣道界の『さかなクン』になりたい」というのを追加しようか?と考えています。

 自分も、「無償の遊戯性」を持って、「道」そのものを「楽」しむことで、いつの日か「ブレイクスルー」を達成できたら・・・、本当に素晴らしいと思いました。



 最後に、最近、「さかなクン」のことを改めて見直したエピソードを紹介します。



 今年の夏は、太平洋側の海水浴場のあちこちでサメが出没し、遊泳禁止になったり、防護ネットを設置したりと、色々と騒動になりました。

 そんな最中、夜遅くNHKの「NEWS WEB」に「さかなクン」が出演し、コメントを求められていました。
 
 自分はてっきり、「どうやったら恐ろしいサメから身を護れるか」とか、「どうやったら獰猛なサメを撃退できるか」といった話が聞けるものだと身構えていました。
 コメントを求めたキャスターもそういう意図だったのではないかと思います。

 ところが、「さかなクン」のコメントはその期待を見事に裏切ってくれるものでした。

 「さかなクン」曰く、
 「サメちゃんは、人間がこの地球上に現われる遥か昔の太古の時代から海に棲息している、言わば海の大先輩であると。」
 「サメちゃんは、確かに危険な魚かも知れないが、無暗矢鱈に人間を襲ったりは決してしないのだと。」
 「なので、徒にサメちゃんを悪者扱いし、嫌ったりして欲しくはないのだと。」



 サメ(ちゃん)に対する「さかなクン」の、愛に溢れるコメントを聞いて、自分はまたもや、目から鱗が落ちるような思いがし、心の底から反省しました。

 考えてみれば、海はもともと人間のためというよりは、魚たちが棲息するためのフィールドであり、そこに人間にとって都合の悪い魚が現われたからといって問題視するのは、まさに人間の身勝手というものでしょう・・・。

 自分は合氣道師範をしていますが、合氣道の大切な教え、「万有愛護の精神」は、少なくとも、自分なんかよりも「さかなクン」の方がよく解かっていらっしゃる、と猛省させられた次第です。
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仏教の二重構造 合氣道の二重構造

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 ほぼ3カ月振りの投稿です。

 そして話はやはり3カ月程前のことになってしまいますが、深夜にNHKのEテレで放送していた番組を視て、合氣道のことについて色々と考えさせられました。

 それは、普段は水曜日の夜10時から放送されている「100分de名著」という番組で、その時は『ブッダ最期のことば』というタイトルで、全4回が一挙再放送されていました。
 内容は、お釈迦様の最後の教えと言われている「涅槃経」を、仏教学者で花園大学教授・佐々木閑先生の解説で分かりやすく説くものでした。

 その中で佐々木先生は、「仏教の二重構造」という話をされていました。

 この「二重構造」というものは、合氣道の世界にもぴったり当てはまるものであり、この「二重構造」を、何とか一つにまとめて解消できないものか?というのが、ささやかながらも自分の長年の問題意識でもありました。



 佐々木先生の仰る「仏教の二重構造」とは、一方が「出家修行者(※修行者集団である、サンガ・僧伽)」であり、一方が「在家信者(一般社会)」というものです。

 「出家修行者(サンガ)」の目的は、修行によって、煩悩を吹き消した状態である「涅槃」、いわゆる「悟り」の境地に入ることであり、それは、普通の人間社会では叶わない「特別な生き甲斐」を求めることだとも言えます。

 一方、「在家信者(一般社会)」の目的は、「布施(善行)」を行うことで、いわゆる仏教思想「因縁果報」でいうところの、よき「果報」を得ることだと言います。

 普通ならば、「在家信者(一般社会)」の側だけで人間社会は成り立っているのですが、彼らは敢えて「お布施」をすることで、「出家修行者(サンガ)」の人々の生活を支え、その代わりによき「果報」が得られると信じる。
 一方で、「出家修行者(サンガ)」は「在家信者(一般社会)」が納得するような立派な修行の姿を見せて、満足を与える。

 佐々木先生は、この「二重構造」こそが、この世にある、あらゆる「生き甲斐」を追求する社会・組織のあり方だ、と仰っていました。
 そして、今までに無いような新しい文化を生み出せる人たちは、「出家修行者(サンガ)」のような、一般社会の文化の価値観の外側にいる人たちである、とも仰っていました。



 この世にある、あらゆる「生き甲斐」を追求する社会・組織は、この「二重構造」で成り立っている。

 何となく解かるような気がします。



 数年前、パワースポットブームというものがありました。

 どこそこの神社やお寺にお参りすると、運気が上昇するとか、宝くじが当たるとか、素敵な恋人ができるとか、色々と喧伝され、場所によっては、あまりに大勢の人が押し掛けてしまい、問題にもなっていました。
 テレビでは、経済アナリストと呼ばれる人たちが、パワースポットブームによる経済効果は云々で実に素晴らしい傾向である、などと評価していました。

 しかし、当のパワースポットブームの仕掛け人(?)ともいうべき、そして「パワースポット」なる言葉を世に知らしめた張本人である、かの江原啓之さんは、そんなブームをやや苦々しく語っていたのが印象的でした。

 パワースポットとは、本来、神仏の前で、自分が更に努力・精進します、と決意を固めるために行く場所であって、お金や異性、名誉や出世などの現世利益を求めて行く場所ではない、とのことです。

 しかし、皮肉にも、そうした現世利益を求める人々が大勢押し掛けることによって、多くの寺社仏閣が潤い、組織運営面では支えられた、というのも事実でしょう。
 
 まさに、パワースポットに集う多くの人々=「在家信者(一般社会)」の目的は、お参りしたり御札や御守を買う=「布施(善行)」を行うことによって、現世利益=よき「果報」を得ようとすること。
 
 一方で、江原啓之さんのように「スピリチュアリスト」と呼ばれるような、ある種の「出家修行者(サンガ)」に属するような立場の人にとっては、神仏の御前で己の更なる努力と精進を誓うといった、俗世間では得られない「特別な生き甲斐」こそが魂の喜びであり、そういった意味でもパワースポットを訪れることには深い意味がある、ということなのでしょう。



 合氣道の世界も、まさにこの「二重構造」で成り立っているといえるのではないでしょうか。



 今や合氣道は、日本中、世界中の人々に広まっていますが、そうやってお稽古している人々のその大半は、合氣道とは、相手を投げ飛ばして抑え込んでやっつけるための技だと思っている、という実情があるのではないでしょうか?
 本来、合氣道はそんなものではないのですが、こういった状況は結果として仕方なく生まれてしまったものだと、個人的には思っています。



 世間一般では、武術・武道とは、鍛えて鍛えて「強く」なって、その「強さ」に物言わせて相手をやっつけるものである、という認識が多いようです。
 しかし、己の「強さ」を根拠にして他者を制圧する、ということが成功する場合、それが成功するのは、間違いなく相手の方が「弱い」からである、という図式が成り立ちます。
 スポーツゲームの試合では、それでお互いが正々堂々とぶつかり合い、遊びとして勝敗を競うものなので構いませんが、その方法論を実社会で実践することが、いわゆる「弱いものいじめ」だと個人的には考えます。

 そもそも、古来「武術」に於いては、「強くなる」という発想はなかった筈です。

 ルールも審判も制限時間もない戦闘では、襲撃する時は、武器や人数を最も「強い」安全な状態に、準備万端整えてから行うのが理想であり、逆に襲撃される時は、武器や人数なども含めて、最も「弱い」状態の時が一番狙われました。
 つまり、命を懸けて戦わざるを得ない状況に追い込まれてしまった時とは、基本、相手のほうに分がある状態であり、そういった絶体絶命の状況下、何とか命だけは守れぬものか、という場面で「術」というものが要求され、そこから「武術」というものが発展してきたと言えます。
 
 「強くなる」ではなくて、そもそもの初期設定が、自分のほうが「弱い」から始まります。

 その結果、「武術」では表面的な「強さ」ではなく、全く「質」の違う身体操作や、「心法」としての精神性が発達しました。

 そして時は流れ、開祖・植芝盛平先生は、「武術」の「質」を土台にして(※魄)、その上に、闘争という低次元の世界から脱却した、愛と調和の花を開かせる(※魂)、真の「武道」、合氣道を創始されたのです。



 しかし今、この植芝盛平先生の高尚な合氣道の思想は、合氣道を習う多くの一般の生徒さんたちや各学校のクラブ活動の部員さんたちには、なかなか理解されていないのが現状ではないでしょうか?



