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【NHK WORLD】戦死した兄 取り戻したつながり(A brother killed in action, a connection restored.)

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https://www.nhk.or.jp/hokkaido... https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-na8c0bb9be388?fbclid=IwAR36tw0XJ4DUok5i0DlItUcCwqQa68a8YzyKVkGvYMIWPdHSD_aozm1nycU 【NHK WORLD】戦死した... 【NHK WORLD】戦死した... 【NHK WORLD】戦死した...
「兄がやっと帰ってきてくれた」
 
 戦争で命を落とした家族とのつながり。私はそれをおよそ80年ぶりに取り戻した2人の女性を取材しました。90歳代の2人は札幌とオーストラリアに住んでいますが、ともに大好きだった兄を戦争で亡くしました。そして戦地から「亡くなった」という知らせだけを受け取り、遺骨も遺品も手元に届きませんでした。そんな2人のもとに兄の遺品が海を越えて届けられました。兄と“再会”する瞬間、2人は何を思ったのでしょうか。
 

沖縄で戦死した札幌の兄 木箱には…
「私にとっては、宝ですね。宝。命に代えられるぐらいの宝だと思います」
 
札幌市に住む児玉陽子さん(91)が語るのは、1枚の日章旗のこと。
兄の吉原一德さんが20歳で出征する時に身につけていたものです。
 
陽子さんの9歳年上で優しくてハンサムな“自慢の兄”でしたが、太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなりました。21歳でした。当時、幼かった陽子さんのもとに届いたのは、戦死の通知と1つの木箱でした。
 
 児玉陽子さん
「こんな木箱ね、渡されたんですよね。母がね、『陽子、持ってみるかい』って言って、渡されたら、カラコンコロンって。見たら石ころ1つ入ってる、それだけです」

陽子さんのもとに一德さんの日章旗が戻ってくることになったきっかけは、アメリカのNPO「OBONソサエティ」に、あるアメリカ人男性から入った1本の連絡でした。
「亡くなった父が日本から持って帰った旗を、もとの持ち主に返したい」
日章旗は、アメリカ軍兵士が沖縄からアメリカに持ち帰っていたことがわかったのです。
 
旗には戦地での活躍を願う「敢闘必勝」ということばや、陽子さんの兄の名前が書かれていました。そして、旗を埋め尽くすほど多くの人の名前が寄せ書きされていました。当時、出征する兵士は、家族や同僚からこうした日章旗を贈られ、戦地に向かうのが習慣でした。
 
「OBONソサエティ」のメンバーで札幌市に住む工藤公督さんが、旗に書かれた名前をもとに遺族会などに問い合わせました。その結果、遺族が今も札幌に暮らしていることが判明。妹の陽子さんにたどりつきました。
 
寄せ書きは当時、一德さんが勤めていた札幌の百貨店の同僚たちが書いたものだということもわかりました。
 
 NPO「OBONソサエティ」工藤公督さん
「ご遺族がまだ札幌に在住し、ごきょうだいがご高齢ながらもご存命であるということがわかり、これはもう一刻も早く返還しなくてはと思いました」
誰よりも母に報告したい
 
陽子さんに日章旗が返される当日、旗をアメリカに持ち帰った海兵隊員の息子グレッグ・マッコラムさんとその家族もアメリカから駆けつけました。
 
そしてマッコラムさんの手から、陽子さんに直接、日章旗が手渡されました。陽子さんは旗を両手で顔に押し当て、感情を抑えられない様子でした。
 
そして、母親の遺影を前に泣き崩れました。陽子さんは、兄の“帰還”を、誰よりも亡き母に報告したいと思っていました。
児玉陽子さん

「兄が肌身離さず身につけていた日章旗を大切に保管してくれてありがとうございます。母が生きていたら、いちばん喜んだと思います」
 
アメリカ人兵士の家族に感謝の言葉を伝えた陽子さん。
兄・一德さんとの“再会”を果たし、心に決めたことを話してくれました。
「日章旗は、私が“あちら”に行くときに持って行って、母に渡すことに決めているんです」

