記事検索

OBON Society Blog

https://jp.bloguru.com/obonsociety
  • ハッシュタグ「#海軍」の検索結果6件

フリースペース

福島TV/ガダルカナル島で戦死 終戦77年・無事を願った日章旗が遺族のもとへ つなぐ平和への願い【福島発】((Japanese News TV featured Flag return in Fukushima Prefecture ))

スレッド
7月22日に郡山市役所にて 7月22日に郡山市役所にて 福島TV/ガダルカナル島で戦死... 元米兵「チャールズ・マーコット... 元米兵「チャールズ・マーコット」さん 共同代表 敬子・レックス ジー... 共同代表 敬子・レックス ジーク 郡山市遺族会  郡山市遺族会  福島TV/ガダルカナル島で戦死...
昭和17年にガダルカナル島で散華された、福島県郡山市出身の 宇南山 民男 命(当時23歳)の所持品だった日章旗が22日、保管されていた米国からご遺族に返還されたました。返還式の様子を福島ニュースTVが放送して下さいました。

----------

80年を経て、遺族のもとに戻ってきた日章旗。

郡山市から出征した宇南山民男さんのものだ。宇南山さんの写真は残されていなく、遺族にとって本人を偲ぶ数少ない遺品となった。

南太平洋の島、ガダルカナル島。
旧日本軍とアメリカ軍が激しい戦いを繰り広げ、宇南山さんは砲弾の破片を受けて戦死。1942年11月29日23歳だった。出征する際、故郷の家族や友人などが無事を祈り贈った日章旗。宇南山さんは戦地でも肌身離さず持っていたとみられている。
ロバート・マーコットさん:「何が書かれてあるものだろうと、いつも不思議に思っていました。小さかったですから。いつもこの日章旗は誰のものだったのだろうと思っていました」

アメリカ・マサチューセッツ州に住むロバート・マーコットさん。
軍人だった父親のチャールズさんがガダルカナル島に派遣された際、同僚から宇南山さんの日章旗を受け取りアメリカに持ち帰ったという。

ほとんどの日本兵が身に着け、戦利品として最も人気だった日章旗。
しかし、ロバートさんの父は自宅に飾ることはなく、タンスの奥で大切に保管していた。
ロバート・マーコットさん:「私たちは日章旗に敬意を払っていました。日本兵の御霊を示すものだからです」

チャールズさんが亡くなった後、ロバートさんが日章旗を受け継いだ。
ロバート・マーコットさん:「ご遺族に返したかった。でも、方法が分からなかったんです。でも『OBON SOCIETY』が助けてくれました。日章旗をご遺族に返すことができ、御霊を(祖国に)帰すことができて、とてもとても誇らしく思います」
日章旗をはじめ、日本兵の遺品を返還する活動に取り組むアメリカのNPO団体『OBON SOCIETY』これまでに、450本以上の日章旗を遺族の元に返還してきた。
OBON SOCIETY レックス・ジーク代表:「悲惨な戦争はやめなければいけない。日章旗の返還は、その重要な教訓を全世界に知らせる取り組みだと思っている」
OBON SOCIETY 敬子・ジーク代表:「ご先祖様、国のために亡くなられた兵士の魂がきっと平和を願い、旗とともに私たちにおそらくメッセージを伝えられているんじゃないかと思います」

『OBON SOCIETY』などと連携し、宇南山さんの日章旗返還を実現した郡山市遺族会。遺族会の高齢化が進む中、孫やひ孫の代に戦争を伝える上でも日章旗を遺族のもとに届ける意味は大きいと話す。

郡山市遺族会・宍戸武さん:「その(戦争の)話が、子どもの耳におさまることは結果的には大きい事業なの。そういうふうに私は自信をもっているんです」
戦地に向かう兵士の無事を願った日章旗。