 戦後、合氣道は日本中、世界中に広く大きく発展しました。

 しかし、入門者の中には、安易な闘争術・制圧術としての「強さ」を求めている者も多く、組織を大きく維持するため、有体に言えば、顧客満足度を高めるためにも、手っ取り早く相手を痛め付ける技を教えたり、ポンポンと簡単に昇級・昇段させたりせざるを得ない、という現状があることは否めないと思います。

 一方で、合氣道の世界には、依然として、尊敬すべき素晴らしい師範・先生方も数多くいらっしゃいます。こういった先人たちの深みのある言葉から、私自身、いつも多くを学ばせて貰っています。
 そして、これらの先生方に共通する特徴として、心の修行にこそ重点を置かれておられ、安易な闘争術や制圧術などには殆ど興味がないように感じられます。

 高名な師範や先生方は、仏教に譬えるならば、言わば「出家修行者(サンガ)」の側の人々であり、彼らの目的は、修行によって万有愛護の心を持ち、延いては己自身を宇宙そのものと一体化すること。つまり、俗世間では叶えられない「特別な生き甲斐」を求めて、日々精進されていると言えます。

 逆に、一般生徒の多くは「在家信者(一般社会)」の側の人々であり、彼らの目的は月謝という「お布施」によって組織・団体という「サンガ」を支え、その代わりに「強くなる」という「果報」を得ようとする、といった所でしょうか・・・。



 前述した仏教学者、佐々木閑先生は、世の中にある、あらゆる「生き甲斐」を追求する社会・組織はこの「二重構造」で成り立っており、これが正しい在り方なのだとも仰っていました。

 しかし実は、10年前、私が練心館の館長を継いだ時、心に描いた理想が、この「二重構造」を何とか一本にまとめられないものか、というものでした。

 そして最近、手前味噌な言い方で甚だ恐縮ですが、練心館のような小さな道場だからこそ、この「二重構造」は解消できるのではないか、と思えるようになってきました。

 大勢の人が集う巨大組織ならいざ知らず、練心館のような少人数の小さな道場では、師範と生徒の距離が近く、何事も細かく丁寧に教えることができます。
 
 開祖である植芝盛平先生の説かれた教えを尊重するならば、合氣道の道場とは、俗世間では得られない「特別な生き甲斐」を求め、それが得られる、修行者集団「サンガ」のような場所であるべきだと考えます。

 そういった意味では、道場という組織・集団に「二重構造」があるのではなく、先ずはそこに集う人々、一人一人の内面にこそ、二つの世界(「二重構造」)を持ってもらうことが先決です。

 普段は企業戦士として、あるいは受験生、就活生として、熾烈な競争社会の中で必死に戦っているような人でも、一歩道場の中へ足を踏み入れれば、そこでは勝ち負けとか強い弱いとかいった、俗世間の価値観から解放され、「万有愛護」「我即宇宙」といった普通の人間社会では叶わない種類の、「特別な生き甲斐」が得られる。
 
 練心館も、そんな場所として完全に機能することができたとしたら、合氣道の道場としては、まさに理想的ではないかと思います。



最後に、合氣道開祖・植芝盛平先生の言葉を引用します。

 植芝の合気道には敵がないのです。相手があり敵があって、それより強くなりそれを倒すのが武道であると思ったら違います。
 真の武道には相手もない、敵もない。真の武道とは、宇宙そのものと一つになることなのです。宇宙の中心に帰一することなのです。合気道においては、強くなろう、相手を倒してやろうと練磨するのではなく、世界人類の平和のため、少しでもお役に立とうと、自己を宇宙の中心に帰一しようとする心が必要なのです。合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道であり愛の道なのです。(『武産合氣』P192)

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基礎ほど難解なものはない

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 前回の続きです。

 たしか前回、
 「合氣道の修行も、主体性を持って、自分のどこをどう直して、どこをどう伸ばして行くべきか、きちんと目標を定めて、真にやる気を出して精進して行けば、いずれは、最初に習った地味な『基礎・基本』の中にこそ、究極の『奥義』が隠されている、という事実を思い知らされる。」
 そんな意味のことを書きました。



 練心館では今、年に二度(6月末と11月末)行われる昇級審査に向けての稽古の真最中です。
 そしてこの時期になると、毎回、しみじみと感慨深く思い知らされるのが、「やっぱり『基礎・基本』=『極意・奥義』なのだなぁ・・・」、ということです。

 そして必ず、そのことを最初に「熱く」教えてくれた、ある先生のことを思い出します。



 その先生というのは、今から30年近く前に代々木ゼミナールの‟個性派”名物英語講師だった、帆糸満(ほいとまん)先生です。

 帆糸満というのは本名ではなく、アメリカの詩人Whitmanから取ったペンネームで、本名は渡部十二郎先生と仰られました。
 この文章を読んで下さっている方の中に、帆糸先生の教え子は居られるでしょうか?
 私も「オクスフォード現代英英辞典(OALD)」片手に悪戦苦闘しました。今となっては本当に懐かしい思い出です。



 帆糸先生の名言として、「基礎ほど難解なものはない!」というのがありました。

 凡そ学問において(それが受験勉強であっても)、「基礎」とか「基本」と呼ばれるものこそが最も奥深く、難解なのである、と。
 しかし、世間では「基礎」や「基本」は簡単なものであるという誤った認識がまかり通っており、そうやって根本的な勘違いをしたまま、簡単であるはずの「基礎」や「基本」で躓いてしまう自分を嘆いたり、失望したり。
 それこそまさに、愚の骨頂である、と。



 今になって考えてみると、自分は、帆糸先生から、自分が思っている以上に大きな影響を受けているのではないか?、と思います。
 受験が終わってから、なぜだか自分でも解らないけれど、唯一、お礼の挨拶に伺ったのも確か帆糸先生だけだったと思います。
 代ゼミの大教室で、向こうはこちらのことなど覚えているわけはないのに・・・、です。



 帆糸先生は剣道家で、戦時中は少年飛行兵として特攻隊の訓練を受けていた、と聞きました。

 そんな先生は、戦争というものを心の底から憎んでおられました。
 一度は「祖国のために命を捧げる」と腹を括った人間が、その後、戦争というものがいかに愚かな行為か、切々と訴えているのを見て、18歳だった自分は、「理由は何だかよく判らないけれど、この人の言葉は真に信用に値する」と感じていました。
 そして、自分のような、戦争の惨禍を身をもって経験せず、戦後の豊かで平和な日本に生まれ育った人間が、口先だけで勇ましいことを言うのは絶対に許されない、それこそが真の「平和ボケ」である、と自分を戒めたのを今でもはっきり覚えています。

 戦後70年経ちました。
 時代の変化とともに国の形も変わって行くのは、致し方ないことなのかも知れません。
 しかし、いつの頃からか、口先だけで勇ましいことを言う、真の「平和ボケ」が、日本中であまりにも増えてきたように感じます。
 今、帆糸先生ならどうお感じになられるか?、とても気になるところです。