 日章旗を返還したグレッグ・マッコラムさん
「遺品を家族に返すことで、私たちにとっても心の区切りになりました」

NPO「OBONソサエティ」工藤公督さん
「遺品が返還され、日本の遺族はお兄さんやお父さんをようやくちゃんと供養することができる。そしてアメリカ側にとっては、戦場から戦利品として持ち帰った遺品を、正当な所有者に返すことで、心の平安を取り戻すことになる。これが戦争をした国どうしの和解につながっているんだと思います。1枚の旗がどれほどの和解の力を持っているのか、ひしひしと感じます」
 
切り離された兄妹 オーストラリアにも
そして遠いオーストラリアに住むもう一人の女性についてです。
私は以前、オーストラリアに勤務していて、そこでも戦死した人の遺品が遺族に返される活動を取材したことがありました。
 
出会ったのは、北東部クイーンズランド州に住むケビン・ウェストさん。
ケビンさんのもとに小包がドイツから届きました。
 
入っていたのは、第2次世界大戦中、ドイツに撃ち落とされた軍用機の破片です。
搭乗していた兵士7人は全員、墜落で死亡しました。
このうちの1人が、ケビンさんの母の兄、ケビンさんにとって伯父にあたるオーストラリア人兵士でした。
 
 ドイツで戦死したオーストラリア人兵士 フレデリック・ジョン・キングさん
ドイツの市民グループが軍用機の墜落地点で残骸を収集し、遺族を見つけ出して届ける活動を続けていて、ケビンさんのもとに届けられたのです。
 
原形がわからないほどゆがんだ、金属の破片。これをケビンさんは、母親のベリルさんに届けました。認知症で高齢者施設に入所しているベリルさん。どのような反応をするのか、ケビンさんも私も、わかりませんでした。
ケビンさんはベリルさんに「お兄さんが乗っていた飛行機の破片だよ」と説明し手渡しました。

受け取ったベリルさんは、「今、返ってくるなんて、信じられない」と驚きの声を上げます。「兄は若くして亡くなった、とても悲しかった」。涙で声を詰まらせました。
そして私に、兄が優しい人だったということを、幼少期のエピソードとともに、たくさん話してくれました。兄との思い出を鮮明に語るベリルさんの様子に、息子のケビンさんは驚いていました。戦争から何年たっても、亡くなった家族とのつながりを、遺族は求め続けている。私はそれを身をもって感じました。

かつての敵が、今は
忘れられないベリルさんの言葉があります。
飛行機の破片を送ってくれたのがドイツの市民グループだと知ったとき放った言葉です。
「ドイツが返してくれたの?敵だったドイツが?」
 

オーストラリアと日本も、第2次世界大戦では敵どうしでした
破片を返還したドイツの市民グループも、陽子さんに日章旗を返したアメリカ人兵士の家族も、「正当な持ち主のもとに返したい」という思いで、みずから返還に動きました。
戦争当時は敵だった相手に対して、です。

戦争から何十年もたった今、“かつての敵”ではなく“人”として悲しみに寄り添う気持ちがあったからこそ実現した返還でした。
 
今の世界に目を向けると各地で戦闘が続き、きょうもどこかで大切な家族を失う人がいます。今、戦闘を続ける勢力どうしが敵ではなくなり、亡くなった人の遺留品を遺族に返す日は訪れるのでしょうか。先行きの見えない世界に、やるせなさを感じます。
家族を失う悲しみを経験する人がこれ以上増えてほしくないと強く思います。
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産経新聞/米非営利組織メンバー 工藤公督 Kudo, (49), member of a U.S. nonprofit organization Return of the Japanese flag of former Japanese soldiers, as soon as possible.

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産経新聞/米非営利組織メンバー...
米非営利組織メンバー 工藤公督さん(49) 旧日本兵の日章旗返還、一日でも早く
 
旧日本兵が戦地に持参した日章旗の返還を通じて、日米で平和活動に取り組む米国の非営利組織「OBON(オボン)ソサエティ」のボランティアメンバーとして、戦没者の親族探しや広報活動に取り組む。
 
高校を1年で中退し、単身米国へ。アイダホ州の高校でアメリカンフットボールを始め、全力でプレーする様子から「カミカゼボーイ」の愛称で呼ばれた。
 
21歳のときに帰国。自身の愛称の由来を調べたのがきっかけで、「戦争の歴史を学びはじめた」という。平成25年、OBONソサエティが発信したフェイスブックの書き込みをきっかけに、日章旗の持ち主の親族を探して返還する活動に携わるようになった。
 
当初は名前のくずし字が読めず、一文字ずつ調査。専門家の協力も得ながら解読し、名字の特徴から都道府県を絞り込む作業などを進めた。内装業で働きながら、日章旗に記された名前を手がかりに全国各地で戦没者の親族を探す。
 
これまでに600枚近くの持ち主が判明し、200(訂正600枚)枚以上を返還した。「遺骨さえ帰ってこなかったご家族にとっては分身のようなもの。涙する姿を見ると、返還活動を手伝わなければ自分の心がおさまらない」
 
先の大戦で米軍人が戦利品として持ち帰った日章旗は推計5万枚ともいわれる。膨大な調査が欠かせないが、日本国内のボランティアメンバーは自身を含めてわずか2人だ。それでも、「一日でも一枚でも、早くお返しできるようにしたい」と、理解と支援の広がりを強く訴える。
(坂本隆浩)
 

■くどう・こうすけ
昭和49年、札幌市出身。同市内の高校を1年で中退し、米アイダホ州の高校に入学。21歳で帰国し、内装業に従事。平成25年から、米オレゴン州公認の非営利組織「OBON(オボン)ソサエティ」のボランティアスタッフとして活動している。
 
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中日新聞/【つなぐ 戦後78年】父の旗 突然の帰還(Father's Flag Sudden Return)

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中日新聞/【つなぐ 戦後78年... 中日新聞/【つなぐ 戦後78年...
【つなぐ 戦後78年】(14)父の旗 突然の帰還

 思いもしない“帰還”だった。2019年5月、石川県白山市笠間町の山下弘さん(82)の元に、小包が届いた。沖縄戦で戦死した父・朱一さんの遺品。多数の寄せ書きで埋め尽くされた日章旗と、英語で書かれた1枚の手紙があった。戦後70年余りを経て手にした形見を前に、山下さんは激戦を極めた沖縄で命を落とした父の最期と、帰らぬ夫を待ち続けた母の姿に思いをはせる。

 県遺族連合会などによると、朱一さんは1910(明治43)年、笠間村(現白山市笠間町)石立町に生まれた。妻の咲子さんとは39年に結婚。2人の間に山下さんが誕生したのは41年8月で、同年12月8日に太平洋戦争が開戦した。

 大阪市電気局に勤めていた朱一さんは、陸軍に入隊し、戦地へ向かった。山下さんと咲子さんは大阪から石川へと戻った。朱一さんは沖縄戦に動員され、45年6月26日、沖縄本島南端の糸満市山城(やまぐすく)地域で戦死したとされる。34歳。南進する米軍に追い詰められ、多くの犠牲者が出ていた日本軍の幹部が自決し、組織的な戦闘が終わった後のことだった。

 小包は米ミシガン州から発送されていた。送り主は米兵だった父を持つジョン・マイヤーズさん。手紙はマイヤーズさんが記したもので、マイヤーズさんの父が第2次世界大戦中、多くの日本兵が戦地に残した旗を持ち帰っていたことなどがつづられていた。「この旗は、あなたにとって大切なものであるだろうと思います」とあり、最後は「お互いの心の傷が癒やされ、安らぎを見いだせることを願い、この旗を送ります」と結ばれていた。
 マイヤーズさんと山下さんの間を仲介したのは、海外のNPO「オボン・ソサエティー」(米オレゴン州)。大戦中に米兵らが持ち帰った日本兵の遺品、特に「日の丸寄せ書き」の返還を支援している。

 「えっ、今ごろ! びっくりというのが率直な感想」。旗を受け取った当時の心境を、山下さんはそう振り返る。「大きな汚れや焦げ跡もなく、少なくとも父の死後、むごい仕打ちにあったことはなさそうなのでほっとした」とも。

