『ありのままで生きる 天と人をつなぐ法則』(矢作直樹/保江邦夫 著 マキノ出版)
を読んで更に色々と考えさせられました。
保江邦夫先生が「愛」について語る中で、マザーテレサのエピソードを紹介していました。
「救護所に運び込まれたインド人男性の世話を、マザーがしていたときのこと。マザーは、男性の膿んだ傷口にわいているウジを見つけては、すぐに素手でつかんで取っていくんです。ほかのシスターや看護師さんたちは傷口のウジを見ても医師を呼んでくるだけなんですね。医師もピンセットでつまみ上げるだけ。『なのに、どうしてマザーはすぐにご自分の指で取り払ってくれるのですか』と男性が聞くと、マザーが答えるんです。
『どうぞ、ほかの人たちを許してくださいね。あの人たちは、あなたを愛そうとしているだけで、まだほんとうには愛せていないのです。でも、今に愛せるようになりますから、それまで待ってあげていただけませんか』と。
つまり、頭で考えて、『愛そう』と思っている間は、まだまだ『愛する』という状態にはほど遠いんですね。『愛そう』とかみじんも思わず、ただ、目の前に衰弱してケガをしている人の傷口にウジが見えたとき、とっさに手が動いて、指でつまみ出している。この行為の中にこそ愛があるからです。しかし、これは残念ながら、やはりだれにもできることではありません。」(P125~P126)
日々の稽古中、「氣結び」によって成立する理想的な「魂」の合氣道をイメージする時、自分はまだ、「朗らかに積極的な心で!朗らかに積極的な心で!・・・」と自分で自分に言い聞かせながらやっているレベルです。
それは言い換えるならば、頭で考えて、「愛そう!愛そう!・・・」と頑張っているレベルであって、まだ自分自身、本当の意味で「愛する」という状態には程遠いんだなぁ・・・と痛感させられます。
自分の様な人間が、そう簡単にマザーテレサのような境地にはなれなくて当然、と言えば当然ですが、しかし、植芝盛平先生が説かれた合氣道の目指す理想とは、まさにそういった境地であり、そこまで行って、初めて真の合氣道は完成すると言えるのだと思います。
近頃は便利な時代になりました。
植芝盛平先生を始め、様々な流派、門派の伝説的名人・達人達の動画がパソコンで手軽に視られるようになりました。
そして、そんな一昔前の伝説的な先生方の白黒映像を視ていてよく思うのが、意外と細かい所がいい加減だったりするんだなぁ・・・ということです(偉そうに何様のつもりでしょうか、すみません)。
例えば、うちでは「体軸がぶれないように」とか、「正中線をしっかり向けて」とか、「動きの中で股関節を自在に使えるように」、「肩甲骨の柔軟性が云々」等々、大人クラスでは色々と細かく言っています。
しかし、一昔前の伝説的名人達は、意外とその辺がいい加減だったりすることが多いような気がするのです。
それならば、
「昔の武術・武道はレベルが低く、現代の最先端の理論と練習法を知っている我々の方がハイレベルなのか?」
「昔の名人と呼ばれる人の技は、実は、きちんとした基本すらちゃんと出来ていない程度の、出鱈目なものなのか?」
とんでもありません!。
細かい所は無視して、全体として見るとため息が出る程の素晴らしい妙技で、まさに名人の風格が表れています。
ただいつも感じるのは、一昔前の武術家・武道家は、我々現代人が考えるような所謂「技術」を身に付け、「技術」を完璧にすることで達人・名人を目指すのとは、ちょっと違ったアプローチの仕方で、達人・名人を目指したのではないか?
そんな思いがいつも頭の中を過るのです。
昨今は、書店の武術・武道書コーナーに行くと、親切な技術解説書が山のように出ています。自分自身、それらの本のお陰で随分勉強になりました。
しかし、遅かれ早かれ、いずれは「技術」ではどうにも先へ進めない壁が立ちはだかるのだと思います。
これには「造花」と「天然の花」の譬えがぴったり当てはまると思います。
それを聞くと、寺田寅彦の随筆「病室の花」の話を思い出す方も居られるでしょうが、そうではなく、三島由紀夫と太宰治の話です。
若き日の三島由紀夫は、戦後間もない頃、当時人気作家だった太宰治にわざわざ会いに行き、面と向かって「あなたの文学は嫌いです」と言ったそうです。
三島は生涯、太宰の文学を嫌っていたそうですが、その理由としてこんな説があります。
三島の文学上の師とも言える川端康成は、三島初の長編小説『盗賊』を「脆そうな造花」と評しました。
また三島は、文学とは「不朽の花を育てること」だとし、「そして不朽の花とはすなわち造花である」と述べています。
その後、三島は偉大な文学者となり、数多くの名作・大作を世に出しましたが、三島の文学は、緻密で、絢爛豪華で、壮大な、「造花」だったと言えるのではないでしょうか?