 同じように、この日本において、武術・武道の世界でも、徒に、勇ましく「実戦」などという言葉は使用すべきではない、というのが私の個人的な考えです。

 勿論、私は未だかつて、武道の技を「実戦」で使ったことはないし、今後も使いたくもありません。


 思い返せば、過去に、電車の車内暴力を止めたことはありますし、高校教員時代に、生徒指導上必要に迫られて、反抗・抵抗する男子生徒を合氣道技で制して(※飽くまでも無傷で、です!)連行する、といったことはありましたが、そんなものは絶対に「実戦」などと呼べるものではありません。

 「実戦」とは、殺意を持って襲撃してくる「敵」を、こちらも殺意をもって制圧し、止めを刺すことです。あるいは、逆に、こちらが止めを刺される可能性も大きいでしょう。
 アクション映画のように格好のいいものなどでは決してなく、スポーツ格闘技のように痛快なものでもなく、「命の重さ」という大切な「人間の尊厳」を最も踏み躙る、極限まで汚く、恐ろしく、悲しいものです。

 治安の悪い国で活躍されている海外の武術家の中には、本当に「実戦」経験の豊富な方も数多くいらっしゃるようですが、せっかく平和に過ごしている日本人が、そんなものに憧れたりするのも、ある意味、「平和ボケ」だと個人的には思っています。

 「実戦武術」のような、場合によっては、人間性までもを歪め兼ねない殺伐としたものは、できることなら海外の武術家たちに任せておいて、「和」の国で暮らしている我々日本人は、崇高な精神性を重んじる、人間修行の道である「武道」こそを、我が国の誇りとして世界にアピールしていくべきではないでしょうか・・・。



 何だか話がどんどん脱線してしまったようなので、元に戻します。



 帆糸先生は、学問において、「基礎ほど難解なものはない」と仰いましたが、これは武術・武道の修行においてもぴったり当てはまることです。

 さまざまな流派・門派の多くの師範・先生方が、その道の「基礎・基本」と呼ばれる形や鍛練法の中にこそ、究極の「奥義」が隠されている、と仰っています。

 空手では「ナイファンチ」や「サンチン」、あるいは「ピンアン」。八卦掌では「走圏」。意拳では「站椿功」。鹿島神傳直心影流では「法定」。天真正伝香取神道流では「表之太刀」。新陰流の「合撃」や一刀流の「切落し」、薬丸自顕流(野太刀自顕流)の「抜き」と「蜻蛉の構えからの続け打ち」、等々、言い出したら限がありません。



 練心館では、大人の場合、最初の昇級は伍級の審査からです。
 なので、伍級の独習技(一人型)と組技(形)の中にこそ、合氣道の奥義が隠されている、と言えます。

 しかし、より厳密に言えば、合氣道開祖・植芝盛平先生が「合氣道に形はない」と仰っているように、形のない「心身統一と氣の原理」にこそ合氣道の本質があるわけで、具体的な形を持った技の数々は、その本質を宿すための、ある種の「依代」のようなもの、というのが正確なのかも知れません。

 ともあれ、我々合氣道修行者にとって、最初の山であり、最初の壁でもある「基礎・基本」。これがこの先ずっと目の前に立ち塞がる一生のテーマになるであろうことは間違いありません。


 だから、合氣道の昇級を、今時流行りの「ゲームのステージ〇〇をクリアする」というような感覚で捉えては絶対にいけません。

 伍級を取ったら次は肆級、そしてその次は参級、弐級と昇級を目指して行くことになりますが、たとえその後、段位を取ったとしても、それは「級」のステージを完全にクリアした証だ、などという意味では決してありません。


 修行の過程で、伸び悩むというようなことがあったとしたら、それは理由は簡単です。
 「基礎・基本」ができていないからです。


 もしも長い修行の果てに、合氣道の奥義を体得する、というようなことがあるとしたら、それは、「基礎・基本」を揺るぎない完璧なものに仕上げることに成功した、ということだと言えると思います。



 ある意味で、最近は良い時代になりました。
 最近、「Youtube」で色々な合氣道の動画を視ていたら、その中の一つで、藤平光一先生が素晴らしいことを仰っていました。

 曰く、「たくさんの技を覚えるよりも、一つでも二つでも良いですから、本当に心身の理に適った、正しい技を学んでもらいたい。」、と。

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やっているつもりが「やらされて」いないか?

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 今となってはもう二か月前の話になってしまいましたが、例の、4月6日(月)放送のテレビ朝日「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺 3時間スペシャル」の中で、やはり、高野山真言宗、功徳院住職の松島龍戒さんが、心に残る言葉を仰っていました。

 曰く、「修行とは、やらされるものではなく、やりたいと思うもの。やる気を出して、やりたいと思わなければ、5年やろうが10年やろうがあまり身にはならない。(そうやって修行を)究めていく事で、やがては道端に咲いている草花からも、ありがたい仏様の教えを感じ取れるようになろうとする。これが修行の心である。」と。



 合氣道の修行も全く一緒であります。

 先ずはやる気を出して、主体性を持って、稽古の中で自らの課題を克服して行かなければ、5年やっても10年やっても身にはなりません。
 そして修行を究めて行けば、実は一番最初に習った、基礎・基本と呼ばれる、一見地味なものの中にこそ、求めていた合氣道の極意・奥義が見て取れるようになってくる、そういうものです。



 しかし、最近つくづく考えさせられたのは、現代人は、自分ではやる気を出して主体性を持ってやっているつもりでも、実際は、「やらされている感」が染み付いてしまっていて、単なる「やっつけ仕事」「ルーティンワーク」でやっていることが多くないだろうか?、ということです。
 
 私自身も含めて、大人も子どもも、もう一度、自身を疑ってみるべきではないだろうか?、そんなふうに思うのです。



 私たちのような多くの現代人は、子どもの頃から、学校の時間割に代表されるような、きっちりとスケジュールを組まれた中で、管理され、その中で常に点数を付けられ、競争させられてきました。
 大人になってからも、余程の自由人でもない限り、常にスケジュールに管理され、場合によってはノルマを課せられ、競争にさらされているのではないかと思います。


 今更ながら、「現代人は少し忙し過ぎるのではないか?・・・」と思ってしまいます。


 それは、実質的に過去に比べて労働時間がどうこう、という問題ではありません。
 現代社会は、世の中のあらゆるものが高度にシステム化され、情報過多になり、純粋に「今」という時間を味わって生きようにも雑音ばかりが騒がしく、真に無心になって、心を研ぎ澄まし、何かに集中するということが、本当にやり難い時代になってしまったのではないか、ということです。



 何年か前に、学習塾のテレビCMで「やる気スイッチ」なる言葉が流行っていました。

 人間にとっての本当の「やる気スイッチ」は、本来、管理されたスケジュール通りに進むことや、ノルマを達成すること、競争に勝つこと、とは関わりのない所で入るものだと思います。
 それは時に人間を、寝食を忘れて没頭させたり、誰にも認めてもらえなくても、「好きだから」という理由だけで夢中にさせたりするものだからです。

 内田樹先生がよく、「利益誘導では人間の持つ最高のパフォーマンスは引き出せない」と仰っていますが、残念ながら現代社会では、「勝つため」「得するため」「儲けるため」みたいな動機付けがもはや常套手段になってしまっています。
 これでは、人間の魂の底から湧き出る「やる気スイッチ」は、決して作動することはないのかも知れません。



 ところで、合氣道のような武道の形稽古で、どんどん実力が向上し、伸びていくということは、一体どういうことでしょうか?

