SE2(スマホ)で蘇った岩魚太郞のあの光景
4月
28日
歌声喫茶の歴史概要
1955年(昭和30年)、東京新宿に「カチューシャ」(現在は閉店)
「ともしび」(現在営業中)がオープン。リーダーの音頭のもと、店内の客が一緒に歌を歌うことを目的としている。
発祥について
1950年(昭和25年)ごろ、東京・新宿の料理店が店内でロシア民謡を流していたところ、自然発生的に客が一緒に歌い出して盛り上がり、それが歌声喫茶の始まりという説と、また当時公開されたソ連映画『シベリア物語』に同様なシーンがあり、これに影響されたともいわれている。
大流行
これを契機に東京に歌声喫茶が続々と誕生。労働運動、学生運動の高まりとともに人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し、店内は連日満員の盛況。
さとう宗幸や上条恒彦と言われるのプロの歌手が生まれた。
歌声喫茶功罪
日本共産党を中心として展開された「うたごえ運動」という政治運動に大きな役割を果たしたが、集団就職で単身東京に移住してきた青年たちの寂しさを紛らす心のよりどころでもにもなった。
歌声喫茶の衰退
1965年(昭和40年)頃から世に言う「ホォークソング」登場、1970年代(昭和45年代)「ホォークソング」大流行を契機に、歌声喫茶のブームは急速に衰退、その後の10年ほどでほとんどの店が閉店。
さらに、1970年代後半のカラオケスナック、1980年代のカラオケボックスの出現により、「人前で歌を歌える」需要の受け皿はそちらに移行し、集団就職世代も30代、結婚し子供も生まれ、東京砂漠の孤独感もなくまりました。歌声喫茶は、一般の喫茶店やカラオケボックスとは異なり、客全員が合唱する形態のため、飲食物の注文が少なく客単価が低いという経営的な問題もあったと思います。カラオケが一般化した現代では逆に「みんなで歌う」スタイルが新鮮だとされ、人との出会いや交流、一体感を楽しめることからブームが再燃しているといわれています。
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