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「造花」と「天然の花」 「愛」に関する考察②

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 『ありのままで生きる 天と人をつなぐ法則』(矢作直樹/保江邦夫 著 マキノ出版) 
 を読んで更に色々と考えさせられました。

 保江邦夫先生が「愛」について語る中で、マザーテレサのエピソードを紹介していました。


 「救護所に運び込まれたインド人男性の世話を、マザーがしていたときのこと。マザーは、男性の膿んだ傷口にわいているウジを見つけては、すぐに素手でつかんで取っていくんです。ほかのシスターや看護師さんたちは傷口のウジを見ても医師を呼んでくるだけなんですね。医師もピンセットでつまみ上げるだけ。『なのに、どうしてマザーはすぐにご自分の指で取り払ってくれるのですか』と男性が聞くと、マザーが答えるんです。

 『どうぞ、ほかの人たちを許してくださいね。あの人たちは、あなたを愛そうとしているだけで、まだほんとうには愛せていないのです。でも、今に愛せるようになりますから、それまで待ってあげていただけませんか』と。

 つまり、頭で考えて、『愛そう』と思っている間は、まだまだ『愛する』という状態にはほど遠いんですね。『愛そう』とかみじんも思わず、ただ、目の前に衰弱してケガをしている人の傷口にウジが見えたとき、とっさに手が動いて、指でつまみ出している。この行為の中にこそ愛があるからです。しかし、これは残念ながら、やはりだれにもできることではありません。」(P125~P126)


 日々の稽古中、「氣結び」によって成立する理想的な「魂」の合氣道をイメージする時、自分はまだ、「朗らかに積極的な心で!朗らかに積極的な心で!・・・」と自分で自分に言い聞かせながらやっているレベルです。

 それは言い換えるならば、頭で考えて、「愛そう!愛そう!・・・」と頑張っているレベルであって、まだ自分自身、本当の意味で「愛する」という状態には程遠いんだなぁ・・・と痛感させられます。

 自分の様な人間が、そう簡単にマザーテレサのような境地にはなれなくて当然、と言えば当然ですが、しかし、植芝盛平先生が説かれた合氣道の目指す理想とは、まさにそういった境地であり、そこまで行って、初めて真の合氣道は完成すると言えるのだと思います。



 近頃は便利な時代になりました。
 植芝盛平先生を始め、様々な流派、門派の伝説的名人・達人達の動画がパソコンで手軽に視られるようになりました。
 そして、そんな一昔前の伝説的な先生方の白黒映像を視ていてよく思うのが、意外と細かい所がいい加減だったりするんだなぁ・・・ということです(偉そうに何様のつもりでしょうか、すみません)。

 例えば、うちでは「体軸がぶれないように」とか、「正中線をしっかり向けて」とか、「動きの中で股関節を自在に使えるように」、「肩甲骨の柔軟性が云々」等々、大人クラスでは色々と細かく言っています。

 しかし、一昔前の伝説的名人達は、意外とその辺がいい加減だったりすることが多いような気がするのです。
 それならば、
 「昔の武術・武道はレベルが低く、現代の最先端の理論と練習法を知っている我々の方がハイレベルなのか?」
 「昔の名人と呼ばれる人の技は、実は、きちんとした基本すらちゃんと出来ていない程度の、出鱈目なものなのか?」
 とんでもありません!。
 細かい所は無視して、全体として見るとため息が出る程の素晴らしい妙技で、まさに名人の風格が表れています。

 ただいつも感じるのは、一昔前の武術家・武道家は、我々現代人が考えるような所謂「技術」を身に付け、「技術」を完璧にすることで達人・名人を目指すのとは、ちょっと違ったアプローチの仕方で、達人・名人を目指したのではないか?
 そんな思いがいつも頭の中を過るのです。


