盛岡市旧新田町(現夕顔瀬町)出身の戦没者・谷藤幸二郎さんの日章旗が、76年の時を経て、遺族の元に帰還した。日章旗は、出征者の無事を祈り直筆で署名やメッセージを寄せ書きしたもの。「祝・壮途 谷藤幸二郎君」「忠誠」「忠義は黙して行ふべし」「不死身」などの願いがしたためられていた。
幸二郎さんは、暁2948第三揚陸隊所属の陸軍兵長。1944年6月25日に、ニューギニア・ゲンエイムで戦死したという。
日章旗は、太平洋戦争時に米軍第5空軍の戦闘機パイロットだったラルフ・キッチンズさん(2017年10月逝去)が、沖縄で米陸軍兵士から譲り受けたもの。今回の返還は、娘のメアリー・ジョンソンさん=米国フロリダ在住=が父の遺志を受け継ぎ、オレゴン州の非営利組織OBONソサエティに依頼し、実現した。
OBONソサエティは、09年発足。欧米諸国を中心に、寄せ書きされた日の丸の持つ意味を正しく伝え、返還を通じた平和啓発に取り組んでいる団体。代表者はレックス・ジークさんと京都出身の敬子・ジークさん。
16年にメアリーさんから返還依頼を受け、旗の文字の書き起こしが行われた。
記されていた「新田町第一町内会」に着目し、捜索範囲を盛岡市に絞った。20年11月に市内関係機関に協力を依頼したことから、國雄さん、勝利さんが遺族であると判明した。
26日、市役所会議室で日章旗返還式が行われた。
谷藤裕明市長と、幸二郎さんのおいにあたる谷藤國雄さん(79)、佐藤勝利さん(77)、県遺族連合会の甘竹勝郎会長、盛岡市遺族会の工藤新悦会長、夕顔瀬町第一町内会の平野耕一郎会長が出席。谷藤市長から國雄さんに、幸二郎さんの出征を見届けた日章旗が手渡された。
谷藤市長は「遺留品である日章旗を76年の時を経てお返しでき、喜ばしい。温かい思いに感謝し、平和の尊さを継承したい」とあいさつした。
旗を受け取った國雄さんは「各団体のお力添えに深く感謝いたします」と謝意を示し、「御霊(みたま)と一緒に旗が帰ってきた。叔父の記憶はないが、若くして亡くなったと聞いていた。供養してあげたい」と感慨深げな面持ちで語った。
式では、レックスさん、敬子さん両代表とメアリーさんのビデオメッセージも紹介された。
メアリーさんは「戦争は恐ろしいもの。運よく父は帰ってこられた。幸二郎のこと、気の毒に思う。お返しできてよかった」とコメントを寄せた。
敬子さんは「(アメリカにも)日本の遺族の方を真摯(しんし)に思う方がいる。平和への歩みを進める第一歩となれば」と、友好と平和の継続を望んでいた。http://www.morioka-times.com/detail/?kijiid=626&fbclid=IwAR3mHmhVAP_jJdwapvfSH1tYi9QmrfvHgJ4viTQsMuXPYSmfRG2zlZ8HV_I
太平洋戦争でアメリカ兵が戦利品として持ち帰ったとみられる日章旗がインドネシアで戦死した岩手県盛岡市の男性のものであることがわかり、26日、遺族のもとに返還されました。
この日章旗は、昭和19年6月にインドネシアのニューギニア島で戦死した盛岡市の谷藤幸二郎さんのものです。
26日、盛岡市役所で返還式が行われ、谷藤市長から遺族の谷藤國雄さん(79)と佐藤勝利さん(77)に手渡されました。
日章旗は、アメリカの非営利団体がフロリダ州在住の元アメリカ兵の持ち主の娘から5年前に依頼を受けて調査を進めたところ、記載されていた地元の町内会の名称や寄せ書きをした親族の名前などから、幸二郎さんのものであることが判明したということです。
持ち主の娘、メアリー・ジョンソンさんは動画でメッセージを寄せ、「返還に時間を要し申し訳なく思っています。ご遺族の安らぎとなることを願っています」と話していました。
遺族の2人は、幸二郎さんの直接の記憶はないということですが、國雄さんは「幸二郎の母親の墓前には息子がみ霊とともに返ってきたよと報告しました。みなさんの協力に感謝しています」と話していました。
また、佐藤さんは「『青天の霹靂』とはまさにこのことだと思いました。よく返ってきたなというひと言に尽きます」と話していました。
日章旗の返還に取り組むアメリカの非営利団体「OBONSOCIETY」などによりますと、太平洋戦争中、日本兵が持っていた日章旗は戦利品としてアメリカ兵が持ち帰ることが多かったということです。
この団体では日本遺族会などと連携して子や孫などから譲り受けた日章旗を遺族に返還する活動を12年前から行っています。
アメリカ国内での活動の浸透もあり、これまでにおよそ400枚が遺族の元に返還されたということです。
去年は新型コロナウイルスの影響で外出を控えた人が倉庫などを片付けていた際に偶然発見し、返還を希望するケースもあったということです。https://www3.nhk.or.jp/lnews/morioka/20210426/6040010570.html?fbclid=IwAR1CdGPiaP2X_2Ex6G1GGpAG8d9zLoAswtt7Syvzqq1yJviYW4DuqNwUnYg
太平洋戦争で戦死した盛岡市出身者の名前が記された日章旗がアメリカで見つかり、26日、遺族に引き渡されました。
こちらが盛岡市出身の戦没者、谷藤幸二郎さんの名前が記された日章旗です。26日は盛岡市の谷藤市長が市内に住む遺族2人に旗を手渡しました。谷藤さんは太平洋戦争に従軍し、1944年6月にパプアニューギニアで戦死しました。旗は出征前に名前が書き入れられたもので、戦後は元アメリカ兵が保管していました。その家族が返還のため遺族を探していたところ、去年判明し、終戦から75年あまりの時を経て遺族のもとに戻りました。幸二郎さんの甥にあたる佐藤勝利さんは「青天の霹靂だった。良く帰ってきたという気持ちです」と話していました。https://news.ibc.co.jp/item_42751.html
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