今日はまた別のことで落ち込んでしまっている。
自分は何でこう素直になれないのか。後悔先に立たず・・・。
言わなきゃ良かった。言わなきゃ良かった。言わなきゃ良かった。
自分の心に従うなら「NO」と言えば良かった。
新しいチーム名を今考えてる。響きが良く、尚且つ自分らしさが出るような和風の名前。
何故「和」かと言えば、祭りに拘りたいからだ。名は体を表す、の言葉通り、ずっと使っていきたいから安易に考えたくなかった。
そこで目にした言葉、「千紫万紅」意味は、いろいろな花が咲き乱れる様。すみれはすみれの美しさがあり、バラにはバラの美しさがある。
人間にもその人ならではの輝きがあるはず。
一人ひとりが輝いていられるチームが作れたら最高だろう。また同音異句の言葉で「千思万考」もある。
これは、いろいろな思いをめぐらすこと。
私は、他人への思いを深くめぐらすことは無かった・・。
自分への戒めを込めて、常に省み深く考えていくためにも、この言葉は必要かもしれない。「千紫万紅」・・・この言葉で、行けるとこまで行きます。
やっぱダメだよねぇ・・・自分で自分を縛っちゃ。
もういい加減、考えるのも飽きたかな。人間落ちるとこまで落ちたら後は浮上するだけって言うし、そろそろ浮き上がりたいな。さっき犬の散歩で外を歩いてきたけど、星が凄く綺麗でずっと見入ってしまった。何にも考えず星空を眺めるのも良いもんだ。風邪引いてるから寒さは堪えたけど、何だか癒されたなぁ。自分を信じなきゃ運命は掴み取れない・・・そんな気がしてならない。
今年、自分に戒めているのは、かつてのチームの話を聞かないこと。
今までどうしても気になり、つい電話して聞いたりしていた。
(修羅場の10月には電話代だけで¥50000・・・・払えなくなって、携帯は現在ストップしている)そうでなくてもやることは一杯あるから、そちらにシフトして、なるべく考えないようにしたい。辛くなった時、いつも紐解いて読む本があり、今年もまたその本を開いた。
出口日出麿さんの「生きがいの創造」だ。
同じシリーズで「生きがいの探求」という本もあり、それは先日ネットで取り寄せた。その中でも、特に好きな文章・・・。『理想を見つつ現実を離れず、
しかも現状を一歩ずつ向上させねばならぬ。
永遠を仰ぎつつ現在を離れず、
しかも現在を一歩ずつ向上させねばならぬ。
あせってはいけない。
油断してはいけない。
突破!突破!
全てに現状を突破して、一路向上すべし。』
『吉凶、禍福、悲喜、善悪ことごとくは、己から出たものが己に帰るだけである』
『今日をもって昨日を嘲るな
明日を思うて今日しりごむな
悲しいときは泣け
うれしいときは踊れ
食べよ 恋せよ 望めよ 愛せよ
変わるままに変われ
しだいによく変われ
かわれかわれ
とわにかわれ』
私も少しずつ変わらなきゃ。
今日も人手不足のため店舗で販売。
いつになったら会社へ戻れるのかな・・。明日は漸く休みなので、年賀状を書かなくちゃ。
結局大掃除もしないで年越しちゃったし、新年といえどもやるとこ一杯だわぁ。
で、ここのとこちょっと疑問に思ってること。
スキンの変更をしたのに、いつになっても変わらないのは何故?管理画面から自分のブログに行くと変更されてるのに、お気に入りから行くと必ず前のスキンになってる・・・・うーん。
他のPCからだとどんなスキンになっているんだろう??・・・不思議だ。(もしかして私の設定ミス?!)
正月2日目にして仕事始めの木蓮です。
皆さん、お元気ですか(・・って誰に言ってるんや?!)で、オーラソーマやってみました。
凄く当たってる気がします。「オーラの泉」みたいな癒しを感じますね。私の未来の可能性は
【未来のあなたは人生の新しい流れに乗って、自分らしい生き方を貫き、光り輝いています。今までの古い価値観や考え方を手放したあなたは、自らに備わった才能や魅力を認めて、自分のことも周囲の人々のことも、深く愛せるようになるでしょう。心から求めていたことが実現するチャンスが訪れ、リラックスして楽しみながら行動していきます。好きなこと、心惹かれることをやり続けていった結果、想いを達成するでしょう。自分だけでなく多くの人々にプラスとなる、平和的な方向性を選択していくことがポイントです。】大天使ザドキエルが出ました。
何だか嬉しいです。
ん〜頑張るぞ!