 朱一さんの訃報が届いたのは戦後。「1枚のはがきが届いたことが印象に残っている」。幼かった山下さんには泣き崩れる母の姿が記憶にある。成長するにつれ、「父の遺骨や遺品はなぜ帰ってこないのだろう」と疑問を抱くようになった。2015年、父が戦死した沖縄県に初めて遺族会で赴いたが、戦没地とされる山城には日程の都合で足を運べなかった。その後は家族の体調不良などで、沖縄訪問は実現していない。

 戻らぬ遺骨に、帰還を強く望む山下さん。その理由は、10年前にこの世を去った母の姿が心の中に残り続けているから。「家の仏壇に昔、母が石ころを置いていた。母に理由を聞くと、遺骨の代わりだと。そんな姿が哀れでならなくて、当時はかける言葉が見当たらなかった」

 わずかながらも父の遺品を手にして「少し気持ちが晴れやかになった」と山下さん。母の思いを果たすため、父の最期を知るためにも、「また沖縄に赴き、父のことをもっとよく調べたい」と誓う。 
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NHK特集動画/戦争で絶たれたつながり 家族の思いは(The family's thoughts and feelings about the connection cut off by the war)

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NHK特集動画/戦争で絶たれた...
戦争で絶たれたつながり 家族の思いは
12月07日 18時29分
 
特集です。8日は太平洋戦争が開戦した日です。たくさんの人が戦地で命を落としましたが、今もその遺骨や遺品の多くが家族のもとに戻っていません。戦争で絶たれたつながり、家族が抱えてきた思いを聞きました。
 
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STV動画/「敢闘必勝」沖縄戦から78年 「兄が帰ってきてうれしい」札幌の遺族に日章旗を返還(78 years after the Battle of Okinawa: "I'm glad my brother is home.")

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STV動画/「敢闘必勝」沖縄戦...
「敢闘必勝」沖縄戦から78年 「兄が帰ってきてうれしい」札幌の遺族に日章旗を返還
「敢闘必勝」沖縄戦から78年 「兄が帰ってきてうれしい」札幌の遺族に日章旗を返還
 
戦争中出征する兵士に贈られた「日章旗」。
 
兵士たちは日章旗に書かれた「寄せ書き」を、お守りとして片時も離さず身に着けていたといいます。
 
太平洋戦争の沖縄戦から78年。
 
札幌の男性の遺族のもとに日章旗がもどってきました。
 
(アメリカ兵の息子 グレッグ・マッコラムさん)「お会いできるのを心から楽しみにしていました」
 
(吉原さんの妹 児玉陽子さん)「兄の大事な旗を大事に保管して頂いて本当にうれしく思っています」
 
3日に札幌市内で日本とアメリカの遺族が初めて対面しました。
アメリカ兵が持ち帰った「日章旗」が札幌の遺族に返還。
実に78年ぶりのことです。
 
『祝・入営、吉原一徳君』そして『敢・闘・必・勝』。
この旗の持ち主は旧日本軍の兵士、1945年の沖縄戦で21歳の若さで戦死した、札幌出身の吉原一徳さんでした。
 
78年前「ありったけの地獄を詰め込んだ」といわれた沖縄の戦いでは、わずか3か月あまりで24万人以上が亡くなりました。
 
旧日本軍の兵士が身につけていた「日章旗」は「戦利品」としてアメリカ兵の多くが持ち帰っていました。
 
日章旗に書かれた寄せ書きから78年ぶりに、兄の遺品は何一つなかったという妹の陽子さんのもとへ。
 
(吉原さんの妹 児玉陽子さん)「さみしいよりも兄が帰ってきて本当にうれしくてね。グレッグさん、感謝しています」
 
(アメリカ兵の息子 グレッグ・マッコラムさん)「吉原さんの遺品を遺族に返すことができ、私たちも心の区切りとなった」
 
戦地に向かう兵士に無事を祈って贈られた「日章旗」。
 
歳月が流れ記憶が薄れる中、受け継がれた「遺品」が戦争の悲惨さを伝えています。
 
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HTB動画/「奇跡中の奇跡」日章旗が78年の時を経て返還 旗の寄せ書きから身元判明 元海兵隊遺族が来日し直接返還(Miracle of Miracles" Japanese flag returned after 78 years)