 それは、今まで何百回何千回と繰り返し、これからも限りなく繰り返していく「形」が、外形はほとんどそのままでも、中身が質的に変化していく、ということだと言えます。
 そしてこの場合の「中身の質」というのを、より具体的に言えば、「心身統一と氣の原理」ということになります。


 この「質的な変化」は螺旋階段のイメージに例えることができます。

 螺旋階段は、真上(或いは真下)から(2次元的に)見れば、同じ場所をぐるぐる回っているだけです。
 人によっては、「何十年も同じ『形』を繰り返すだけで、全く進歩がない」とか、「もっとたくさんの技を習えるようにしてくれなきゃ面白くない」などと言うかも知れません。実際のところ、忙しい現代人で、武術・武道の本質が解っていない人(※我々の世界では「テクニックのコレクター」と揶揄されます)ほど決まってそう言います。
 しかし、横から(3次元的に)見ることができれば、常に向上し続けており、長年稽古を積み重ねれば、遥か上に到達していることが判るのです。

 よく、武道の形を、初めはゆっくりしかできなかったものが、すらすらスピーディーにできるようになったから実力が向上した、と考える方がいらっしゃいますが、それは全くの見当違いです。
 どんなに物理的に速く動けるようになっても、中身の質的変化がないようなら、残念ながら全く進歩していないのです。



 話を元に戻しましょう。

 私たちが、常に新鮮な気持ちで、やる気を持って修行を続けられるようになるためには、できれば「中身の質的変化」、つまりは「自身の成長」が自身できちんと判るようになることが望ましいのです。

 これが、確かに現代人には難しいのかも知れません。
 しかし、ちょっとした発想の転換が、取っ掛かりやヒントになるのではないかと考えます。

 要は、「目に見えるものや分かりやすいものばかりに囚われない」ということだと思います。

 まずは「心身統一と氣の原理」を学ぶための稽古である、ということを忘れずに念頭に置き、心を研ぎ澄まし、感性・感覚を研ぎ澄まし、形稽古の「形」を存分に味わうようにすれば、だんだんと技の「味」が判ってきます。
 かつて、この「味」を、技には技それぞれ固有の「心」があるのだと表現された師範もいらっしゃいました。
 「味」が判ってきたら、後はいかにしてこの「味」を洗練させていくか、その方向で稽古して行けば良いと思います。



 絶対に、焦ったり、目に見える分かりやすい成果を急いではいけません。
 そうすると、必ずと言っていい程、目に見える分かりやすい成果と直接的に関係のなさそうな所(※本来関係のない所など存在しないのだが)を、いかに楽して手を抜くか、という考えが湧き起こってきます。
 そうなってしまったら、稽古・修行はいつの間にか課されたノルマをいかにして効率良くこなしていくか、というただの「やっつけ仕事」「ルーティンワーク」になってしまいます。

 これではまさに、「やらされている」だけです。
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ありのままの自分には努力して「なる」もの

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 哲学者の鷲田清一先生は、現在、京都市立芸術大学の学長をされているそうですが、今年の入学式の「学長式辞」をたまたまネット上で知り、その中に、非常に心に残る言葉を見付けました。

 鷲田先生は、京都市立芸術大学卒業生で、現代美術家として世界的に活躍されている「やなぎみわ」さんの言葉を引用してお話されていました。


 「『経験から学ぶことは大切です。でもそれでは小さすぎるんです。』
 みなさんは難関を突破してこの芸大に入ってこられたのですから、すでにある技を身につけ、個性的なセンスやスタイルをいくぶんかは持っておられることでしょう。それをさらに磨くために入学されたわけですが、やなぎさんが言おうとされているのは、自分がこれまで育んできた個性らしきものに閉じこもるな、ということです。」


 自分が「個性」という言葉に疑念を持ち始めたのは、今から二十数年前、大学で教職課程の授業を聴き始めた頃からでした。

 当時、いわゆる「ゆとり教育」の全盛期で、詳細はもう忘れてしまいましたが、その頃の第〇次中央教育審議会(中教審)答申や第〇次臨時教育審議会(臨教審)答申などの文章を読むと、「個性」を尊重し、「個性」を涵養し、「個性」を育み、「個性」を伸ばし、「個性」を磨き上げ、「個性」を輝かせ、といった具合に「個性」「個性」のオンパレードで、高度経済成長真っ只中に生まれ、たっぷり「個性」を尊重されて育ってきた20代の若者だった自分でも、「これはちょっとおかしいんじゃないのか?」「これは絶対に間違っているんじゃないのか?」という感想を抱きました。

 それはまるで、「個性」こそが全てだ!、「個性」の無い奴は人間じゃない!、「個性」の無い奴はゴミだ死ね!、とでも言わんばかりの勢いで、「個性」のために却って人間が生き辛くなってしまうのでは、と真面目に考えさせられました。

 いつの頃からか、それが「学力」「学力」にとって代わり、今度は「愛国心」などと騒ぎ立てられ、振り回される教育現場はいつも大変です。

 
 私自身、後に学校教育の現場に立つことになり、多くの素晴らしい生徒達に出会うことが出来ましたが、一方で、残念ながら「個性」を履き違えている子どもたちも、ちらほら見られました。

 そういった子どもたちの主張を要約すると、
 「自分は努力が苦手という『個性』を持って生れてきたんだ!。なのに先生は、親は、社会は、何で自分に努力を強いるんだ!。『個性』尊重が大切なのに、先生は、親は、社会は、間違っている!。」
 あるいは、「自分は我慢が苦手という『個性』を持って生まれてきたのに、先生も親も社会もみな自分に我慢を強いる。我慢が苦手という自分の『個性』はどうしてくれるんだ!。先生も親も社会もみな間違っている!。」
 といった具合です。



 ところで、昨年、『アナと雪の女王』が大ヒットし主題歌の「Let It Go~ありのままで~」が至る所で流れていました。
 しかし、かの美輪明宏さんはその歌詞に対して、大層ご立腹の様子でした。

 美輪さん曰く、
 「ありのままで」という歌詞が好きじゃない。何て怠け者で図々しいんだろうかと思う。「ありのままの私を受け入れて欲しい」というのは、「泥の付いた畑の大根をそのまま喰え」と言っているのと同じで、図々しいにも程があり、甚だ迷惑なことだ。
 人間は、誰かに受け入れてもらいたいと思うならば、まず泥を洗い落として、色々と工夫を凝らして料理する、つまり、努力をして自分を磨かなくてはならないのだ、と。


 「 なるほど・・・」と思って改めて「Let It Go~ありのままで~」を聴いてみると、意外や意外、実はこの歌、美輪さんが仰る程そんなに悪い歌でもないのではないか?、いやむしろ、自分のような立場の人間が聴けば、武術・武道修行の神髄が歌われている曲、といっても過言ではない・・・のではないか?、英語の原曲では本当はどういったニュアンスなんだろうか?、とまで思われてきたのですから驚きです。
 自分としても、単に、松たか子さんの美しい歌声に惹かれただけでは決してないと思います。

 「Let It Go~ありのままで~」では、このままじゃ駄目だ!、自分は変わるんだ!、そして、ありのままの自分に「なる」んだ!、と歌われています。
 もしも、自分は今まで通りで構わない、自分は変わる必要はない、何もしなくても、元々ありのままなんだからそれで許される、といったような歌だったら、美輪さんの仰る通りで、まさに「個性」というものを履き違えた甘ったれの戯言だと切り捨てるべきかも知れません。



 実は、武術・武道の修行は、人間が真の「ありのまま」の姿になるための修行だと言えます。
 我々は、努力して、苦労して、常に自分の殻を破りながら、真の「ありのまま」の自分を求め、真の「ありのまま」の自分に「なろう」と精進するのです。