一方、太宰の文学は、三島に較べたら、粗削りで、含羞を感じさせる、小ぢんまりとした、しかし歴とした「天然の花」だったのではないかと思います。
エリートとしてのキャリアは圧倒的に上である三島も、太宰に対し、自分には超えられない何かを感じ、複雑な思いを抱えていたのかも知れません。
話を合氣道に戻しますが、
どんなに「技術」を追求して、完璧な「技術」を身に付けたとしても、それは「造花」の合氣道の域を出ないものだと言えます。
私自身、頭で考えて「愛そう」としているうちは、それは「造花」の「氣結び」であり、「造花」の「魂」の花を咲かせた合氣道なのだと思います。
勿論「技術」は「技術」で大切な物であり、それを蔑ろにする訳にはいきません。
練心館でも、今後もきちんと「技術」を追求して行くつもりです。
しかし同時に、常に「心」を求めて諦めずに修行して行けば、いつの日か、頭で「愛そう」などと微塵も考えなくても、「愛している」のが当たり前になる日がやって来るかも知れません。
そうなった時、たとえ荒削りでも、絢爛豪華さなど欠片もなくても、生命の宿った「天然の花」としての真の合氣道になるのだと思います。
一昔前の、伝説的名人・達人達が、古い白黒映像の中で見せてくれる武術・武道の妙技の数々は、たとえ荒削りでも、小手先の「技術」を超えた、歴とした「天然の花」なのだと言えるのではないでしょうか。
「技術」よりも「心」を求めて、合氣道の名人になられた方の代表として、万生館合氣道の創始者、砂泊諴秀先生が挙げられます。
砂泊先生は、熊本で合氣道を教え始められた当初、自身の未熟さに忸怩たる思いを抱えていたそうです。
小柄でどちらかと言えば華奢な体格の砂泊先生は、警察学校などで講習会を行った時、屈強な者に抵抗されると技が上手くいかなくなることがあったそうです。
そこで砂泊先生は、体技ではなく、開祖・植芝盛平先生の精神的な教えにこそ状況を打破する糸口があると直感したそうです(そういった直感を得ること自体に非凡さを感じますが)。
「合氣は愛である。和合であり結びである。この言葉を、どうして技として体現出来るか。」
「真の合氣道に達するためには、開祖の御遺訓を目標にして修業することである。」
(『合氣道で悟る』砂泊諴秀 著 たま出版 P12)
それから数十年。今は故人となられてしまいましたが、合氣道界では、開祖・植芝盛平先生の直弟子の中でも最高峰の、知る人ぞ知る伝説的名人として知られています。
砂泊先生を目標に、自分も「技術」だけでなく「心」をきちんと求めることで、「天然の花」としての「魂」の花を咲かせた、真の合氣道を目指して行きたいものです。
合氣道の聖地。茨城県笠間市にある合氣神社です。
青山学院大学相模原キャンパスのシンボル。ウェスレー・チャペルです。
『ありのままで生きる 天と人をつなぐ法則』(矢作直樹/保江邦夫 著 マキノ出版)
という本を読んで色々と考えさせられました。
著者の一人、保江邦夫先生は、ノートルダム清心女子大学教授で理論物理学者ですが、我々の世界では、大東流合気武術の伝説的名人、佐川幸義先生の門下で修行され、現在は「冠光寺眞法」なる独自の合気系武道を指導されていることで有名です。
もう一人の著者である矢作直樹先生は、東京大学教授で同附属病院救急部・集中治療部部長をされているそうですが、現職のお医者様でありながら、霊魂の存在や死後の世界の存在を肯定され、啓蒙する活動をされています。
お二人の対談内容は、臨死体験やあの世、霊魂、スピリチュアルヒーリング、挙句の果てにはUFOにまで及び、世間一般からは「トンデモ本」にジャンル分けされるのではないだろうか?!、と思いました。
個人的には、私は、そういった話は決して否定派ではないので、興味深く読ませて頂きました。
この本の中で保江邦夫先生は、ご自身の冠光寺眞法の技の原理を簡潔に述べられていましたが、これは、今現在、私が探究しているものと変わらないのではないか?と感じました。
保江邦夫先生曰く、「技の原理を簡単にいえば、『愛とともに相手の魂を自分の魂で包む』というものです。」
合氣道を修行する上で、「愛」の問題は避けては通れない重要なテーマです。
合氣道開祖・植芝盛平先生は大正14年の春、黄金の光に包まれるという宗教的神秘体験をされ、武道の真理に開眼されたといいます。
「その瞬間、私は、『武道の根源は、神の愛―万有愛護の精神―である』と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。」(『合気神髄』P54)
また、合氣道の極意は己を宇宙と一致させ、我即宇宙となることだとし、そのためにも、まずは己の心を宇宙の心と一致させなくてはならないと説かれています。そして宇宙の心とは「愛」であると断言されました。
「宇宙の心とは何か? これは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ偉大なる『愛』である。」(『合気神髄』P34)
また、合氣道という名前も愛を連想させるからなのだと仰っています。
