神奈川・鎌倉市の鎌倉学園中学校のHPで、【新・学校の魂 百マデ】が紹介されました。
☆ 「鎌倉学園中学校 HP」 はこちらから
中学受験が近づいてくると、懐かしい便りが届きます。そして、どの子ども達も受験の時にちょっと挫折を味わったり、人より少しだけ遠回りした子ども達です。しかし、そのことを糧に力強くしっかりと歩んでいることを文面から確かめることができます。
ラッコ横山
本年もよろしくお願いします。
さて、前回「閑古鳥」(かんこどり)の話しをしましたが、それに続いて「風見鶏」(かざみどり)の話しです。
理科の授業で気象について学習している生徒が、「風向計」の向きを聞かれていました。風が吹いている方向はどちらというものですが、実際に風向計を見たことがないばかりか、風見鶏のこともわからなかったそうです。確かに風見鶏を飼っている家が少なくなっているのかも知れません。
マンションでもベランダで風見鶏を飼うことができますから、ぜひ、可愛い風見鶏を探してみてはいかがでしょうか。
ラッコ横山
新年 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
さて、2009年はいわば「変革の年」です。しかも世界規模で変革が求められています。同時に私たち中学受験をサポートする立場の一人としましても、やはり中学受験も変革に迫られてきていると実感しています。年々過激になる中学受験、近年ではマスコミ各社ばかりか、さまざまな分野からも注目されるまでに至っています。しかし、それと共に、不要なものも多く排出されていることもまた事実です。それは単に物質的な面だけでなく、中学受験そのものの意義や学校選びの基準と言ったものまで揺らいできているように感じています。お子様の個性やご家庭の環境に立った長期的な教育ビジョンが特に重要になってきていると思います。我が家の方針、わが子の将来という観点でぶれないビジョンを持ちたいものです。
それが確立されてこそ、各家庭における受験の意義も明確になり、また、塾選びや学校選びも同じ目線で組み立てることができると考えます。子ども達が安心して勉強に集中できるためにも、途中の進路変更はなるべく行わないことです。世間の流布と言ったことと中学受験さらに教育は全く無縁なところにあります。自分の目で見て自分の耳で確かめる、その見極めのできる目を持つこともまた大切です。
さて、中学受験の現実はとても厳しいものがあります。多くの子ども達が4年生ごろから合格に必要なテクニックを身につけていきます。ところが、3年あるいはそれ以上に及んで進学予備校の机の上で長時間過ごすことの弊害も出ています。子どもに合った正しい学習法や受験スタイルを追求することなく、通り一辺の受験勉強には間違いなく限界が見えてきます。つまり、表面的な受験勉強では中学・高校へとつながらないばかりか、費やされる莫大な時間だけが無駄に失われていくのです。受験が最終的な目標ととらえた中学受験は、子ども達だけでなく親子にとっても貴重な時間の浪費になります。そしてそれは燃え尽き症候群の予備軍を生み出すことにもなりかねません。
近年、首都圏における中学受験及び私立中学・高校の様子がさまざまな形で表面化しています。過度な中学受験を終えてもさらに続く大学受験勉強、まったく休む暇もなく、連日勉強と部活に明け暮れる日々、そんな中にも、見えないところで活きる力がどんどん失われているような気がしてなりません。つまり、あらかじめ敷かれたレールに乗っ取っての6年間には、自走する練習や失敗から学ぶ練習もほとんど許されないのです。こうして子ども達は常に短いスパンで成果や結果が求められ、いつも何かに縛られている環境が当たり前となっているようです。ですから、急に広大なフィールドに立つと、なかなか自分を出せない、自分らしさを上手に表現できない子ども達も多いのではないでしょうか。
私たちは、今年、【中学受験 教育診断】を実施します。子ども一人ひとりに合った教育プラン、理想的な受験プランをどのような設計すればよいのか、豊富な経験と多くの実績を積んだベテランスタッフが親御さんをしっかりとサポートしてまいりたいと思います。今年もよろしくお願いします。子ども達の豊かな可能性を広げてまいりましょう。
hotline(ホットライン)
塾長 横山 善則
スタッフ一同
「閑古鳥」ってどんな鳥?
「閑古鳥」ってどこにいるの?・・・
多くの小学生が「閑古鳥」(かんこどり)を知りません。知っていた子は読書などを通して理解していたようです。確かに普段の日常生活では使わなくなっているようです。昔はマンガでも「もうれつあたろう」の一場面で、繁盛しない日のお店を例えて使っていたことを覚えています。
この一週間はこの言葉が気になり、会う子 会う子に聞いていますが、ほとんど知りません。
そんな話題で考えさせられているとさらにもう一つ。「取り付く島がない」という表現を「取り付く暇がない」と誤解している子どもも多いそうです。
間接的表現や慣用句・ことわざなどが段々と用いられなくなってきています。一つの言葉から連想できる情景や心情を考えるゆとりも少ないようです。日本の文化を伝える難しさを痛感しています。
ラッコ横山
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