 作家で臨済宗僧侶の玄侑宗久さんは、我々が目指す真の「ありのまま」を「もちまえ」という言葉で解かり易く説明してくれています。


 「『わたくし』を解いて『もちまえ』を出そう 
 生まれたときからもっている命の在り方を『もちまえ』と云う。(後略)
 動物の多くは、この『もちまえ』だけで死ぬまで生きる。(後略)
 犬やサル、さらにチンパンジーから人間になると、『もちまえ』よりも学習する領域が増えてくる。とりわけチンパンジーや人間は、学習やさまざまな体験によって、『もちまえ』の上に『わたくし』を被せていく。モノゴゴロがつき、チエづいてそれは次第に完成されるようだが、これこそ『もちまえ』を抑圧する諸悪の根源だと見抜いたのが釈尊であり、また老子や荘子ではなかっただろうか。
 なぜなら、『わたくし』は常に独自の欲望をもち、思考や判断をするが、それはほとんど常に『もちまえ』の欲求を無視し、ときにはそれを圧迫するからである。
 典型的なのは、自殺願望だろう。死にたいと思っているのは『わたくし』だけなのだ。
 『もちまえ』は多くの同じ命たちと繋がっており、いつも全体のなかで安らいでいる。
 一度できてしまった『わたくし』はなかなか解けないが、それでもなんとかその輪郭を薄くして、『もちまえ』を出そうと発明されたのが、もしかすると東洋における宗教ではないだろうか。

 『もちまえ』を使いこなす
 『もちまえ』が意外なほど凄い力であることに人々は驚き、神通力と呼んだりもする。おそらく武道でも、『わたくし』が透明なほどに薄まってこそ『もちまえ』の力が発揮できるのではないか。」(『日本的』海竜社 より)



 また、日本に中国武術を紹介された第一人者ともいうべき、松田隆智先生は、武術の極意・真理は「自然順応」、つまり「宇宙の法則に従うこと」にあるとされ、次のように仰られました。これなども、まさに、真の「ありのまま」とはどういうことか述べているものだと言えます。


 「人間は成長するのにともない、さまざまな学問や体験によって自分なりの観念をつくりあげて行くが、このことは多くの場合、本来知っていたはずの自然から遠ざかっていく。(中略)
 しかし、やがて真理を知る師について正しい武術を学ぶようになると、今まで知ることのなかったさまざまな技術を学ぶ。(中略)
 だが、師より学んだ技術を完全に理解した時、学び始めた時には特別なものに感じた技術は、実はもっとも自然に順応したものであることを知る。つまり自分は自然の本来の動作を体得したのにすぎず、自己と一体化した技術はすでに特別なものではなく、闘いにおいては、ただ打つべき時に打ち、蹴るべき時に蹴るだけのことである。」(『Meditation Catalogue 精神世界の本』平河出版社 より)



 更に、武術研究家として様々なメディアで活躍されている甲野善紀先生は、自身のライフワークである武術研究は、「人間にとっての自然とは何か」を探究することである、と仰られていますが、それも言い換えるならば、玄侑宗久さんの言う、学習や体験によって自己に被せられた「わたくし」や、世間一般で「個性」と呼ばれるような、「自分なりの観念」から脱却し、真の「ありのまま」を探究することを意味しているのではないでしょうか。



 私自身は決して「個性」の存在を全否定するような人間ではありません。
 どんなに頑張っても人間にはその人なりの「持ち味」というものがあって、それをまさに本当の「個性」と呼ぶのでしょう。
 「個性」は確実に存在すると思います。

 しかし、我々修行者は、くれぐれも偽りの「個性」に騙されないよう、気を付けなければなりません。

 むしろ、世間一般で言われているような「個性」などというものは、自分を小さくつまらない状態のままに押し止めようとする、狭い檻のようなものであり、ちっぽけな自分の殻を破って、真の「ありのまま」の自分を伸び伸び発揮させようとするのを抑圧するものであり、自分の殻に閉じ籠ったまま、努力して、自分を磨こう、自分を変えよう、ともしない弱虫で甘ったれた人間の体の良い言い訳、くらいに考えていた方が良いかも知れません。

 武術・武道の修行は、つまらない「個性」の殻を打ち破って、まだ自分も知らない真の「ありのまま」の自分へと目指してゆく道程です。
 そのための大切な手段が、心身統一、氣の原理、天地自然の理を学ぶことであり、己自身をを宇宙そのものと一体化させることです。

 私たちは、「個性」や「ありのまま」を、決して履き違えないよう注意しなければなりません。

 ありのままの自分には、努力して「なる」ものです。
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心身開発法の危険性 合氣道に秘伝なし②

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 開祖の評伝、『合気道開祖植芝盛平伝「武の真人」』(砂泊兼基 著、たま出版)の中には、次のように書かれています。

 「(前略)鎮魂の行は、善心をもってこれを行なうか、邪心の状態であるか、それによって結果は天国と地獄の差をもって行ずる人に現われるのである。」(P83)

 「鎮魂帰神の法によってよく正神界に出入りし、感応できる人は極くまれで、よごれた精神の人がこの修法をなしても、大方は邪霊に感染し、同化して道をあやまり、世をあやまり、人をあやまり、邪道に引きいれ、破壊の道に追い込む結果となるのである。正道を踏んで鎮魂の法に入らぬかぎり、この修法は役には立たないのである。これに対し正道に乗って行なえば、天性の魂の大小、質の善し悪しにかかわらず、現界の人間の向上は思うままに許されているのである。また、逆に邪道に入るならば、現状よりさらにどん底の悪因縁の雰囲気の中におちいり、身の破滅を招来することを覚悟せねばならない。」(P85~86)


 
 前回、「武術」にはなぜ秘伝が存在するのか、という話をしましたが、実は、「武術」に秘伝が存在することのもう一つの重大な理由として、「武術」の「極意」を身に付ける上で避けては通れない「丹田」や「氣」といった感覚的なものを開発する方法には、危険が伴うということが挙げられると思います。

 武術の世界で、以前からこの問題に警鐘を鳴らしていた方に、武術研究家で游心流武術健身法を主宰されている長野峻也先生がいらっしゃいます。
 その他、一部の宗教系・スピリチュアル系の方々が同じように警鐘を鳴らしていましたが、世間一般ではこの問題はあまり認知されていないのが現状です。

 瞑想法や呼吸法、その他諸々の「丹田」や「氣」などの感覚を養成する心身開発法は、全て広義の意味では宗教的な「鎮魂帰神の行法」に通じます。
 そういった行法を通して稀に、場合によっては精神に異常をきたしてしまったり、自律神経のバランスを狂わせてしまったり、色々と弊害が生じる可能性があるということです。

 古くから禅の世界には、ある種のノイローゼ状態を表す「禅病」あるいは「魔境に陥る」という言葉がありましたが、同じように、ヨガの世界では「クンダリニー症候群」、中国武術や気功の世界では「偏差」と言って、その本質は全く同じもののようです。



 藤平光一先生も若い頃、道を求める過程で熱心に禅の修行をされた時期があったそうですが、禅病になられたことを著書(『中村天風と植芝盛平 氣の確立』東洋経済新報社)の中で告白されています。
 藤平先生はご自身の失敗の経験からも、禅病の予防法として、世間に広く伝わっている禅のやり方が間違っているのだと指摘されていました。
 禅の方法を述べた古典的テキスト『坐禅儀』の中には、「臍下丹田に力を入れて座れ」とあるが、これが決定的な間違いで、臍下丹田は力を込めるところではなく、心を静めるところである、というのが藤平先生の主張です。
 確かに、禅も天地自然の理に適った正しい心身統一体で行えば、寧ろ何の問題もない筈であり、何らかの問題が生じるという時点で、やり方が間違っているのだと考えるべきなのかも知れません。
 藤平先生の仰る通り、臍下丹田(下腹)に力を込めてしまったら却って重心が上がって不安定な体勢になり、全身が強張り、明らかに不自然な状態になってしまいます。

 私自身、合氣道の修行を通して、「臍下丹田が充実している感覚」というものを体得していますが、この感覚を「臍下丹田に力を入れて」と表現してしまったら、判らない人にとっては「下腹の腹筋に力を込める」と勘違いされてしまう可能性は大いにあると思います。