「『合』は『愛』に通じるので、私は、私の会得した独自の道を「合気道」と呼ぶことにしたのである。」(『合気神髄』P41)
私自身、30代の後半までは所謂武術的な技を行っていました。より具体的に言い換えるならば、中国武術でいう所の「勁力」を使っていました。
一言で「勁力」と言っても専門的に言えば、明勁・暗勁・化勁の中での、一番の初歩である明勁の要素が強かったと思います。まあ、これが一番派手に相手を吹っ飛ばしたりできるもので、素人目に見ても比較的判り易いものですから・・・。
「勁力」を使いこなす上でも、小手先の筋力等は一切不要なので、未熟な私は、「これこそが合氣道の奥義に違いない?!」と思っていました。
しかし、万生館合氣道の先生方と運命的に一緒にお稽古する機会を得て、「質の違い」に気付かされました。(※このことはいずれまた詳しく書こうと思っています。)
武術として相手により大きなダメージを与える方法としてなら「勁力」は有効です。
しかし、万生館合氣道の先生方の行う「呼吸力」の技は、もっと柔らかく、「心」に直接働き掛けるような技でした。
今まで自分が合氣道の奥義だと信じていたものは、単なる実戦武術の技法であって、それこそが開祖がいずれは捨て去らなくてはならないとした「魄」の土台であって、その上に、柔らかく「心」に直接働き掛けるような「氣結び」の「魂」の技を創り上げていかなくてはならないのだ、と気付かされました。
以来、自分なりに色々と試行錯誤して、「魂」の技、「氣結び」の技も少しは体現できるようになりました(まだまだ完成には程遠く、一生のテーマになりそうですが)。
その中で見えてきたものは、「氣結び」の技をなそうとする時は、こちらの心の状態が技そのものに強く影響する、ということでした。
経験上言えることは、こちらが「明るく朗らかで積極的な心」の状態の時、「氣結び」の技は上手くいく、というものです。
保江邦夫先生が「愛とともに相手の魂を自分の魂で包む」と仰った冠光寺眞法の基本原理と、私が自分なりに行き着いた「明るく朗らかで積極的な心で氣結びする」という極意は、言わんとしている内容は全く同じことではないか、と思います。
つまり保江邦夫先生が仰る「愛」とは、更に言うならば植芝盛平先生が説かれたような「宇宙のすみずみにまで及ぶ偉大なる『愛』」や、武道の根源としての神の「愛」といったような「愛」とは、極めて人間的な「好き」という感情等では決してなく、宇宙全体に広がる「明るく朗らかで常に積極的に前に進もうとする大きな意思のようなもの」と言えるのではないかと思うのです。
そしてこの「愛」を少しでも多く自分の心に宿すことができると、相手の心に柔らかく直接働き掛けるような、「氣結び」の「魂」の技も比較的上手くいく、ということではないかと思うのです。
この「愛」についてより深く考えるヒントとして、スウェーデンのキリスト教神学者ニーグレンの著書『アガペーとエロース』で主張した論が大きな示唆を与えてくれます。
ニーグレンは、
「エロース」とは、真・善・美をどこまでも追求するギリシャ哲学的愛であり、上昇を志向する愛であり、対象に何らかの価値を認めるが故の愛、自己追求の愛であるとしています。
一方、「アガペー」とは、自分をどこまでも捨て去る愛であり、下降する愛であり、対象に愛する価値があるかどうか全く顧みない愛、自己放下の愛であるとしています。
原始キリスト教における「愛」は「アガペーモチーフ」だったが、教会の世俗化とギリシャ哲学の影響により、いつの間にか人間的な「エロースモチーフ」に変換されてしまった。
16世紀のルターの宗教改革はキリスト教における「愛」をもう一度本来の「アガペーモチーフ」に戻そうとする運動だった、ということです。
そもそも「アガペー」とは、本来人間には不可能な「愛」なんだそうです。
しかし、自分をどこまでも捨て去ることができた時、人間は、天から一方的に無限に降り注ぐ、神の偉大なる「愛」に気付くことができるのだそうです。
そして自分が無限の神の「愛」に包まれていることを知った後は、鏡が太陽の光を反射するように、自分自身もただの鏡のようになって、周囲を神の「愛」で照らしてやればよいだけなのだそうです。
保江邦夫先生が技の基本原理として仰った「愛とともに相手の魂を自分の魂で包む」場合の「愛」とは、人間的な「好き」という感情などでは決してないでしょう。人間の「好き」という感情は、ややもすれば簡単に「嫌い」へと揺れ動きます。
キリスト教における神の「愛(アガペー)」や、合氣道開祖・植芝盛平先生が古神道的世界観と信仰によって感得した宇宙の本質としての「愛」、武道の根源としての「愛」。
これらは本来、簡単に言葉で言い表すことのできないものなのかも知れません。
しかし敢えて、無理にでも言葉に表現するならば、やはり「明るく朗らかで常に積極的に前に進もうとする大きな意思のようなもの」だと言えるのではないでしょうか。
稽古・修行を通して己を宇宙そのものと完全に一致させることができた時、自身のちっぽけな「我」は完全に捨て去られ、己には宇宙の心、即ち偉大なる「愛」が無限に降り注ぎ包まれているということに気付くのでしょう。