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HTB動画/「奇跡中の奇跡」日...
「奇跡中の奇跡」日章旗が78年の時を経て返還 旗の寄せ書きから身元判明 元海兵隊遺族が来日し直接返還
太平洋戦争で死亡した札幌出身の旧日本軍兵士。遺品だった「日章旗」が78年の時を経てアメリカから遺族の元に帰ってきました。

児玉陽子さん:「まさか兄の肌身離さず持っていた日章旗が戻ってくるなんて思いもしなかった。私にとって奇跡中の奇跡」。

吉原一徳さん。札幌で7人兄弟の長男として生まれ、1944年、20歳のとき旧陸軍兵士として戦地に送られました。一徳さんはその翌年、沖縄戦の最後の激戦地と言われた糸満市国吉で亡くなりました。

一徳さんと9つ違いの妹・陽子さんは今も一徳さんとの思い出を覚えているといいます。
児玉陽子さん:「家族思いで、両親思いで、兄弟思いで、そしてハンサムでしょう。
今でいえばイケメン。兄が月曜日休みで、私が学校から帰るとそり遊びとかスキーに一緒に行って」。

日本兵がお守りとして持っていたとされる「日章旗」。一方でアメリカ兵にとって、敵国の旗は戦利品の一つでした。

一徳さんの日章旗はアメリカの元海兵隊員ウォーレン・マッコラムさんがアメリカに持ち帰っていました。ウォーレンさんは1994年に亡くなりましたが、戦地から持ち帰った品々は箱に入れクローゼットで保管していました。

2日、新千歳空港に降り立ったのはウォーレンさんの息子・グレッグさんです。

グレッグ・マッコラムさん:「父は従軍したときのことを決して話そうとしませんでした。壮絶な激しい戦闘を経験したので、そのことについて固く口を閉ざしていました」。
父が持つ日章旗の存在を以前から知っていたというグレッグさん。日章旗返還のために活動するアメリカ・オレゴン州のNPO団体「OBONソサエティ」を通じて日章旗の意味を知り、旗の持ち主を見つけてほしいと依頼しました。

出征前、今井商店、現在の丸井今井に務めていた一徳さん。旗には上司や同僚から寄せられたメッセージが書かれていました。当時の社長だった今井道雄さんの名前があったことなどが決め手となり、一徳さんの家族が判明。日章旗を妹・陽子さんのもとへ返還することになりました。

グレッグ・マッコラムさん:「吉原さんには3人の兄弟がまだ健在でした。熟考を重ねて、私たちにとっても、旗を遺族に手渡すのがふさわしいことだと思い来日しました」。
Q.遺品や戻ってきたものは?

児玉陽子さん:「護国神社にお骨をもらいにいったんですよね。たくさん人が集まってこんな木箱渡されたんですよね。母から『陽子もってみるかい』って渡されたら、『カランコロン』って。そして家帰ってきてみたらこんな石っころ一つ入ってて、それだけです。
その石ころのままお墓におさめたけど、あのカランコロンの音は悲しかったですね。今でも覚えてます」。

3日、道内出身の沖縄戦戦没者が祀られている札幌護国神社に両家が集い、返還式が行われました。78年の時を経て、旗がようやく家族のもとに帰ってきました。

グレッグさんの娘・アメリアさん:「旗は今後どうするつもりですか?」。
児玉陽子さん:「もう飾る場所を用意しています」。
グレッグ・マッコラムさん:「お兄様の写真を持たせてもらってもいいですか?」。
児玉陽子さん:「どうぞ」。
グレッグ・マッコラムさん:「私にとってこの返還は、区切りになりました。吉原さんが家族の元へかえることへの役割を果たせてうれしく思います」。
児玉陽子さん「うれしい気持ちです。寂しいよりも兄が帰ってきたという気持ち。母が一番いま生きていたら喜んだと思います」。
 
 
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HBC動画/78年前、最後に見た兄が持っていた寄せ書き入りの「日の丸」沖縄で戦死した旧日本兵の遺品が元アメリカ海兵の息子から家族の元へ(Remains and artifacts that could not be found no matter how many times I visited )