 
 また、世界各国の特殊部隊隊員などから絶大な支持を受けている、武神館武道宗家・初見良昭先生も、30代の頃、重度の自律神経失調症を患い、死の淵を彷徨ったと告白されています。
 一時期は食べ物も殆ど咽を通らず、骨と皮だけに痩せ細り、10メートルの歩行もままならず、一日にヨーグルト一個程の食事で一年以上何とか死なずに済んだ、というのですから、あの初見先生の姿からは想像もつきません。
 初見先生の場合は、インフルエンザに罹ったのを切っ掛けに、自律神経のバランスが再び改善したのだそうですが(野口整体的な理由か?)、もしもそのまま亡くなってしまっていたら、その後の世界の武術界にとっては、大きな損失となっていたでしょう。
 初見先生が自律神経失調症になってしまった原因として、やはり武術修行に付随する様々な心身開発法が、全く関係が無かったとは言えないと思います。


 実は昔、私自身が大変お世話になった方で、大好きだった方が、志半ばで亡くなってしまったことがありました。

 その方は、坂道を転がり落ちるようなスピードで、一気に体調を崩し、あっという間に亡くなってしまったのですが、その方が体調を崩される直前に熱心に凝っていたのが、ヨガをベースに開発され、格闘家や武術家に支持されていた、ある呼吸法でした。
 当時、格闘技がブームで、何人かの格闘家がトレーニングにその呼吸法を採り入れ、それなりの効果があるとされていました。
 その方が急に衰弱して亡くなってしまったことと、その呼吸法との因果関係は未だにはっきりとはよく判りません。
 もともと病院に行ったり薬を服用したりするのを極端に嫌う方だったので、ご自身で体調が優れないと気付いた時点で既に手遅れの状態だったのかも知れません。
 或いはその時は、健康回復のために藁をもすがる気持でその呼吸法に賭けていたのかも知れません。
 しかし、その頃、同じように藁をもすがる気持でお世話になり、結果的にその方を最期まで看取って頂いた、ある有名なヒーラーの先生によると、「どういう訳だか、自律神経のバランスがバラバラに崩れてしまっている」ということだったそうです。



 お陰様で、合氣道が原因で精神に異常をきたしたり、自律神経のバランスを崩したりという話はあまり聞きません。

 その理由としては二つ考えられると思います。

 一つは、「合氣道」という看板を掲げていても、「丹田」や「氣」について全く触れない指導者や道場、学校のクラブなども結構ある、というちょっと残念な現実です。
 今や合氣道は社会体育として広く世の中に浸透しており、一般の人々にあまり難しいことを言って倦厭されても困る、というスタンスで行われている所も少なくありません。
 「相手の勢いや力を利用して投げる」とか「人体構造上の弱点を突く」とか、「いかにして関節技を効かせるか」といったものは、身体の運動・スポーツエクササイズと同等なので、精神に悪影響を及ぼしたり、自律神経のバランスを狂わせたりという危険性は全く無いと言えます。
 しかしそういったものは単なる柔術技法であり、個人的には「合氣道」という看板を掲げてやるのは如何なものか?というのが偽らざる感想です。

 そしてもう一つの理由として考えられるのは、やはり合氣道は「武術」ではなく、「武道」である、ということに尽きると思います。

 冒頭に引用した通り、「丹田」や「氣」などを扱った心身開発法の類は、善心を以てこれを行うか邪心を以てこれを行うか、正道に乗ってこれを行なうか邪道に乗ってこれを行なうか、これらの違いが結果、天国と地獄の違いとなって現れる、ということだと思います。

 「武術」というのは基本、やはり戦闘術であり殺傷術です。
 「武術」には「生死を賭した闘争本能」といった、人間存在の持つ根源的な邪悪さが、本質的に色濃く内包されています。
 これは、簡単な言葉で言い換えるならば、所謂「殺らなきゃ殺られる!」というものです。
 それ故、常に厳しく自己を律していかないと、容易にダークサイドに陥ってしまう危険性を多分に孕んでいるものだといえます。

 もちろん、いつも述べているように、合氣道もその成立の土台となっているものは紛れもない「武術」です。しかし、合氣道ではその「邪悪さ」が純粋な「武術」に較べてかなり薄まっており、そしてその代わりに、執拗な程に「心の教え」が満載されています。

 自分ではそれほど意識していなくても、「憎い敵をぶっ殺してやろう」とか「イザとなったら敵をズタズタに八つ裂きにしてやろう」とか「己の力を誇示して周りの奴らをギャフンと言わせてやろう」とか、心の奥底の深層心理・潜在意識において邪なことを思いながら、「丹田」や「氣」を開発すれば、精神に異常をきたしたり、自律神経のバランスを狂わせたりといった弊害は、なかなか避けられないのではないでしょうか。

 一方、合氣道はどういう志を持って修行すべきか。例えば開祖は次のように仰られています。

 「植芝の合気道には敵がないのです。相手があり敵があって、それより強くなりそれを倒すのが武道であると思ったら違います。
真の武道には相手もない、敵もない。真の武道とは、宇宙そのものと一つになることなのです。宇宙の中心に帰一することなのです。合気道においては、強くなろう、相手を倒してやろうと錬磨するのではなく、世界人類の平和のため、少しでもお役に立とうと、自己を宇宙の中心に帰一しようとする心が必要なのです。合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道であり愛の道なのです」(『武産合氣』P192)

 それがきちんとした正しい心の教えを伴った、正しい合氣道である限り、合氣道の稽古を通していくら「丹田」や「氣」を開発しても、精神に悪影響を及ぼしたり、自律神経のバランスを狂わせたりはないと信じます。

 
 やはり、自分としては『合氣道に秘伝なし』と声を大にして言いたいのです。



 最後に、「丹田」や「氣」といった目に見えない感覚を開発する上で、精神に悪影響を及ぼしたり、自律神経のバランスを崩したりしないために、自分なりに考える注意すべき点を、いくつかまとめてみたいと思います。


①あまりに徹底的にのめり込み過ぎないこと

 先程お話した、私自身が大変お世話になった方は、寝食を忘れてのめり込むタイプの方でした。
 その方は呼吸法に凝る以前に一時、断食に凝られたことがありましたが、見る見るうちにガリガリに痩せ細ってしまい、私も何度も止めるようにお願いしましたが、「この方が体調が良いんだ」と言って、当初は聞き入れては貰えませんでした。
 そのうち「こんなこと続けていたら死んでしまう」とご自分で気付かれて止めてくれましたが、その時は心底ホッとしました。
 一度始めたら、寝食を忘れて徹底的にやってしまうタイプの方はよくよく気を付けなくてはなりません。
 まさに、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「中庸の徳たるや其れ至れるかな」です。


②性急に効果、結果を求めないこと

 これは時代の影響もあるかも知れません。いかに効率よくやって、いかに早く最大の成果を出すか。大切なのは合理性、経済効率、成果主義。
 確かに、何事も即効、速習でないと、現代人には見向きもされないのかも知れません。
 しかし、野菜でも果実でも、収穫するまでには相応の時間を要するのが天然自然の理です。即効、速習というのは本来、どこかしら天地自然の理に逆らった不自然なものであると理解すべきです。
 不自然な方法には必ず不自然な結果も付随してくると知るべきでしょう。


③心身統一体でリラックスして、優しい心、愛の心を以て行うこと

 これは既に書いてきたことです。
 不自然な体勢や緊張状態では穏やかな心の状態がなかなか保てません。
 更に、殺伐とした心、攻撃性、暴力性、そういったものを内に抱えながら心身開発法を行うことが、最も危険だと言えます。
 万有愛護の心を持って、日々感謝し、人々の幸せと世界の平和のために微力でも貢献することこそが、真の武道の修行の目的である、と常に忘れずにいれば問題はない筈です。
 もしもこの心が欠けているようなら、残念ながら、それは断じて「合氣道」とは呼べません。


