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岩魚太郎の何でも歳時記

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一月一日元旦 

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一月一日元旦 

変化
あえて日本数字で書く。お正月の風景は昭和の時代と大きく変わった。子供達の外で遊ぶ声は、羽子板であったりたこ揚げであったりした光景を、耳にすることも、見ることも皆無といった昨今である。世相か変化したのである。そのうち羽子板なるものは、博物館にでも行かなければ見られなくなるかも知れない。羽子板が無くなった訳ではなく、羽子板に代わる子供の遊び道具が変化していったのである。
テレビゲーム等々一連の電子機器の道具である。このことは、電子技術の進歩もあって理解はするが納得はしないと言う複雑な気持ちである。

変化
日本の羽子板が消えた現象は、日本だけの問題ではなく、世界規模で大きく変化しているのである。単純な羽子板遊びから電子機器への玩具の変化、そして我々の生活そのものも大きく変化している。洗濯板から洗濯機へ、釜から炊飯器へ、テレビの出現からハイビジョンテレへ等々、日常生活の変化は加速的である。

変化
生活の便利さを追求することで、社会そのものが変化し、地球そのものの変化をもたらしているのである。地球温暖化、北極圏の氷が溶けて、海底資源の利権争いで隣接する国同士が険悪な状況になっているとの報道である。
かつて共産主義が資本主義に駆逐されたが、今度は資本主義が地球の温暖化を招いた。
人類は、快適生活の便利さを、資本主義の競争原理のもとで、永久に追求していっていいのか?

変化
魚の鮭は、四年の一度生まれ故郷の川に戻り、命の継承義務を果たし死んでゆく。地球に命を育むあらゆる生き物は、生から死への繰り返しである。
人類もその枠を逸脱することはできない。鮭も人間も同じなのである。鮭の人生は四年で日本人の平均字寿命は七十歳代。
子供を作る身体的な能力の喪失まで(男は射精の能力、女は廃経)、そこそこの生活が営めて、子供が育つ生活が維持できれば良いのではないか?

まじめに、2008年元旦の冒頭で、地球温暖化について私なりに考えました。エネルギーの節約に心がけましょう。せめて小作り作業の際には消灯で地球温暖化にご協力を!

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