その時、人間はきっと意識して「愛そう」等としなくても、光の当たっている鏡が常にその光を反射して輝いているように、「愛している」のが自然で当たり前の状態になっているのかも知れません。
そうなって初めて、理想の合氣道は完成するのでしょうか?・・・。
生きているうちにそこまでの境地に辿り着きたいものです。
合氣道界では伝説となっている有名なエピソードがあります。語る人によって内容に若干の違いがありますが、ざっと以下のような話です。
実戦合氣道の達人として有名な塩田剛三先生(養神館合気道創始者)に、ある日、お弟子さんが「合氣道はどうすれば上達するのですか」と質問したそうです。
それに対して、塩田先生は、「それなら素直な人間になりなさい」と答えたそうです。
合氣道界ではカリスマと呼ばれている先生が、「上達するためには素直な人間でなくてはならない」と仰っているのですから、我々も決して無視する訳にはいきません。
一方、合氣道とは全く違う分野で、偉大なカリスマと呼ばれている人物が、「素直な心」の重要性を生涯説かれていました。
その人が、現パナソニックグループ創業者、通称「経営の神様」、松下幸之助です。
松下幸之助は、ビジネスマンにとっても、最も大切な人間的資質は「素直な心」であると説かれていました。
片や合氣道界のカリスマ、片や経営者のカリスマ、この両者が同じく「素直さ」の重要性を説いている。
これは単なる偶然ではないでしょう。両者にはきっと通じるものがある筈です。
我々も、もっと素直な人間になることで、合氣道も更に上達できたら良いのですが、この「素直さ」とは一体何なのか、自分なりに考えてみました。
「素直さ」と一言で言っても、一般的に考えられている「人間性としての素直さ」と、それとは少し分けて考えるべき「技術としての素直さ」があるのではないかと思います。
この両者は繋がっていて、決して全く関係のない別物ではないと思います。しかし、上達のためには、一旦分けて考える方が妥当なのではないでしょうか。
合気会師範部長の多田宏先生が以前、「月刊 秘伝」(2011.1月号)誌上で興味深いことを仰っていました。
多田先生は、イタリアを中心にヨーロッパ各地で合氣道を指導してこられた方ですが、海外で稽古している外国人の方々の多くが、きちんと合氣道の精神性や東洋の伝統的身体技法を理解してくれる、と仰っていました。
しかし一方で、却って日本人の方が、
「だが日本では精神、心という言葉が日常生活の中で時には主軸をしめる普通の言葉となっているため、心を技術的に捉える人が少なく、時にはいやがる傾向がある。(後略)」
「我々が合気道の話をしている時に、本当は心の技術の話をしているのに、それを社会道徳だと解釈して、技術的なものを求めようとしない人がある。そんな技術があることを知らないままで居る人もある。呼吸法を真剣に行ってから行える事を、ただ気持の問題と捉えてしまう事もある。」
といった具合に、心の技術を単なる精神論として捉えてしまう傾向があると述べられていました。
また、中国武術・韓氏意拳の光岡英稔先生は、『荒天の武学』(内田樹/光岡英稔、集英社新書)の中で、「意識の拡散と集中」という問題を通して、核心を衝いた指摘をされていました。
「文字をたくさん操れる現代人とか、情報も多く、社会性の強い人の方が自分に対する疑いを持っていて、意識が拡散しています。そうすると何かを行うときに、テクニックやメソッドという回り道を辿っていかないといけなくなる。(後略)」
「現代人は頭で学んでいる習慣、癖がついているせいで、習い覚えた癖を捨てることが怖いので手放せない『順序を追ってしか学べないんじゃないか』という思い込みがあるので、何かをぱっと見取って学べる自分というのを殺してしまっている。
でも、身体を使うことに戻っていくと、少しはそういう見取ってしまえる自分にアクセスできます。そうすることで徐々に『物事は思考によって学ばないといけない』という思い込みから抜けられるんじゃないかと思います。」
「素直さ」には、技術としての「素直さ」と、人間性としての「素直さ」があって、両者は決して関係のない別物ではないけれど、合氣道の上達のためには、我々はまず、技術としての「素直さ」を身に付けることから始めなければならない、そう考えます。
では、技術としての「素直さ」とは一体どういうものか?
自分なりの言葉で定義すると、
「よく分からないものをよく分からないまま、しっかり自分に受けとめて、よく分からないままきちんと体現する能力」
と言えるのではないかと思います。
そして、この技術としての「素直さ」を発揮した人物として、もう一人のカリスマの例が挙げられます。
そのもう一人のカリスマとは、昭和の歌姫、美空ひばりです。
美空ひばりさんは、8歳で初舞台を踏み、9歳で天才少女としてデビューしました。それ以来ずっと第一線で活躍されました。
恐らくは、少女時代は忙しさ故に、学校の授業も休みがちだったのでは?と思います。
そんな美空ひばりさんは今から数十年前に、英語が全く話せなかったにも拘わらず、ネイティブスピーカーが聴いても完璧な発音の英語でジャズを歌いました。
なぜ彼女はそんなことができたのか?