④自分の観念の世界に閉じこもらないこと

 独りでコツコツ地道に努力するのが得意な人は、この落とし穴に陥らないよう注意すべきです。
 自分の心も命も身体も、ちっぽけな存在に見えるかも知れません。しかし、そんなちっぽけな存在でも歴とした大きな天地宇宙の一部です。我々はもともと宇宙と繋がった存在なのです。
 そのことを忘れて、閉じられた自己の観念の世界に引きこもると、「自分だけが特別な力を手に入れて、特別な存在になるんだ」といった誇大妄想に陥ったり、その逆に、自身の不甲斐無さを嘆き、「自分だけが損ばかりさせられている、自分は被害者だ」と被害妄想に陥ったりしてしまいます。
 合氣道をやる上で最も大切な基本大原則に、「氣を出す」「氣が出ている」というのがあります。
 我々は常に、明るく前向きな、積極的な心を持って、プラスの氣を出し、人間や社会、つまり外界に対して、心身を開いていかなくてはなりません。
 それこそが、合氣道の基本にして奥義ともいえる、「氣を出す」「氣が出ている」ということの真相だと知らなければなりません。
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合氣道に秘伝なし

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 4月6日(月)にテレビ朝日で放送していた「お坊さんバラエティー ぶっちゃけ寺 3時間スペシャル」を視ていて、非常に心に残る言葉がありました。

 高野山真言宗「功徳院」住職の松島龍戒さんという方が、スタジオでの司会者との何気ないやり取りの中で、「自分自身の修行というのは、そのまま世の中の平和や人々の幸せに直結するという考え方」であり、「自分自身、独りで悟るということではない」のだと語っておられました。

 合氣道の修行もまさにその通りで、「自身の合氣道修行が、そのまま世の中の平和や人々の幸せに直結するのだ」という気持ちでやらなければならないし、「自分独りが達人・名人になれば良い、ということでは決してない」ということを忘れてはなりません。



 「武術」の世界では、古くから「秘伝」というものが存在しました。
 何故、「秘伝」なるものが必要とされたのか?
 一つの大きな理由として、「敵に己の手の内を知られないため」というのが挙げられると思います。
 ルールも審判も制限時間も何もない、命を懸けた戦闘において、敵を制圧する有効な手段は、敵が予想もつかないような奇襲を仕掛け、返り討ちにすることです。
 しかし前もって敵に手の内がバレていたら、奇襲は成立しません。
 悲しいかな、戦争の世紀と言われた20世紀が終わり、今世紀になっても、国家にそれぞれ軍事機密が存在し、熾烈な情報戦が繰り広げられているのもその理由からでしょう。

 しかし、前にも書きましたが、合氣道は「武術」を成立の土台としてはいるけれど、飽くまでも「武術」ではありません。
 「宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てる(『合気神髄』P54)」真の「武道」、それがまさに合氣道なのです。

 ですから、飽くまでも私の個人的見解ですが、敢えて言いたいのです。

 「合氣道に秘伝なし」と。



 これには、異論を唱える方もいらっしゃるかもしれません。

 私自身、より理想的な合氣道を体現するためには、土台としての「魄(はく)」の部分をしっかり作らなければならない、と今も考えています。
 現時点では、「魄」は中国武術でいう「勁力」と同等の物だと考えているので、確かにこれは、使い方によっては相手に甚大なダメージを与えかねない「武術」として有効なものだと言えるかもしれません。

 また、古くから合気会本部道場には「合気道練習上の心得」六箇条なるものが掲げられていて、その六番目にはこう書かれているそうです。

 「六、合気道は心身を鍛錬し至誠の人を作るを目的とし又技は悉く秘伝なるを以て徒に他人に公開し或は市井無頼の徒の悪用を避くべし」


 合氣道の土台となっているものは、退っ引きならない「武術」かもしれません。しかし、目に見える外形や用法だけが合氣道ではありません。合氣道には様々な団体・流派が存在しますが、尊敬すべき立派な先生方が多数おられ、そういった先生方は皆、「心の教え」を大切にしていらっしゃいます。
 この「心の教え」こそがむしろ合氣道の命であり、「心の教え」をきちんと正しく伝えることも含めて、合氣道を教え伝えるということだと言えます。

 それに、私の勝手な解釈かもしれませんが、「技は悉く秘伝なるを以て云々~」というのは、戦前・戦中に開祖によって教授された、大東流合気柔術、もしくは合気武道に当てはまることであって、戦後の平和な時代になって新たに生まれ変わった、真の合氣道には必ずしも当てはまらないのではないか?ということです。
 戦前・戦中は基本的に稽古の見学は許されず、入門するためには2~3人の紹介者、保証人を必要としたと聞きます。その頃は確かに「秘伝」扱いだったと言えるのかもしれません。



 合氣道開祖・植芝盛平先生は、戦前・戦中とその類まれなる武道家としての才能を買われ、陸軍、海軍及び警察に徒手格闘術を指導されていました。

 しかし昭和17年、熱心な宗教家でもあった開祖は神示を受け、軍の要職を全て擲って、茨城県の岩間に隠棲し合氣神社を建立されました。
 そして、来るべき平和な時代に備えて、愛と調和の教えを説く、真の合氣道の完成へと着手し始められた、と言われています。

 戦後、開祖は「自分も結果的に戦争に加担してしまった・・・」と猛省されていたそうです。

 「陸海軍の稽古は、主に魄を主体においていました。つまりものを主体にして、百事戦闘が目的でした。そして一刀一殺とただ名誉に向って進もうとしていた。遺憾ながらいささか真の誠忠ということに欠けていたし、軍にも理解出来ていない人々が多かったようである。勿論偉い軍人もいました。忠勇の軍人は涙が出る程よく戦ってくれました。しかし合気道は人を殺すのが目標ではない。戦い争うことが目的ではない。合気道は魄ではなく、魂のひれぶりである。」(『武産合氣』P127)

 「今私が行って来たことをふりかえってみると、それらは魄の御用であって、やったことは百事誠であったが、戦闘目的の教えでありましたので、自分としての天の使命の上からいったら岩戸閉めでした。今度こそ魂の岩戸開けの本当の合気道の歩み立ちをしたいと存じております。」(『武産合氣』P169)



 戦前・戦中までの植芝盛平先生の武道は、言うなれば、本当の合氣道が世に出てくるための準備段階のものであって、真の合氣道は、忌まわしい戦争がやっと終わり、多くの人々が平和の価値を思い知り、平和は不断の努力によって守るべきものであると思い知らされた時、満を持して世に現れたのだと言えます。

 合氣道は、その成立の土台として「武術」を内包しているかもしれませんが、やはりその目指す理想の所は「武術」などでは決してなく、「武道」、それも開祖の独自に説かれる「真の武道」なのです。


 したがって、やはり「合氣道に秘伝なし」と言いたいです。

 もしも、世の中の自分以外の全ての人間が、きちんとした正しい合氣道を身に付け、全員が達人・名人になってしまたら・・・、もしもそうなったら・・・、世の中から理不尽な暴力などは、きっと消えてなくなってしまうでしょう。
 合氣道とはそういうものです。
 もう、暴力を恐れて「身を護ろう」とか「強くなろう」とか、つまらぬことで一喜一憂する必要もありません。
 なんと過ごしやすい世の中でしょうか。

 もしも、自分自身の合氣道修行が進めば進む程、周りの人達を優しく思いやることができるようになって、世のため人のために尽くすことができるようになるとしたら・・・、修行すればする程、周りの人達に好かれて、周りの人達に感謝されて・・・。
なんと修行し甲斐のあることでしょうか。
 こんなに嬉しいことはありません。

 まるでジョン・レノンの「イマジン」のような世界で、現実にこんなことがあり得るのかどうかは判りませんが、やはり、合氣道の目指す究極の理想はどこまでも高いものなのです。


 こんな素晴らしく崇高な合氣道を「秘して洩らさず」にしておく必要がどこにあるでしょうか?

