その文章を目にした時から、かける言葉を失っています。
どんなに辛いことか・・・・・・。
どんな慰めも、その悲しみには値しません。
ただ、天に召されたお子様と、残された家族の皆様のために祈るのみ、です。
どこにも書けなかったので、こちらに。
目に触れなくても、想いだけは綴ってみたくて。
三浦綾子さんの「そこから先は神の領分」という言葉が好きだ。
人間、悩んでも努力してもどうにもならないときがある。
どれだけ根性があっても、全て根性で乗り切れるわけじゃない。
寧ろ乗り切れないことのほうが多い。
そんな時、根性だけは、と思っていた心はボキッと折れる。
プライドだってズタズタだ。
思い通りにならない人生に打ちひしがれる人間。
それほどまでに、人間は弱い。
結果を期待し過ぎず、
出来ること丁寧に最大限やり、
あとは捨て置く。
今辛い状況にあるのならば、それは自分の努力が足りなかったからとか、誰かが悪かったからとか、そういうことじゃなく、
ただ、必要だからそうなっただけ、なのだ。
そこで反省したり、考え込んだりすると、健康まで損ないかねない。
やるだけやれば、それでよし。
そこから先は、神の領域なのだから。
運は天に任せたほうが、心に平穏が訪れる。
気にせず、ドンドン自分を磨け。
磨いて光り輝かせ。
今年のテーマは「人間の業」。
善と悪、陰と陽、光と影、そんな人間の持つ「業」に悩みながら、それでも人生にYESと言いたい。
極みから極みへ。
二つの狭間で揺れ動く。
双極 「ツチカミ」
5/4イオンモール春日部にて
私の大事なたからもの。
元気にスクスク育ってね。
気づいてみれば2013年。
あっという間に時間が過ぎるなー。
昨年暮れから体調が悪い日々が続き、ちょっと落ち込んでいるけど、でも明けない夜は無いから、今が踏ん張り時かな。
今年はゆっくり自分のペースで進んでいこう。
皆様、今年もヨロシクお願いします。^^
自己啓発本が好きな私だが、最近は通り一遍等の自己啓発本より、何かを極めた人の何気ない一言にノックアウトされる時が多い。
どんなジャンルにせよ、その道を突き進み極めた方の言葉は重い。
まさに琴線に触れる、とはこのこと。
先日読んだ『瓦礫を活かす「森の防波堤が」命を守る』(学研新書刊)の著者、宮脇昭先生の言葉。
【何をするにしても、自分の足で第一歩を踏み出さなければ何も生まれない。目的に向かって一歩を踏み出し、実行することで一本の木が林となり、森となり、やがていのちを守る豊かな森林となる。
本物のいのちの森づくりは、心に木を植えることである。しっかりと大地に根を張って、どんなことがあろうともくじけずに我慢しながら生き延びて、未来に希望を持って天高く伸びる、そのようなあなたの生き方にもつながる。】
この文を読んで、すぐさま栞を挟み、アンダーラインを引いて何回も読み返した。
泣きそうになるくらい、励まされている。
思うことなど・・・
来月の大ホールでの舞台に、私は出ないつもりでいた。
いつも相対でレッスンをやっているから、左右が全部逆になってしまい、私が一番間違えるだろうと思ったこと。
照明や音響が入る本格的なステージで、生徒みんなに何か起きたとき、すぐに対処できるよう裏方に徹したほうが良いと思えたこと。
本当はみんなが主役なのに、いい歳をした私がシャシャリでるのが憚られたこと。
この3点でみんなと一緒に舞台に立つのはやめようと思ったのだ。
でも今日親御さんから言われた言葉が胸に突き刺さった。
「いつもは一緒に踊ってくれるのに、なんで今度は踊ってくれないんだろう。障害者と一緒は嫌なんじゃないか。そうみんなと話したんですよ」、と。
そんなこと思うはず無いじゃないか。
そんなこと思うなら8年もボランティアなどしていない。
大事な舞台だから、私も真剣に考えた末のこと。
一緒に出てほしいと熱望されれば、そこはやはり考え直す他無い。
一緒に踊りたい、というみんなの気持ちは私だって嬉しいよ。
だから結論は「出る」。
頑張るしかないな(笑)
誰にも期待されていない。
そんな日々を送る。
でも、それが気になるってことは、裏を返せば期待されたい、ということなんだろうか。
ついイライラしてしまうことがあるけど、そのイライラの原因は【羨ましい】に他ならないと最近気づいた。
何かのことに対して権限があったり、何かを始めたり、何かを常に開拓している人、そんな人たちをこき下ろしながらも羨んでる自分。
全く小さいよなー、ホント。
でも誰にも期待されてない、ってことは、それだけ自由だということ。
何をしたところで、賞賛も無ければ批判も無い。
ならば、思うが侭に行ってみればいいか。
ただし、心を込めて。
そこに妥協をしては絶対いけないんだと、身体の奥底にいる小さな自分が呟くのだ。
今、復興支援イベントに向けて着々と準備を進めている。
大手メディアの後援も取れた。
あとはただひたすら邁進するだけ・・・
と思ったのだけど、これは私じゃなくて他の人がやるほうがいい、と言う人が増える気がした。
私じゃなくて、もっと相応しい人。
その人が動けば、数百人は動かせるであろう人。
そんなことを考えたら、私は準備だけ整え、その人たちに全部譲る方が世の中のためなのかな、とも思う。
ボランティアは結局自己犠牲の上に成り立つものだから、他の人に花を持たせてやるのが筋じゃないかと。
私は、純粋に被災地の方々に心を寄せていこう。
イベントのトップなんて誰だって構わない。
誰かが笑顔になれることに、力を注がなければ。
あと一つ・・・
愚痴だけど(笑)
私の一挙手一投足、誰かに話した言葉がそのまま誰かへ伝わっていること。
噂話のネタですか?w
最近いろいろ落ち込むことがあって、何て自分は駄目人間なんだろう、と悩んでいた。
まるで仲間外れにされてるが如く、私だけ何にも知らなくて・・・。
身近にいる人のことなのに、それを遠くの友人から聞かされたり・・・。
群れていたくて、輪に入りたくて、悶え苦しむ日々。
他人から嫌われないためにはどうしたらいいか、頭を抱え行動を直そうとした。
・・・がしかし、ふと思った。
そんなことで悶々と考える姿は滑稽だな、と。
そんなことで悩む人間に魅力はない。
誰かがこうありたいと願う人物。
即ちメンター。
出来れば、そんな人格を目指して行こうではないか。
群れなくても、カッコ良い、と思える人に。
切り替えるぞ!
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