これこそが、技術としての「素直さ」だと思うのです。
技術としての「素直さ」が身に付いていない凡人の多くは、「よく分からないもの」に出会った時に、それを無理矢理、「自分が今までの人生で培ったもの」の中に当て嵌めて解釈しようとしてしまう。
英語が解らないのなら、それを無理矢理、「カタカナ(日本語)」に当て嵌めて歌ってしまう。
しかし、それでは上手く英語でジャズを歌ったとは言えません。
美空ひばりさんも、レコーディングはカタカナで書かれたカンペを見ながらやっていた、という証言もあるみたいですが、基本、彼女がやったことは、英語の意味など解らなくても、耳で聴いたままを、そのまま素直に再現していただけに過ぎないのではないでしょうか。
ネイティブの人が聴くと、原曲の歌手のアメリカ南部訛りまで完璧に再現していたというから驚きです。
我々のやっている合氣道は、心身統一体で、臍下丹田の力を駆使したり(開祖の説く「魄」の側面)、氣を導いて(開祖の説く「魂」の側面)行うものです。
しかし、殆どの現代人はそれまでの人生で、「丹田」や「氣」など意識したこともないのが実情です。
本当は「よく分からないもの」に出会っている筈なのに、それを無理矢理、自分がこれまでの人生で培ってきた「よく分かっているもの」に当て嵌めて解釈してしまうと、「人体構造上の弱点を攻めて倒す」とか「関節技で制圧する」とか、合氣道としては甚だ出鱈目で頓珍漢なものになってしまうのです。
我々はまず、技術としての「素直さ」を身に付けなくてはなりません。
そのためには、世間の常識や固定観念に囚われず、感覚・感性を研ぎ澄ませることが大切です。
そして、「よく分からないもの」に出会っても、決して焦って「分かった振り」をせずに、「よく分からないもの」のままでも良いから、それをそのまま上手く再現・体現できるように試行錯誤を繰り返すことが大事ではないかと思います。
この技術としての「素直さ」を身に付ける上で、まず最初にやるべきことを、より具体的に説明すれば、まずはきちんと合氣道の「受け」が取れることではないかと思います。
合氣道の「受け」は、投げられてもいないのに、自分勝手に倒れたり転がったりしてはいけません。
だからと言って、逆に、意地になって抵抗しているようでは、それでは全く稽古になりません。
正しい合氣道の技が掛かった時の感覚は、譬えて言うなら、公園の遊具や遊園地の乗り物に乗った時のような、楽しいような気持ちの良いような感覚があります。
その時は、決して踏ん張ったり強張ったりして、無駄な抵抗はしないことです。
勿論、自分勝手に倒れたり転がったりしてもいけません。
それが気持ち良くて楽しい、合氣道として正しい技だったら、「受け」は一切の迷いなく自身を技に投入させ、技に乗ることが肝心です。
そして、その時の感覚を身体イメージとして記憶し、逆に自分が「投げ」を行う時は、その記憶の中にある身体イメージの感覚を駆使して、気持ち良く楽しく相手を導いて投げてやることが肝心です。
そして、技術としての「素直さ」がある程度分かってきたら、次はいよいよ、人間性としての「素直さ」が技に直結してくるレベルへと至ります。
いずれ詳しく書こうと思いますが、合氣道も、「氣結び」で技をなす段階になると、心の有様が技に直結してきます。
何事も最後は人間性だとはよく言われることですが、合氣道もやはり、最後は精神論がそのまま技術論になる、という点が面白く、やはり人間修行としての「武道」なんだなとつくづく感心させられます。
「合気道は試合がない ずーっと稽古 ただひたすら稽古だ そんな合気道の本番 いつだと思う?」
「生まれて死ぬまで・・・!」
この台詞は漫画『EVIL HEART』(武富智 著、集英社ヤングジャンプ・コミックス)の中の名場面、合氣道部創設のシーンで出てきました。
主人公・ウメ君の合氣道の師匠、ダニエル先生(何とカナダ人!)の台詞です。
素晴らしい感動的な作品でしたが、正直、雑誌連載中は、どうも、あまり人気がなかったのかな・・・?と思われます(武富智さんすみません)。
主人公・ウメ君は大変な家庭環境の中、心に深い傷を負い、手の付けられない問題児でした。
しかし、そんなウメ君が合氣道と出会い、最初は反発しながらも徐々に心を開き始め、人間としても成長していく、という物語でした。
決して、「痛快格闘娯楽漫画!」というものではなくて、父親や兄のDV(家庭内暴力)や家庭の崩壊、少年非行等が描かれていて、読んでいると胸が痛みます。
恐らくは、雑誌連載は打ち切りになってしまったのではないか?と思われます。
しかし、合氣道界からは支持されていたのではないでしょうか。読んでいて辛くなるような作品でしたが、今まで、漫画でこれ程までに「合氣道の心」がきちんと描かれているものはなかったと思います。
少なからず支持者がいたのでしょう、後に、読み切りの単行本が三冊発行され、無事完結しました。
最後、ウメ君は立派に成長し、バラバラだった家族がもう一度再生するのでは・・・?という希望を匂わせたラストシーンは涙なしには読めません。
この「合氣道の本番は生まれて死ぬまで」という考え方は、昔から様々な先生方が言われてきたことだと思います。
藤平光一先生も『心身統一合氣道入門』の中で、「現今では、武の技を使って真剣勝負をすることはない。しかし、二度とない此の人生、真剣の場に臨む覚悟で日常を生きることが、武の精神である。」と説かれています。
もっと言えば、合氣道だけに限定せず、「武道の本番は生まれて死ぬまで」で良いのではないか、と個人的には考えます。