 「合氣道に秘伝なし!」

 形のあるものないものに拘わらず、森羅万象を正しく生み、生み出されたものは慈しみ、大切に守り、更にそれを立派なものへと丹念に育て上げていく営みと、その心こそが、真の武であり、合氣道の心です。
 藤平光一先生も『誦句集』の冒頭において、「万有を愛護し、万物を育成する天地の心を以て、我が心としよう」と簡潔に仰っています。

 合氣道修行は、「自分自身の修行がそのまま世の中の平和や人々の幸せに直結するんだ」という考え方でやるべきであり、「自分独りが他人を差し置き、出し抜いて、極意・奥義を掴むことなど絶対にあり得ない」、と肝に銘じなければなりません。
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愛し上手 愛され上手 「愛」に関する考察③

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 合氣道の技は、単なる護身術・制圧術ではなく、宇宙の生成発展とその理を体技で表したものだと言われています。


 練心館は昭和58年当初、心身統一合氣道の道場としてスタートしたので、基本的に、昔の藤平光一先生の技を踏襲しています。
 今現在、練心館のように心身統一合氣道から独立した道場・流派・団体が世界中にたくさんあり、またそれ以外にも、藤平光一先生の教えを大切に守り続けている合氣道師範の方もたくさん居られるようです。
 自分は便宜上、それらを総称して、「藤平スタイル」の合氣道と呼んでいます。

 昔、フィリピン合気会でお稽古されているフィリピン人の方が、仕事で日本滞在中に、短い間でしたが、練心館でお稽古していたことがありました。
 日本に来てまず最初に、合気会の本部道場に行かれたそうですが、技が全然違って付いて行けなかったと言っていました。
 「こちらの道場でやっている技は、フィリピン合気会でやっている技とほとんど一緒です。」
 と、非常に喜んでおられました。

 また、フロリダで合氣道をやっているというアメリカ人の方が、やはり短い間でしたが日本滞在中、練心館でお稽古したこともありました。
 その方も、すんなり順応できていました。
 訊くと、ハワイで藤平光一先生から教わったお弟子さんが、ロサンゼルスを中心にアメリカ本土に広めた流派の方でした。


 あくまで個人的な見解ですが、合氣道の技は、目先の「護身術」・「制圧術」としてのシンプルな合理性を追求したものなどでは決してありません。
 特に「藤平スタイル」に代表されるような高度な教えを説く所ほど、その傾向は強くなると思われます。
 我々が普段稽古している合氣道の技は、もっと奥深い「心身統一」と「氣の原理」を体得するための「理」を追求して改良された「形」なのだと言えます。

 結果的にそれは、武術としても極意・奥義につながるものとなり、更に進んで、天地自然の理を悟り、我即宇宙といった開祖の求めた究極の理想にもつながるものとなったと言えます。




 所で、話はいきなり本題に入りますが、最近つくづく思うのは、そんな合氣道の「投げ」の稽古は、人を上手に「愛する」ための練習であり、そして合氣道の「受け」の稽古は、人から上手に「愛される」ための練習でもあるんだなぁ・・・ということです。

 これは、「アガペー」などといった難しい話ではなく、極めて現実的で人間的な「愛」の話です。


 上手な合氣道の技で投げてもらえると、たとえ派手に吹っ飛ばされていても愉快でなりません。
 受け身ができない者に対しては、怪我をしないように優しくやってあげる必要がありますが、基本、上手な合氣道の技に掛かったり、投げられたりする時は、遊園地のアトラクションや公園の遊具で遊んだ時のように、気持ち良く、愉快なものなのです。

 しかし、下手な技を掛けられたり、下手な技で投げられた時は(※余りにも理に適わない場合は技は全く掛かりませんが)、無暗に痛かったり、いかにも我をむき出しにしたような強引な嫌な感じがしたりします。

 我々は、少しでも上手な合氣道の技が掛けられるようになるために、稽古を通して、どうすればもっと相手を気持ち良く、楽しく、愉快にさせられるか、探究します。
まあ結局は、基本に忠実で、理に適った技が正しいということが判明しますが・・・。

 これは、「同じ愛するならば、どうすればもっと上手に相手を愛することができるか」、という練習にもなると思うのです。


 「愛」とひとことで言っても、「上手な愛」や「スマートな愛」もあれば、「下手糞な愛」、「不器用な愛」、「乱暴な愛」もあります。

 筑波大学教授でメディアでも活躍する、精神科医の斎藤環先生は、以前、アメリカの作家カート・ヴォネガットの言葉「愛は負けても親切は勝つ」を引用し、精神医療の現場では「愛」は使えない、と断言されていました。
 なぜなら、時として乱暴に突き放すのも「愛」だったり、怒鳴りつけるのも、殴るのも「愛」だったりする訳です。
 心を病んでいる人を前にして、「愛」のような当てにならぬもので対処するよりは、「親切」を以て接する方がずっと確実なんだそうです。

 また、「愛の反対は憎しみではなく無関心です」とはマザーテレサの言葉ですが、確かに、社会問題となっているストーカーなどは、乱暴で歪んだ「愛」の典型でしょう。
 よっぽど「愛」など簡単に消し去ることができるものならば、すぐに「無関心」になることができて、ストーカー問題など簡単に解決する筈です。

 しかし人間は「愛さずにはいられない」生き物です。
 それ故、好きになったり嫌いになったり、腹を立てたり、憎んだり、絶望したり。
 これらは全て、広義の意味での「愛」だといえます。
 私たちはよく、赤の他人に言われても何とも思わない事でも、妻や夫、父母、兄弟等、家族に指摘されると無性に腹立たしかったりすることがありますが、それも「愛」があるからでしょう。

 人間が、どうしても「愛さずにはいられない」生き物ならば、できることならば、上手に、スマートに、相手や自分をなるべく傷付けずに、愛したいものです。

 それができるようになるためにも、合氣道の稽古は、相手に上手に技を掛けられるよう目指さなくてはなりません。
 技を掛けながらも、相手を一切傷付けず、気持ち良く、楽しく、愉快にしてやることが、相手を上手に「愛する」ことの練習にもなるのです。



 一方、合氣道の「受け」は上手な「愛され方」の練習だと言えます。

 現実社会で出会う人々が、全員、「愛し方」が上手とは限りません。
 上司や先輩、同僚、あるいは家族や親戚の中にも、「不器用な愛し方」や「乱暴な愛し方」しかできない人もいるでしょう。

 同じように、道場の稽古仲間でも、技が上手い人もいれば、下手な人もいます。
 下手な人に技を掛けられたせいで痛い思いをした、とか、下手な人に投げられたせいで「受け身」を失敗した、というのはなるべく避けたいものです。

 そのためにも我々は、何度も繰り返し「受け身」の稽古を重ねて、たとえ下手に技を掛けられたり、投げられたりしても、きちんと身を守り、ダメージのないように「受け身」が取れるようにしなければなりません。

 その稽古が、実生活で「不器用な愛」や「乱暴な愛」に遭遇した時に、いちいち傷付いてダメージを受けないための練習になる筈です。
 つまり、「愛され上手」になるということでしょうか。


 4月は新入学があったり、新社会人が社会へと羽ばたいて行く時期です。
 新しい世界に踏み出して頑張ろうとする時や、実社会の荒波を乗り越えて行こうとする時、そこで良好な人間関係を築くためにも、合氣道の稽古で培った、「上手に愛する能力」がきっと役に立つこともあるでしょう。
 また、厳しい先生や上司、怖い先輩に出遭う事もあるかも知れません。「辛辣な愛」や「乱暴な愛」に遭遇する度に、いちいち傷付いてダメージを受けているようではやって行けません。
 合氣道の「受け身」の稽古で培った「上手に愛される能力」が、きっとどこかで役に立つ時もあると思います。


 私自身、偉そうに言える程、「愛し上手」で「愛され上手」かは甚だ覚束ないですが、合氣道の稽古には、必ずそういった精神的効果があると思っています。
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