 昨今は、書店の武術・武道書コーナーに行くと、親切な技術解説書が山のように出ています。自分自身、それらの本のお陰で随分勉強になりました。

 しかし、遅かれ早かれ、いずれは「技術」ではどうにも先へ進めない壁が立ちはだかるのだと思います。



 これには「造花」と「天然の花」の譬えがぴったり当てはまると思います。

 それを聞くと、寺田寅彦の随筆「病室の花」の話を思い出す方も居られるでしょうが、そうではなく、三島由紀夫と太宰治の話です。

 若き日の三島由紀夫は、戦後間もない頃、当時人気作家だった太宰治にわざわざ会いに行き、面と向かって「あなたの文学は嫌いです」と言ったそうです。
 三島は生涯、太宰の文学を嫌っていたそうですが、その理由としてこんな説があります。

 三島の文学上の師とも言える川端康成は、三島初の長編小説『盗賊』を「脆そうな造花」と評しました。

 また三島は、文学とは「不朽の花を育てること」だとし、「そして不朽の花とはすなわち造花である」と述べています。

 その後、三島は偉大な文学者となり、数多くの名作・大作を世に出しましたが、三島の文学は、緻密で、絢爛豪華で、壮大な、「造花」だったと言えるのではないでしょうか?

 一方、太宰の文学は、三島に較べたら、粗削りで、含羞を感じさせる、小ぢんまりとした、しかし歴とした「天然の花」だったのではないかと思います。

 エリートとしてのキャリアは圧倒的に上である三島も、太宰に対し、自分には超えられない何かを感じ、複雑な思いを抱えていたのかも知れません。



 話を合氣道に戻しますが、

 どんなに「技術」を追求して、完璧な「技術」を身に付けたとしても、それは「造花」の合氣道の域を出ないものだと言えます。

 私自身、頭で考えて「愛そう」としているうちは、それは「造花」の「氣結び」であり、「造花」の「魂」の花を咲かせた合氣道なのだと思います。

 勿論「技術」は「技術」で大切な物であり、それを蔑ろにする訳にはいきません。
 練心館でも、今後もきちんと「技術」を追求して行くつもりです。

 しかし同時に、常に「心」を求めて諦めずに修行して行けば、いつの日か、頭で「愛そう」などと微塵も考えなくても、「愛している」のが当たり前になる日がやって来るかも知れません。

 そうなった時、たとえ荒削りでも、絢爛豪華さなど欠片もなくても、生命の宿った「天然の花」としての真の合氣道になるのだと思います。

 一昔前の、伝説的名人・達人達が、古い白黒映像の中で見せてくれる武術・武道の妙技の数々は、たとえ荒削りでも、小手先の「技術」を超えた、歴とした「天然の花」なのだと言えるのではないでしょうか。



 「技術」よりも「心」を求めて、合氣道の名人になられた方の代表として、万生館合氣道の創始者、砂泊諴秀先生が挙げられます。

 砂泊先生は、熊本で合氣道を教え始められた当初、自身の未熟さに忸怩たる思いを抱えていたそうです。
 小柄でどちらかと言えば華奢な体格の砂泊先生は、警察学校などで講習会を行った時、屈強な者に抵抗されると技が上手くいかなくなることがあったそうです。
 そこで砂泊先生は、体技ではなく、開祖・植芝盛平先生の精神的な教えにこそ状況を打破する糸口があると直感したそうです(そういった直感を得ること自体に非凡さを感じますが)。

 「合氣は愛である。和合であり結びである。この言葉を、どうして技として体現出来るか。」
 「真の合氣道に達するためには、開祖の御遺訓を目標にして修業することである。」
 (『合氣道で悟る』砂泊諴秀 著 たま出版 P12)

 それから数十年。今は故人となられてしまいましたが、合氣道界では、開祖・植芝盛平先生の直弟子の中でも最高峰の、知る人ぞ知る伝説的名人として知られています。


 砂泊先生を目標に、自分も「技術」だけでなく「心」をきちんと求めることで、「天然の花」としての「魂」の花を咲かせた、真の合氣道を目指して行きたいものです。
#ブログ #合気道 #武術 #武道

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