あくまでも個人的な見解ですが、「武術」、「武道」、「スポーツ」は厳密には違うものだと思っています。
「武術」は、英語でいう所の「Martial Arts(戦いの技術)」そのものであると思います。ルールがなく審判もいない戦闘で、いかに自分やその味方の生命を守り、敵を制圧するか。場合によっては躊躇なく敵にとどめを刺して殺す。
「実戦武術」を標榜する指導者の中には、「どんなに汚くて卑怯な手を使っても敵を抹殺する!」と嘯く方もいらっしゃいますが、純粋に「武術」ならそれもありなんだろうと思います。
「スポーツ」は、その語源を「Disport(気晴らし、楽しみ、遊び)」に持つもので、主に、Player(選手)になってGame(試合)に参加し、勝敗を競って楽しむものです。
柔道でも空手道でも剣道でも、「Game(試合)」のことしか頭になかったら、それは純粋に「スポーツ」だと言えるでしょう。
「武道」は、英語では適切な訳語はない筈で、個人的には、日本だけが生み出した特殊な文化だと思います。
歴史的には、江戸時代に「武道」は、思想としての「武士道」を指す言葉で、所謂、剣術や柔術などのジャンル一般は「兵法」とか「武芸」などと言われていたそうです。
「武道」という言葉が、現在のように一つの体技のジャンルを意味する言葉として一般化したのは、近代になって、嘉納治五郎先生が「精力善用・自他共栄」という崇高な理念を掲げ、人間修行の道として講道館柔道を創始されてからだそうです。
しかし、嘉納先生は東大卒のインテリ学者・教育者であり、その時代、西洋の進んだ知識を積極的に取り入れて日本の近代化を推し進めるリーダー的な役割も持った方でした。
恐らくは、嘉納先生の先進的なお考えから、試しに、それまで日本に存在しなかった「スポーツ」という概念を積極的に柔道に取り入れられたのでしょう。その結果、多くの日本人が、より魅力的な「スポーツ」の部分ばかりに着目するようになってしまったものと思われます。
「武道」とは、あくまで個人的な見解ですが、稽古でやっていることはそれまでの伝統的な「武術」とさほど変わらないけれど、その目的が決して戦闘などではなく(勿論、Gameとしての試合に勝つことでもなく)、心を磨き、魂を磨く人間修行のためにやるもの、ということではないかと思います。
そういう意味では、日本に「武道」(※思想としての武士道という意味ではなく)が確立したのは江戸時代だと考えます。
戦国時代が終わり平和な江戸時代が訪れました。それまで命を懸けて戦うことが仕事だった武士は、今度は社会のリーダーとなって人々を取りまとめ、導くことが仕事となりました。
それでも、武士たちは「武士の魂」として常に帯刀し、日々の稽古に余念がありませんでした。
天下泰平の世でしたが、この時代が一番、町道場も増え、多くの人々が剣の稽古に励んでいたそうです。
それは一体なぜなのか?
勿論、殺し合いの戦闘に備えてではないし、ましてや、大会で優勝して金メダルを獲るためでもありません。常に、社会のリーダーとして相応しい人間であるために、心を磨く人間修行として剣の稽古に励んでいたのだと思います。
柳生新陰流が徳川家の御流儀になったというエピソードが、それまでの戦国時代の「武術」から、平和な江戸時代の「武道」への転換を象徴的に語っています。
戦国時代も終わりの頃、柳生石舟斎宗厳は、徳川家康の御前で新陰流奥義「無刀取り(※合氣道の太刀取りと一緒ですよね?)」を披露し、興味を持った家康自身も全く無傷で投げられてしまい、家康から是非とも剣術指南役にと推挙されました。
石舟斎は老齢を理由に辞退し、代わりに息子の宗矩が徳川家の剣術指南役に就任します。
柳生新陰流は「殺人刀(せつにんとう)」から「活人剣(かつにんけん)」へと説く流派であり、「切らず、(命を)取らず、勝たず、負けざる剣」であるそうです。これこそ、「武術」でもなく「スポーツ」でもない、理想的な「武道」ではないでしょうか。
尤も、日本人の中には無益な殺生を好まず、和を以て貴しとなす気質が昔からあったのでしょう。
飯篠長威斎家直によって創始され、現存する最古の剣術流派と言われる天真正伝香取神道流には、「平法」という教えがあり、戦わずして目的を達成することこそ真の理想であるとしています。
こう考えると、室町時代中期に既に理想の「武道」の萌芽があったと言えるかもしれません。
「武術」の本番は「殺し合いの戦闘」になった時。
「スポーツ」の本番は「試合」「大会」。
「武道」の本番は「日々の生活」「人生そのもの」、まさに「生まれて死ぬまで」。
こういうことではないかと思います。
因みに、合氣道開祖・植芝盛平先生は、合氣道こそが「武道」・「真の武道」であるとして、独自のお考えをお持ちです。
「武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである」(『合気神髄』P54)
「相手があり敵があって、それより強くなり、それを倒すのが武道であると思ったらそれは間違いである。真の武道には相手もない、敵もない。真の武道とは宇宙そのものと一つになることだ。宇宙の中心に帰一することだ。」(『合気神髄』P115)
練心館は、開祖の仰る所の「真の武道」である合氣道の道場です。
したがって、我々は常に平和を守り、この世界に、形の有る無いに拘わらず、素晴らしいもの、良いものを生み出し、それを大切に守り、そして、それを立派なものへと丹念に育て上げていくよう努力しなければならないのでしょう。
そして常に、己自身を宇宙そのものと一体化させる、といった、ある種の宗教的情操を持ち続けられるよう、努力しなければならないのでしょう。
