記事検索

ボンビーでもしあわせのカタチはあります

https://jp.bloguru.com/hitparadeclub

フリースペース


気まぐれに更新するブログなので、コメント・友だち・メール機能はオフにしています。無礼をお許しください。

1952年7月7日、ソ連・中国を訪問して帰国した左派系議員が集会後に約3,000〜7,000人ともされるデモ隊が発生し、警察との衝突が起こりました 。

スレッド
1952年7月7日、ソ連・中国を訪問して帰国した左派系議員が...
大須騒擾事件は1952年に発生した左派系議員の歓迎集会をめぐる衝突事件で、火炎瓶・石や拳銃の応酬が起き、死傷者・多数の起訴者を出し、27年にもわたる裁判の末に有罪判決が確定した重大事件です
 
当時の報道では、事件の背景として日本共産党の武装デモ計画や暴力性に強い批判が向けられました
 
1952年7月7日、ソ連・中国を訪問して帰国した左派系議員(日本社会党・帆足計・改進党・宮腰喜助ら)の歓迎集会が大須球場で開催されましたが、集会後に約3,000〜7,000人ともされるデモ隊が発生し、警察との衝突が起こりました。

デモ隊は火炎瓶や石などを投げつけ、警察側も拳銃を発砲するなどの武力衝突に発展しました。
 
死者は在日朝鮮人高校生1名、負傷者は警察官・消防士・一般市民・デモ隊員を含めて多数(70名以上と報じられています)。
 
この事件では150名が起訴され、最終的に99名に騒乱罪(当時の「騒擾罪」)が適用され、有罪となりました。裁判は長期間にわたり、最終的に1978年に最高裁で確定しました

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり