とあるスーパー内のATMで札の入れ替えやってた。
現ナマごっそり!一人仕事とは何て不用心な!
防弾チョッキと拳銃で武装してるけど。
私はゆっくり歩く。だが決して後ろ向きには歩かない。
アブラハム・リンカーン
もの言う牧師のエッセー 第172話 傑作選
「 怒りの葡萄 」
カリフォルニアは今年も雨季である冬に雨が殆ど降らなかった。500年に一度とまで言われる大干ばつに見舞われた一昨年から現在までずっとこの調子だ。そんな折、ニュースで “ダストボウル“ の話が出たのでゾーッとした。それは約1世紀前に起こったアメリカ近代史の悲劇で、ジョン・スタインベックのピュリツァー賞受賞作、映画「怒りの葡萄」に詳しい。
大恐慌が世界を飲み込む一方で、中西部の農家たちは、資本家や政府の主導する稚拙な農業政策により沃野を破壊され、倒産・廃業する者が続出。そこへ大干ばつが直撃、耕作放棄地は乾燥し、ひどい時は視界一メートル半という大規模なダストボウル(黒い砂嵐)が発生、彼らはやむなく無一文同然でカリフォルニアなどへ低賃金の仕事にありつこうと移住して行く。
だが、再起を図ろうとした彼らを待っていたのは、又しても資本家と政府による労働者への搾取であった。僅かな仕事に群がる大勢の人々。結果、通常のレートよりはるかに安い賃金でこき使われ、殺される者、病死する者、自殺者や餓死者が続出、彼らの夢は無残に打ち砕かれどん底へと叩き落されるのである。
実は米国では今、ファーストフード業界などで働く低所得者達によるデモが絶えない。また、イラク戦争に従事した志願兵らの多くは、仕事に恵まれない田舎の若者らであったことも思い出す。「怒りの葡萄」は決して単なる物語ではなく今日的な問題なのである。
「そこで御使いは地に鎌を入れ、地のぶどうを刈り集めて、
神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。
その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て...」
ヨハネの黙示録14章19-20節、
と、本作品名の由来が聖書の最終章にあるが、言うまでもなく踏まれる葡萄は神を敬わない人間を指す。それは世で言う“最後の日”の類ではない。罪にまみれ、己の事しか頭にない愚かな人間の為に十字架にかかったキリストを無視した者への裁きの序曲である。ところで、映画化された本作品には一筋の光が差している。一家の肝っ玉母ちゃんを演じたジェーン・ダーウェルだ。彼女は絶対に諦めない。神を見上げいつも明るく歩んで行く。神を信じる者は最後に勝つ。 2015-2-20
私は生き方を学びました。
ただ横で突っ立って見てるだけじゃダメってこと。
オードリー・ヘップバーン
もの言う牧師のエッセー 第170話 再投稿
「 グッド・ツィッター 」
ルールはただ一つ。「良いことだけをつぶやこう。」
ツィッターと言えば今や修羅場の様相を呈していると言っても過言ではあるまい。
ゴシップ合戦、いじめ、強迫。。。
しかし昨年の暮れ、素晴らしいニュースが全米を駆け巡った。 マサチューセッツ州のブロックトン高校にて、同校二年生の匿名の生徒が突然、ツィッターアカウント “@BrocktonComps” を立ち上げたのだ。
「殆どの場合、フェイスブックやツィッターは、残酷な場所になっています。 それで私は、人々をバッシングする代わりにポジティブな投稿ができるページを作りたかったのです。」と本人の弁。「セリーナは私の親友。彼女なしではありえないわ!」「カルロスってスゲー!」「ホーガン先生の授業はサイコーで忘れられないものになりました。」などなど。「本当に素晴らしいです。否定的なものを積極的なものに変えてしまう人がいるとは! 彼らのためだけでなく、他の子供たちにとっても。」と、校長のシャロン・ウォルダー氏は喜びに震える。
聖書はズバリ
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。
ただ、必要な時、 人の徳を養うのに役立つ言葉を話し、
聞く人に恵みを与えなさい。」 エペソ人への手紙4章29節
と、ストレートに語っている。などと本稿を書いている私自身も、つい文句やボヤキをつぶやいてしまう未熟者であるが、不思議なことに良いことをつぶやくと、本人が一番元気になるから面白い。仏作家の テグジュペリは、「言葉は誤解のもと」などと言ったが、余計なことではなく良いことをつぶやきたいものである。とは言え、罪がある生まれたままの人間が良いことを表現するのは非常に難しい。しかし、自身を「言葉」に例えられるキリストを信じて初めて良いことをつぶやけるように変って行く。 2015-2-6
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