我々の日々の稽古、鍛練を活かすための本番のステージは、やはり「生まれて死ぬまで」です。
毎年、鏡開きでは、子どもクラスの保護者の方々に向けて年頭挨拶を行っています。
いつの頃からか年頭挨拶は、練心館道場子どもクラスの「今年のテーマ」を発表する場になってしまいました。
いつもきちんとした原稿がある訳ではないので、正確に再現することはできませんが、以下、今年のご挨拶を記そうと思います。
今年の一月で、私が二代目館長を継いで丸十年となりました。
まだまだこれからですが、取り敢えず、十年間何とかやってこれたのは皆様の温かなご支援の賜物です。
心から感謝申し上げます。
どういう訳か毎年、子どもクラスの「今年のテーマ」を発表するのが恒例になっています。
昨年は、「本物を追求し、本物を育てる」でしたが、今年はそれを更に発展させて、練心館道場子どもクラスは、「真のエリートを育てる英才教育!」という結論になりました。
何だか仰々しくて偉そうで、本当にすみません。
実はこのテーマは、五年前(平成二十二年)と全く同じです。その時は『荘子』の「説剣篇」の話をしました。
趙の国の恵文王は政治をほったらかしにして剣術に狂い、国中から武芸者を集めては戦わせ、数百人の死傷者を出す有様でした。これを心配した太子は荘子に相談をします。荘子は武芸者になりすまして王様に剣を説きました。
私には三つの剣がございます。それは、「天子の剣」、「諸侯の剣」、「庶人の剣」。
「天子の剣」とは、天地自然の理と徳のことで、これは絶対不敗の王者の剣、皇帝の剣である、と。
「諸侯の剣」とは、人間の知恵と勇気のことで、これは為政者の剣、リーダーの剣ということ。
「庶人の剣」とは、喧嘩腰に人を威圧し暴力や凶器をふりまわすこと。しかし、こんなものは鶏の喧嘩と大して変わらず、そんなつまらぬことで大切な命を落としてしまったら、天下国家のために役立つこともできなくなってしまう。
恵文王様は、ご自身は天子様のようなお立場におられながら、何故に「庶人の剣」などを好まれるのですか!、と。
以来、恵文王は反省し剣術狂いは治まったそうです。
手前味噌な話で恐縮ですが、合氣道は、天地自然の理と徳を体得するための修行の道です。まさに、『荘子』「説剣篇」の中で説かれた「天子の剣」そのものだと今でも思います。
実は、今回は全く別のアプローチで「真のエリートを育てる英才教育!」という結論に至りました。
切っ掛けはテレビです。
昨年の十一月、練心館では約三年振りにテレビが視られるようになりました。
そうです。今まで地デジ化に対応していなかったのです。
NHK・Eテレ「ソウル白熱教室」という番組の再放送を偶々視て、えらく感銘を受けてしまいました。
ソウル大学のキム・ナンド教授が、韓国の熾烈な競争社会の中で生き辛さを感じ、悩む人々に対して、温かなメッセージを贈っていました。
その中で、心理学者ウォルター・ミシェルが四十数年前にスタンフォード大学で行った「マシュマロ実験」について紹介していました。
四~五歳の子どもを部屋に案内すると、お皿の上にマシュマロが一つ置いてあります。「このマシュマロは君にあげる。でも私が戻るまで(約二十分間)食べずに我慢できたらご褒美にもう一つマシュマロをあげるよ。」そう言って実験者は部屋を出て行ってしまいます。
我慢してマシュマロを食べずにご褒美にありつけた子は、全体の三分の一程であったそうです。
十数年後の追跡調査で、我慢できた子たちのグループは大学進学適性試験(S.A.T.)の点数が平均して二百点以上も高く、更にその後の人生でも、夢や希望を叶えたり、高収入な仕事に就いていたりしたそうです。
キム・ナンド教授は、この「目先の欲求を辛抱する能力」を「マシュマロ能力」と名付け、子どもたちに身に付けさせなくてはいけないのは、この「マシュマロ能力」だと力説します。
しかしながら、多くの韓国の親御さんたちは「マシュマロ能力」ではなく、目先の良い点数の取り方ばかりを教えようとする。確かに、立派な学校に入り、立派な職に就ければ嬉しいことだが、それを達成するためのもっと根本的な能力を教えることができていない。
多くの親御さんたちは、「人間性や社会性は社会に出て揉まれていくうちに自然に身に付くだろうから、先ずは学歴、そのためには塾。それは親がしてあげるから他は自分で何とかしなさい。」となってしまっている。
キム・ナンド教授は言います。
正直さや誠実さ、マシュマロ能力、他者への配慮、これらこそ、子どもの頃からの訓練と教育が必要であると。そして、その大切さを子供たち自身も解かるようにさせなければいけない、と。
更に、子どもたちに近道を教えてはいけない。ゆっくり進むこと、徐々に成長することが大切だと教えなくてはいけない、と続けます。
またもや、手前味噌な話で恐縮ですが、これを視て、道場で日頃、「目先の合理性に騙されるな」「目先の損得に振り回されるな」「目先の勝ち負けに拘るな」と言い続けてきて、それで良かったんだと心底思えました。
また、十年間不安もありましたが、安易に昇級させないできて良かったんだと、胸を撫で下ろしました。
恐らく、練心館は地域でも一番昇級が難しい習い事ではないかと思います。
昨今の新自由主義の影響下、子どもたちを取り巻く世界にも、目先の合理性や目先の損得、目先の競争ばかりに子どもたちを追い込もうという流れが強くなっているような気がします。
塾でもスポーツでも、とどのつまりは「いかにして他人を打ち負かし、自分が勝ち誇るか」しか教えていない所が増えてきたように感じるのです。
