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もの言う牧師のエッセー 第143話 再投稿 

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もの言う牧師のエッセー 第143話 再投稿        
「 おやかた 」   

    「おやかた」の本がベストセラーという。“親方“ ではなく「親の家を片づける」という意味で、”親家片” と書いて “おやかた”と読む新語まで出来たというから驚いた。本の帯には「団塊世代を襲う、新しくて大きな問題!」などと思わずギクッとするような言葉が。親が施設に入る時、認知症を患った時、あるいは亡くなった時、40〜60代は膨大なモノの 詰まった親の家の片付けに直面する。

亡き親の思い出が深過ぎて何も捨てられず何年もかかってしまう人や、逆に捨てたがらない親と衝突し親子関係を悪くしてしまう人など、今年50歳の私にとっても切実な問題である。なぜなら牧師だった私の父は膨大な書籍を持ち、聖書だけでも100冊はあるかも知れず、他に手塚治虫全集やら日本文学全集やらを合算すると優に数トンはあるのではと推測される。

母も負けていない。元デザイナーの彼女は衣装持ちで雅なドレスが多くある。果たして私はそれらを捨てることが出来るのだろうか。だが今さら言うまでもなく、人間は何一つとしてこれらのものを “あの世” へ持って行くことは出来ない。キリストは言う。

「人は、たとい全世界を手に入れても、誠の命を損じたら、何の得がありましょう。その命を買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」
 マタイの福音書16章26節

と。人はそれぞれ一生の間いろんなことに励んだりモノを手に入れたりするが、死の前にはなすすべがない儚き存在だ。結局のところ、死から復活したキリストを信じ、永遠の命をいただき、“その日”に備えて可能な限り慎ましく生きること以外に、さし当たって解決法などない。片付けたり、片付けられたりする前に神を信じよう。神は我々を片付けたりせず、新しい世界を用意して下さるから。     2014-7-17 

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