間違いは間違いだ。たとえ皆がそうするとしても。
正しいことは正しい。たとえ誰もそうしなくても。
アウグスティヌス
牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA
第51話 ロン追悼 ①「長く険しい日々 」
沖縄出身のウェートレスの道子さんは誰にでも愛される人。鮨店ではマネージャーを務めたこともあり客からも従業員からも慕われる。彼女は沖縄基地にいたロンさんと出会い結婚し渡米。あれから20年以上が経ち3人のお子さんに恵まれた。いつも夫婦円満で、たまに店に顔を出すロンさんも従業員の人気者。しかし突然の悲劇が彼を襲った。ステージ4の胃ガンと診断されたのだ。今から約10年前、鮨職人をしながらの宣教で最も長く険しい闘いが始まった。
痛みを我慢して病院へは行かず、重症化した後の発見という典型例だが、すぐにキモセラピー(抗がん剤治療)に入り厳しい闘病生活が始まった。今にして思えば、彼はステージ5に限りなく近いステージ4だったに違いない。1度のプログラムで数カ月を要するキモセラピーでコロコロに太っていた彼は見る見る痩せていった。副作用、不眠、食事制限とお決まりのコースを進み普段の生活は全く奪われた。しかしこの段階では彼が死ぬなどとは誰も思っていなかった。私以外は。。。
それでも私はひたすら祈りに没頭し、ロンの癒しと救いを祈り、店で道子さんに会う度に福音を伝えようとした。「教会に来れないならこちらから伺う」とも。しかし彼女は全く首を縦に振らない。「3分でいいから」といってもダメ、最後には「お祈りだけでもさせて欲しい」と言っても何やかやと断られた。時間だけが過ぎて行きあっという間に10ヶ月が経った。絶望的な無力感に襲われ、私は神に向かって叫んだ。「とにかく彼に合わせて欲しい」と。そして彼に福音を伝えるチャンスをくれと。。。
そうしたある日、何と道子さんが非番の日にロンと娘、友人を伴って鮨屋に現れた。キモセラピーが一定期間終了し外出許可が出たのだ。私の胸は高鳴った。主に感謝しつつロンとようやく話が出来ることを喜んだ。しかし彼は福音に関して全く関心を示さず、一応「ありがとう」と言ってくれはしたものの飯を食うだけ。「何かあればいつでも呼んでくれ」と声をかけて見送るだけに終わった。他方、道子さんもロンが少し回復したのを見て「もう大丈夫よ!」などと言い出した。
嫌な予感がした。重病であるにもかかわらずゴスペルを頑なに拒否する人はが良くない結果を招くのを見て来たからだ。そして案の定この後すぐにとんでもないことが起こった。長く険しい日々が一気にピークへと突き進み、イエスに従う者が「自分の十字架を負いイエスについて行く」という意味を嫌と言うほど思い知らされることになる。。。
「誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、
自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
マタイの福音書16章24節 8-10-2021
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もの言う牧師のエッセー 第113話 再投稿
「 闘将マンデラ 」
近年まれに見る最大級の国葬、世界中からの要人の出席。その中には、海外王室関係者 以外の葬儀には出席することはない日本の皇太子や、“兄よりも強硬派”で知られるキューバのラウル・カストロ議長の姿もあった。英エリザベス女王は出席を希望するも高齢のために叶わず、代わりにウェストミンスター寺院にて追悼行事が行われたが、同寺院で国外の人物のための追悼行事は初めてで、まさに巨星墜つとはこのことである。おかげで昨年の暮れは“マンデラじいちゃん”の優しいにこやかな写真がテレビや紙面を賑わした。が、それは彼の一面に過ぎない。
子供の頃はトラブルメーカーと呼ばれ、反アパルトヘイトの道を突き進む大学時代は学生ストを主導したとして退学処分、弁護士事務所開業後はANC(アフリカ民族会議)副議長で辣腕をふるう一方でシャープビル虐殺事件を引き起こし、ANCは非合法となり地下に潜ることになった。それでも懲りずに今度は軍事組織「民族の槍」を立ち上げ、剛勇でなるイスラエル特務機関モサドから破壊工作の訓練まで受けていたほどだ。そしてついに収監され28年後に出所した後も、彼の“やんちゃ”ぶりは全く衰えなかった。
実は彼が弁護士になる費用を工面したり、警察に追われる彼をかくまったのはユダヤ人たちであった。だが出所後の彼はいきなり元PLO議長で当時テロリストと名指しされていた故アラファト氏と抱擁し「同士!」とまで呼んだのだ。怒り狂う米ユダヤ人社会。