今、日本で一番有名な合氣道師範でいらっしゃる哲学者・思想家の内田樹先生は、よくこんなことを仰っています。
現代の日本社会には、リーダーとはどう振舞うべきかを何一つ学んでいない人間が、社会で上層部に君臨していることの悲劇がある、と。
子どもの頃から競争競争で、常に他人を打ち負かし、自分が勝ち誇ることにしか躍起になってこなかったような人間は、いざ自分が社会でエリートとなり、リーダーとなっても、同じように他人を打ち負かし、自分が勝ち誇ろうとする以外にどう振舞うべきか判らなくなるのでしょう。
勿論、リーダーに求められる資質とはそんなものではないし、そんな人間を真のエリートと呼べる筈もありません。
合氣道は、天地自然の理と徳を学ぶための修行の道です。それは、『荘子』「説剣篇」の中で説かれた「天子の剣」、絶対不敗の王者の剣、皇帝の剣です。
更に、合氣道の技のお稽古はお互いが相手を思いやらなければ成立しません。
普通にお稽古をすることが、自然に誠実さや他者への配慮を身に付ける情操教育になるのです。
また、合氣道の技は非常に高度なものなので、覚えるだけでも優れた脳トレにもなります。
そして、練心館では安易に昇級できません。否が応でも「マシュマロ能力」が鍛えられますし、目先の合理性や目先の損得、目先の勝ち負けに囚われない、長期的な視野で物事を本質的に捉える思考力が養われると思います。
今年の練心館道場子どもクラスのテーマは「真のエリートを育てる英才教育!」。
何だか結局は手前味噌な自画自賛となってしまいました。
しかしそれでも、練心館には他所とは違う、練心館に天から与えられた役割があるのだと信じています。
本年も是非、皆様からの温かなご理解とご支援を宜しくお願い申し上げます。
新年明けましておめでとうございます。
練心館が創立して、今年で33年目になります。そして、今年の1月で私が二代目館長を継いで丸10年となりました。
元々、情報機器等の扱いが大の苦手な人間ですが、頑張ってブログなるものを始めようという所存です。皆様、宜しくお願い申し上げます。
所で、いつもお正月のこの時期になると想い出すのが、「新春禊の行」です。
30年程前の話になりますが、当時、私は横浜市港南区にある心身統一合氣道の実心館道場(現・実心館合氣道会本部)にお世話になっていました。
その頃、正月3日の早朝に大勢が集まって、栃木県の鬼怒川に入るという一大イベントが行われていました。それが「新春禊の行」です。
気温零下何度の中、岸には薄氷が張った川に入るのですが、川から上がると髪の毛から氷柱が生えたり、歩く度にサンダルの裏に河原のゴロゴロした重たい石が一瞬で凍り付いてくっついてきたり、なかなかの荒行だったと思います。
それも今となっては懐かしい想い出です。
そしてお正月のその時期、いつも道場で聴いた話が「何故お正月のこの時期に辛い禊の行をするのか?」という話でした。
禊の行は古代から行われていた行法で、日本最古の記述は記紀神話に書かれたイザナギのお話、「小戸の神業」でしょう。
火の神を産んだ時の火傷が原因となってイザナミは亡くなってしまい、黄泉国に行ってしまいます。イザナギは妻を追って黄泉国へ行くのですが、そこは恐ろしい世界で、イザナギは命からがら逃げ帰ってきます。すると体中に穢れがこびり付いている事に気付き、川に入って禊をします。この時に多くの神々が産まれました。
「禊」の語源は、一説によると、「身を削ぐ」から来ているといわれています。まさに、心身にこびり付いた罪穢れを削ぎ落とす、という事でしょう。
「何故、お正月に禊をするのか?」
それは勿論、去年の罪穢れ、悪い事、嫌な事、それらをきれいさっぱり洗い流し、心身を清めるため、といえるでしょうが、それだけでは駄目なのだ、という事を毎年聞かされました。
「何故、お正月に禊をするのか?」
去年の罪穢れ、悪い事、嫌な事、それらをきれいさっぱり洗い流すのは勿論だけど、どうせならついでに、去年の嬉しかった事、楽しかった事、良い事もこの際全てきれいさっぱり洗い流してしまいなさい。いつもそう言われました。
これには理由があるそうです。
人間は、過去の良かった事にいつまでもしがみ付いていると、却って、勇気を持って新たな一歩が踏み出せなくなってしまったり、力強く未来を切り開いて行こうという気力が萎えてしまったりするそうです。
だから、新しい年の初めに禊の行を行って、去年の罪穢れ、悪い事、嫌な事、そして嬉しかった事、楽しかった事、良かった事、頑張った事、まとめて全てを洗い流してしまい、生まれたばかりの赤ん坊の様な、真っ白な心と体に立ち帰って、今年もまた頑張るぞ、となるための禊の行なのだそうです。
残念ながら、練心館では川に入ったり、滝に打たれたり、冷水を被ったり、そういった修行は一切やっていません。
別にやる必要もないかな・・・?というのが正直な所でしょうか(やっている方々に対しては心より敬意を表したいと思います)。
合氣道開祖・植芝盛平先生はこう仰っています。
「合気というものは、小戸の神業であって、禊である。」(『合気神髄』P138)
これは、正しい合氣道の稽古をしていれば、それが取りも直さず、心身を祓い清め、洗い清める禊の行になっているのだ、という事だと思います。
また、小戸の神業とは神産みの事であり、正しい合氣道の稽古は、宇宙、世界の生成発展の姿になぞらえる事ができるものだ、という意味ではないかと思います。
そんな訳で、今年も、正しい合氣道の稽古ができますように・・・。
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