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HBC動画/78年前、最後に見...
78年前、最後に見た兄が持っていた寄せ書き入りの「日の丸」沖縄で戦死した旧日本兵の遺品が元アメリカ海兵の息子から家族の元へ

「兄が帰ってきた」。太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した北海道出身の旧日本兵。
 その遺品が78年ぶりに遺族の元に戻りました。

 札幌市に住む児玉陽子さん91歳。78年前の沖縄戦で兄を亡くしました。
児玉陽子さん(91)
「家族思いで、両親思いで、兄弟思いで…そしてハンサムでしょ?」
 日米合わせておよそ20万人が亡くなった沖縄戦。

 北海道内出身の戦没者は1万人を超えました。

 陽子さんの9つ上の兄で、7人兄弟の長男だった吉原一徳さん。
 野戦病院で治療中でしたが自ら志願。

 上官に「長男だから」と止められたものの、激戦地だった現在の糸満市に赴き、21歳で戦死しました。

児玉陽子さん(91)
「護国神社に遺骨をいただきに行ったんです。こんな木箱わたされたんですよね。母がね、陽子持ってみるかいって、渡されたら『からんころん』って…。家帰って見てみたら、こんな石ころひとつ入って…それだけです」

 沖縄を何度訪れても見つからなかった遺骨や遺品。
 しかし、78年が経った今年、出征の日に一徳さんが持っていた「寄せ書き日章旗」が戻ってくることになったのです。

 日章旗は、元アメリカ海兵隊員のウォーレン・マッコラムさんが、沖縄からアメリカに持ち帰っていました。

 ウォーレンさんの死後、息子のグレッグさんが今年3月、旧日本兵の遺品返還活動を行うアメリカのNPO、「OBONソサエティ」に返還を依頼。

 旗に書かれた名前などから、陽子さんたちにたどり着きました。
 「直接返還したい」。グレッグさん家族は、3日、札幌を訪れ、陽子さんら遺族と初めて対面しました。

児玉陽子さん(91)
「旗を大事に保管していただいて本当に嬉しく思っています。ありがとうございました」
 最後に見た兄が持っていた日章旗が78年ぶりに戻りました。
児玉陽子さん(91)
「何か兄が帰ってきたという気持ちでほんと嬉しくてね、グレッグさんに感謝の気持ちでいっぱいです。母がいま生きていたらよろこんだと思います…」
アメリカ兵の息子 グレッグ・マッコラムさん
「吉原さんの遺品を遺族に返還することができ、区切りを付けることができた」

 78年ぶりに戻った日章旗。

 無念の死を遂げた一徳さんの思いとともに「戦争をしてはならない」と私たちに語りかけています。
 
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NHK動画/沖縄戦で米兵が持ち帰った日章旗 札幌の遺族に返還(Japanese flag brought back by U.S. soldiers from the Battle of Okinawa returned to bereaved families in Sapporo.)

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NHK動画/沖縄戦で米兵が持ち...
太平洋戦争末期の沖縄戦でアメリカ兵が戦地から持ち帰った日章旗が札幌市出身の男性のものだったことがわかり、終戦から78年をへて遺族に返還されました。
この日章旗は、昭和20年の沖縄戦で戦死した札幌市出身で当時21歳だった吉原一徳さんが持っていたものです。

出征する際に贈られたということで、吉原さんの名前とともに当時勤めていた札幌の百貨店の同僚など60人あまりの名前が寄せ書きされています。

沖縄戦の際にアメリカ兵の男性が戦地から持ち帰っていましたが、男性が亡くなったあと息子のグレッグ・マッコラムさんが遺留品の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」に、「遺族に返したい」と連絡してきたということです。

3日、札幌市中央区の札幌護国神社で行われた返還式には、吉原さんの妹の児玉陽子さん(91)など遺族が出席しました。

返還式で児玉さんは、来日したマッコラムさんから直接、日章旗を手渡されると涙を流しながら旗を顔に押し当てていました。

児玉さんは「兄が肌身離さず身につけていた日章旗を大切に保管していただき本当に感謝しています。母が生きていればいちばん喜んだと思います」と話していました。

旗を返還したマッコラムさんは、「旗を遺族に返還することで私たちの中でも区切りをつけることができました」と話していました。
 
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産経新聞/日章旗が米南部から札幌へ 沖縄戦遺族に形見が返還(Japanese Flag from Southern U.S. to Sapporo.)