今は戦争を風化させない意志、そして平和への願いも込められている。

宇南山洋子さん(民男さんの甥の妻):「返還は本当に感謝ですね。大事に保管してくれてね、それも日本に送ってくれたということで。本当に会えれば会って話したいくらいですね。お礼を言いたいですね。民男さんが一番天国で喜んでいると思っていて、日章旗を大事に私たちが持っていて、お盆の時とかにみんなで話合えるから、民男さんは天国できっとそれを見ていると思います」

https://www.youtube.com/watch?v=UM2Hw6DgbNI
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #ガダルカナル島 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #海軍 #福島県 #英霊 #護国神社

ワオ!と言っているユーザー

読売新聞/ガダルカナル島の日章旗、80年ぶり故郷・郡山へ…遺族「お墓の家族に報告したい」((Japanese Newspaper featured Flag return in Fukushima Prefecture ))

スレッド
読売新聞/ガダルカナル島の日章...
太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島のガダルカナル島で、1942年に戦死した郡山市出身の 宇南山うなやま 民男さん(当時23歳)の所持品だった日章旗が22日、保管されていた米国から遺族に返還された。80年ぶりに古里に戻り、遺族も感慨深げだった。

郡山市遺族会や宇南山さんの遺族などによると、民男さんは1919年生まれ。42年1月、広島県の宇品港から戦地に向かい、同年11月、ガダルカナル島で腰と腕に砲弾の破片を受けて戦死したという。

日章旗は43年1月、ガダルカナル島に滞在していた米軍のチャールズ・マーコットさんが、現地の住民から受け取って持ち帰り、保管していた。受け継いだ息子のロバートさんが、日本兵の遺品返還活動を行う米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」に提供し、日本遺族会などの確認作業を経て返還が実現した。


この日は、宇南山さんのおいの妻・宇南山洋子さん(80)が郡山市役所を訪れ、市遺族会の渡辺守久・副会長から「武運長久」などの寄せ書きが入った日章旗を受け取った。洋子さんは「お墓の家族に、日章旗とともに民男さんの 御霊みたま が戻ったと報告したい。皆が喜んでいると思う」と話した。

同席した品川万里市長は「日章旗の返還は、日米の善意のリレーによって実現した。世界で戦禍が絶えない中、一日も早く平和と秩序が保たれてほしい」と語った。  
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220723-OYT1T50130/
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #ガダルカナル島 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #海軍 #福島県 #英霊 #護国神社

ワオ!と言っているユーザー

Happy 99th Birthday to our friend- Ed Johann! エドさん99歳のお誕生日おめでとうございます!

スレッド
Ed Johann along with other W... Ed Johann along with other WW2 veterans visited Japan with OBON SOCIETY staff for an unofficial peace ambassadors from America Ed Johann Ed Johann Front L to R: Paul Boeger; N... Front L to R: Paul Boeger; Navy, Vern Thompson; Navy and Eldon Shields; Marines.
Back: L to R: Harold LaDuke; Navy, Dallas Britt; Army and Ed Johann; Navy.
Ninety-nine years ago today......Ed Johann was born! We wish him a HAPPY BIRTHDAY....
You can listen to Ed talk about his remarkable life by watching our interviews.
Part 1: https://youtu.be/74VvpTn77FY
Part 2: https://youtu.be/j0EZ_QwOpz8
Part 3: https://youtu.be/WVuyCJB1VYU

Or, you can give him a call. Today...July 11th is his birthday....he is a little hard of hearing so don't be shy. He would love to hear from anyone...since everyone is his friend.
Ed's telephone number: 503-554-7154

Or, drop him a note or card. He loves the mail.
Ed's mailing address:
Ed Johann
c/o Marquis Newberg
441 Werth Blvd
Newberg OR 97132
United States
Happy Birthday Ed!!