アメリカでは政治家らは選挙や世論に絶大な影響力を持つユダヤ人たちに気を遣うが、その後の彼の訪米でもテレビ生中継の場で、「ユダヤ人の犯す間違いは、ユダヤ人の敵が我々ANCの敵と同じであらねばならないと考えていることだ」と一蹴。
さらに「我々もPLOも自治権を求めて戦っており、私が過去にユダヤ人から受けた恩義やイスラエル国家の正当性を云々するものではない」と明言、「その付き合う相手によって自分の原則を変えるような人は、一民族を率いる人物ではありえないのだ!」と言い放ち、アメリカは度肝を抜かれ、世界中の貧困層は狂喜した。とにかく全くブレない、世論なんぞどこ吹く風の、もの言う信念の人だった。そのせいで彼は 2008年までアメリカのテロリスト監視リストに名を連ねていたほどである。
彼は熱心なクリスチャンだが、実は聖書には彼のような人が大勢出て来る。キリストもそうだったし、中でも最後にイエスの弟子となったパウロはマンデラにそっくりだ。
「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。或いはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私が今なお人の歓心を買おうとするなら、私はキリストのしもべとは言えません。」ガラテヤ人への手紙1章10節
と、目上の弟子たちを含む多数の人々に、正面きって叱りつけている。キリストの死により人類へ与えられたはずの「自由・死からの救い」に対し彼らが横槍を入れて来たからだった。マンデラもまた、人間が享受すべき自由を脅かすいかなる勢力に対しても徹底して戦った人だった。クリスチャンとは、イエスが下さった真の自由のために、キリストと同じように戦う人々なのである。 2014-1-3
PS:写真は1937年、19歳のマンデラ
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、
目で見たり手で触れたりすることは出来ません。
それは心で感じなければならないのです。
ヘレン・ケラー
わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。
へブル人への手紙13章5節
もの言う牧師のエッセー 第105話 再投稿
「 アンパンマンの遺言 」
「 正義というものはいったい何か。ミサイルで相手をやっつけることなのか、あるいは そこに来た怪獣をやっつけることなのか。僕はそうでないと思ったのね。本当の正義の味方 だったら、そこにお腹をすかせた子供がいたら、その子供にパンをわけて与える人が正義の 味方なんだと思ったんです」。やなせたかしさんが亡くなる一年ほど前に行われた “最後のインタビュー” でのコメントだ。
アンパンマンの絵本が世に出た60年代、評判はさんざんで、評論家や編集者から袋叩きにあった。幼稚園の先生からも酷評され、「図書館に置くべきではない」とさえ言われた。「自分の体をちぎるような残酷なものはだめだ」と。だがその後評価は一変する。何と幼稚園の絵本はたちまち読まれすぎてボロボロになり、図書館ではいつも“貸し出し中” 、幼稚園や保育園を中心に注文が殺到したのだ。その後90年代のテレビでのブームを経て、今や総売り上げ1兆1千億円に達し日本国内最強キャラクターに成長した。
「アンパンマンの中にあるのは『献身』なんだよね。正義は自分を犠牲にしなければどうしても出来ない。自分が傷つくことなしには出来ない、という僕の考えが入っているんだよね。」と言う やなせ氏。実は聖書にはアンパンマンがいる。ずばりキリストだ。
「 わたしが命のパンです。私に来る者は決して飢えることがなく、
私を信じる者はどんな時 にも、決して乾くことがありません。
私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私のうちにとどまります。」
ヨハネの福音書6章35・56節。
しかもこの説教を聞いた人たちの反応が傑作だ。
「これはひどい言葉だ。そんなことを誰が聞いておられようか。」
同60節
と。もうお気付きの通り、やなせさんは聖書を根本的に理解している人と言ってよい。元祖アンパンマンであるキリストは、あなたのために献身した最強のキャラクターなのである。 2013-10-31
愛する皆さま、
明けましておめでとうございます! 本年も宜しくお願いします!
皆さまとご家族に神のご加護と平安が豊かにありますように!!
感謝の心が伴うことによってのみ、人生は豊かになる。
ディートリヒ・ボンヘッファー
コーヒーカップのオーナメントがありました。笑える。
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