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産経新聞/日章旗が米南部から札...
先の大戦で激戦地となった沖縄から米海兵隊員が持ち帰った寄せ書き入りの日章旗の持ち主が判明し、旗を保管していた米南部ジョージア州の一家が3日、札幌市を訪れて持ち主の遺族に78年ぶりに返還した。
 
日章旗は海兵隊員ハービー・マッコラムさん(故人)が持ち帰り、息子のグレッグさん(70)が同州ロームの自宅で保管していた。グレッグさんは今年3月、日章旗の返還に取り組む西部オレゴン州のNPO「OBON(オボン)ソサエティー」に相談。調査の結果、持ち主が札幌市出身で陸軍第32連隊に所属していた吉原一徳さん=当時(21)=と判明した。
 
吉原さんは遺体も見つかっていない。妹の児玉陽子さん(91)はグレッグさん一家に「兄の魂がこもった旗を大事に保管してくれてありがとう。父と母も天国で喜んでくれているはず」と謝意を伝えた。
 
 
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北海道新聞/形見の日章旗、78年ぶり戻る 沖縄で戦死した札幌出身・吉原さん 米兵遺族が保管(Return of the Japanese flag after 78 years・Sapporo)

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北海道新聞/形見の日章旗、78... 北海道新聞/形見の日章旗、78... 北海道新聞/形見の日章旗、78...
1945年(昭和20年)6月に沖縄戦で戦死した札幌出身の吉原一徳さん=当時(21)=が戦地で持っていた日章旗が3日、戦後78年間保管していた米兵の遺族から妹の児玉陽子さん(91)=札幌市東区=に直接返還された。児玉さんは「兄が帰ってきたような気持ち。大切に持ってくれていてありがたい」と涙ながらに感謝した。

■妹「兄が帰ってきたよう」
 旧日本兵の遺品返還を進める米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」の取り組みで、米兵の遺族が来日して返還するのは道内では初めてで、全国でも7例目。返還式を3日、札幌市内で行った。

 吉原さんは種苗農家の7人きょうだいの長男に生まれ、15歳で今井商店(後の丸井今井)で働き始めた。44年2月に出征し、その際に職場の人から贈られたとみられる日章旗には3代目社長の故今井道雄さん=90年死去=の署名もある。9歳違いの妹の児玉さんは「本当に優秀で、両親も自慢の兄だった。一緒に雪遊びをしたのが楽しい思い出」と振り返る。

 戦後、児玉さんら家族のもとを訪れた当時の上官によると、吉原さんは野戦病院で治療を受けており、上官から「(家を継ぐ)長男なのだから」と病院に残るよう説得されたが、「故郷に弟がいるので大丈夫です」と自ら志願し、最後の突撃に加わったという。20年6月18日、沖縄戦の激戦地、糸満市国吉で戦死した。

 日章旗は沖縄戦に従軍した元米海兵隊の故ウォーレン・マッコラムさん=94年に72歳で死去=が米国に持ち帰り、保管していた。長男のグレッグ・マッコラムさん(70)=ジョージア州在住=が3月、「持ち主の家族に返したい」とOBONソサエティに旗の返還を依頼。同団体は日本遺族会と連携して遺族を捜し、児玉さんにたどり着いた。

 児玉さんに日章旗を手渡したグレッグさんは「ご遺族にとって心の区切りになると思い、直接返したいと考えた」と語り、児玉さんは「亡くなった母が一番喜んでいると思う。悲しい時もあったが、今はうれしい」と声を震わせた。

 来道したOBONソサエティのレックス・ジーク代表(70)は「(戦没者を直接知る人に遺品を手渡せる)奇跡をきょうで終わりにせず、一人でも多くの遺族に日章旗を返還したい」と話した。
 
 
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