今日は、私たちの尊敬する友人、退役軍人エドさんの99歳のお誕生日です!英語ができる方は、エドさんへ電話か手紙をしてあげてください!下記リンク先は、エドさんについてのエピソード動画3話「秘話」の日本語字幕付きです。是非、ご覧ください!
パート1:https://youtu.be/iauWKSwxrS4
パート2:https://youtu.be/aug7O2XDTkc
パート3:https://youtu.be/Yt0v0GlnWa0

エドさん、お誕生日おめでとうございます!
#EdJohann #Veteran #flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #ww2 #寄せ書き日の丸 #海軍

ワオ!と言っているユーザー

北國新聞/亡き叔父の日章旗帰還(Japanese Newspaper featured flag return in Ishikawa Prefecture )

スレッド
北國新聞/亡き叔父の日章旗帰還...
4月8日石川県能美市にて同町出身の海軍兵士「田端秀雄 命」の日章旗が石川県遺族連合会から兵士の甥である「田端駿一」さんに返還されました。返還の様子を北國新聞が記事にしてくださいました。
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #soldier #ww2 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #海軍 #石川県 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

OBON捜索班手記/北海道美深町で戦没者遺留品を返還(Returning the remains of the war dead in Bifuka-cho, Hokkaido)

スレッド
右近恒雄命の義理の息子にあたる... 右近恒雄命の義理の息子にあたる市名豊治さん 子供たちを想いカタカナで綴られ... 子供たちを想いカタカナで綴られた葉書
捜索班の工藤です。令和4年4月3日、硫黄島で散華された日本海軍兵士「右近恒雄 命」の遺留品をご遺族へ返還する為、北海道の美深町を訪れました。

遺留品は「右近恒雄 命」が郷里に住む5人の子供たちへ宛てた葉書でした。葉書には幼い子供たちに「仲良く、病気や怪我に気を付け勉強に励み叔母さんの言う事を聞くのですよ」と全文がカタカナで綴られてありました。

返還を受けられたのは兵士の末娘、御年83歳になられる「恒子」さんでした。しかしながら恒子さんは返還の数日前に怪我をされて入院されており、代わりに恒子さんのご主人が葉書を受け取られました。ご夫妻の住まわれる高齢者施設へは昨今のコロナ過という事もあり、入室が制限されてあるため返還は施設の玄関風除室で行われました。職員さんが風除室に椅子を用意して下さりそこで膝を突き合わせ、風呂敷の上で行われた小さなセレモニーでした。

風呂敷から取り出した葉書を見られたご主人は「子供たちが読めるように全部カタカナで書いたんですね」と義理の父の、子を思う優しさを感じていたようでした。OBONからは当会からのメッセージと、遺留品の提供者である米国フロリダ州在住の「マージョリー・ダネヒー」さんからのお手紙についてお話しました。

この時期の北海道は4月とは言え外気温は7度ほど、風除室も外とたいして変わらない温度なので長居は出来ないと判断しなるべくショートカットで進めました。私からは恒雄さんが硫黄島警備隊に配属されており葉書に記された記号などから、恒雄さんは摺鉢山での戦いに参戦されていたであろうこと。戦没日の3月17日は日本軍が上陸した米軍に対し総攻撃を開始した日である事。遺留品の葉書は恒雄さんが郵便としてだされた後に接収された事などOBONの調査で判明した事をお話しました。ご主人はずっと葉書を手に持ち見つめながら話を聞かれていました。私から「恒子さんはこの返還について何かおっしゃてましたか」とお聞きしました。「きっとこの葉書を手にしたら話してくれると思う」と仰ってました。またご主人はゆっくりと口を開き「5人兄妹でね、戦争でお父さんをなくしてからはお母さんが一人で布団屋さんを切り盛りして子供たちを育てたんだよ。布団の修理とか打ち直しなんかをね一人でやってね。。お父さんが硫黄島で戦死した。。。」ここから泣き崩れてしまいその言葉は聞き取れませんでしたが、きっと恒子さんから幼い頃の話を聞いておられたのでしょうか、それともこの世代の皆さんが一様に経験した戦争という悲劇を思い返されていたのでしょうか。そんな色んな感情の混ざった涙だったと感じました。

恒雄命の子供たちは恒子さんを含め3人がご存命で、この返還を待ち望んでおられると仰ってました。色々と落ち着いたらきっと皆で集まりお披露目したいとお話されていました。