激動の一年を終え、迎えた新しい年。全てを忘れ去ることなんて出来ないが、それでも私は前進する。宝物は失ったが、大切なものは得た。
閉まった扉をいつまでも眺めてる暇は無い。後ろは振り返らず、ひたすら前だけを向いていく。
どんなに大変であろうと、目指す方向に進んでいく。
やりたいことをやりたいように、ただひたすら前に行く。何が起ころうと、全ては自分にとって必要なこと。夢は、叶えるためにある。
何だかいろいろなことがあり過ぎて、「戸惑うことのみ多かりき」という感じの一年だったな。
私の来年の使命というか、やらねばならないこと、やりたいことは、世代も何も超えて、各人の自己表現の場を少しでも多くすること、その手助けをすること、かと思う。人前に出て踊る、ということは、観る人を楽しませ、尚且つ自分も輝いていられる、ということだ。
年齢を重ねていようと、若かろうと、これは誰にも共通する。自分を表現する楽しさは、例え人前に出ない内々のサークルであっても、あると思う。それぞれの目的にあった踊る楽しさを追求する手助けは自分の楽しみともなる。千紫万紅・・・それぞれの素敵な花を咲かせられたら、それが一番幸せなのだ。
世の中には、自分の権利ばかり主張する人がいる。
自分からは何のアクションも起こさず、他人からしてもらうことばかりを願っている。ギブアンドテイクとまではいかないだろうけど、円満に事を進めるとなると、ある程度は自分からの働きかけも必要なんじゃないかな。今までのことは今までのこと、でもこれはやってもらいたい、というのは都合が良いだけに過ぎないと思う。何もしないで与えてもらうのは楽だし、ホントならそれが一番なんだろう。
でも逆の立場になれば、そこで動く人は本当に「奇特な人」と言えるし、実際バカらしくてやる人はいないように思える。だからお金が必要になってくるんだろうな。
見返りとして報酬を払う・・・ま、当然だろう。
立場が変われば、見方も変わる。
自分の哀れさをどんなに出したところで、得るものが「同情」だけしかなかったら、何もかもそこでストップだ。要求することの先を見つめないと、得るものも得られない。私自身も、自戒を込めて忘れないようにしたい。
今日は実家の忘年会だった。
酒が入る席で不安がよぎったが、案の定絡まれまくることとなる。娘が言うのも憚れるのだが、母は酒乱なのだ。
昔は、少し気が強かったが優しい母だった。
いつの頃からか、別人のように酒を飲むようになった。
酒を飲んで暴れ、物を壊し、すぐ「死ぬ」と騒ぐ。
暴れる時は包丁も飛び交うので、命懸けでストップさせる。
こんな思いはもう嫌だと、母を道連れに心中しようと思ったことさえあった。酒を飲むと、母はいつも私を責める。
その逃げ場の無い追い詰め方に、私も気が狂いそうになる。せっかくガンから生還したというのに、どうして酒を飲むのか・・・。何を言っても無駄。
誰の意見も聞かず、母は酒を飲む。
口答えをすると、本当に死のうとするから、全く何も言えない。いつまで責め続ければ気が済むんだろう。
仮にこのまま母が死んだとしても、私はその責め苦からは逃れられない。
母に受け入れてもらわなければ、一生心に負い目を持つことになる。
私は酒が嫌いだ。
全く飲めないし、飲もうとも思わない。
身体が拒否してしまうのだ。
一度ヤケ酒を無理してあおったことがあるが、すぐに身体がおかしくなった。
アルコール誘発性不整脈・・・酒をコップ半分でも飲むと、心臓の鼓動がおかしくなってしまう。どうしてこの世に酒なんかあるんだろう。
どうして母は酒を飲むんだろう。・・・いつになったら、私を許してくれるんだろう・・・。
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