この度の返還、誠におめでとうございました。
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #soldier #ww2 #北海道 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #海軍 #硫黄島からの手紙 #美深町 #英霊 #護国神社

ワオ!と言っているユーザー

OBON捜索班手記/北海道津別町で戦没者遺留品を返還(Returning the remains of the war dead in Tsubetsu-cho, Hokkaido)

スレッド
返還された政雄命遺留品 返還された政雄命遺留品 政雄命の甥「大東邦博」さんと奥... 政雄命の甥「大東邦博」さんと奥様 大東政雄命 大東政雄命 大東家(本家)のお仏壇 大東家(本家)のお仏壇 返還へ 返還へ
OBONソサエティ捜索班の工藤です。令和4年3月6日に硫黄島で散華された日本帝国海軍上等兵【大東政雄 命】の遺留品をご遺族に返還する為、北海道は津別町へ行って来ました。この度の遺留品は、兵士の従弟が政雄命に宛てた【手紙】でした。手紙には戦地へ向かった政雄命を励まし、政雄命のお父様が普段と変わらずに仕事をしている様子や、共通の友人の近況などが綴られていました。

一ー留守宅の父上始 皆健匠(健勝?)ですよ 此の点大安心下さい小生も君の留守中叔父様の身体に付いて心配していましたが精神力の更止(向上?)のためか 殆ど休んでいられる様子は有りません 相変ず一ヶ月七十束からの発送品を一手に引き受けて大いに頑張っていられます。此の様を見るに付け 政雄君のあのたくましい体で毎日元気で製材出しをして居た様子が目に見へます。

ーー自分達の原木□も益々勇壮で毎日十台から二十台位の到着原木で駅のホームを賑ぎやかにして居ります。自分達の班より過日 日原 田中の両名が海軍へ入団しました。何れも□□の年輩者です。松下工場も益々拡張され第二工場 製材工場等も建築されました。□身隊の寮も立派に出来上りました。原木は電気ウインチで物凄く髙巻きして居ります。二□酉の市も過ぎ二頭共最高で売りました。戦争は刻一刻吾本土に近づいて参りましたーー※「□」は判読不明の文字

兵士と手紙の差出人の大東剛さんは故郷では年も近く大変仲の良い間柄だったのではと読み取れます。大東家は北海道に移住してきて政雄命の代で四代目となられ、家業の林業に従事し町の発展に大きく寄与されてきたそうです。8人兄妹の長男として生まれ、当主となるべく成長した政雄命ですが、昭和16年に海軍に入隊。昭和20年に激戦の地【硫黄島】の警備任務に就かれました。きっとこの銃後からの手紙を肌身離さず、故郷を思って戦われたのだと思うとこみあげるものがあります。記録では政雄命の戦没日は昭和20年3月17日とあります。これは栗林中将が硫黄島に残る残存兵力を集結し、米軍に最後の攻撃を仕掛けた日です。水も食料もない中、手紙に書かかれた「~戦争は刻一刻吾本土に近づいて参りました~」これを阻止すするために戦われたのだと。

政雄命には年の離れた弟さんがいらっしゃいますが、ご遺族のご意向で「手紙」の返還を受けたのは本家の8代目を継がれた甥御様「大東邦博」様でした。邦博さんは「叔父(兵士弟)ともよく話し合って、この手紙は墓も仏壇もある本家で丁重に受取り、伝えていきたい」と仰っておられました。「当時政雄さんの遺骨や遺品は何も戻って来ず、石ころだけが白箱に納められて帰ってきたと聞いています。この手紙を叔父の遺骨として納骨しお寺で法要してもらう事になっています」との事。

この度の返還誠におめでとうございます。 https://www.facebook.com/OBONSOCIETY/posts/4849117658474787
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #soldier #ww2 #北海道 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #津別町 #海軍 #硫黄島 #硫黄島からの手紙 #英霊 #護国神社

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり