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2・1ストは、GHQの圧力で中止されたが、その結果は労働運動の再編という形で実現されました。 3月10日には、総同盟・産別会議・国鉄総連合など28組織、446万人が参加した、全国労働連絡協議会(全労連)が結成された、これは当時の組織労働者の84%を包含するものでした。 ただし、全労連の運動は、運営...
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戦前は、認められていなかった労働者の権利が労働組合法や、労働基本権を確立する労働基準法などが整備されるなかで労働組合運動は急速に発展しました。21年8月には、日本社会党系が中心となった、都道府県単位で結集した日本労働組合総同盟と、共産党が指導する21の産業別労働組合会議が発足したことは前述のとおりで...
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国労の誕生 統合組織への機運が高まった昭和21年、2月27日には北陸の片山津で「国鉄労働組合総連合会」の結成大会が開催され、同年3月15日、東京の飛行会館で第一回の国鉄総連合中央大会が開催されました。これが国労の前身となる国鉄総連合です。 この大会で発表された組合員数は50万8,656人で、国鉄全...
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戦後、労働運動は民主化の旗印の下、合法化されました。 昭和20年12月には労働組合法(昭和24年6月施行)が公布され、(実際には昭和20年に制定された労働組合法を全部改正すると言う手続きを経て公布施行されました。) そこで、雨後のたけのこのように組合は結成、発展していきました、当初はGHQも民主...
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戦前にも労働組合は存在しましたが、労働組合の存在は非常に弱いものであり、使用者に対しては請願という形で行われるのが一般的でした。 実際には戦前にあっても、ストライキなどを実行する会社もありましたが、ことごとく労働者の敗北に終わっていました。 特に太平洋戦争(大東亜戦争)中は、全ての組織が翼賛会に...
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国鉄の誕生 GHQの見解を聞いて頭を悩ませたのは時の政府でした。 GHQの命令は絶対であり、マッカーサーからの書簡(指示)という事になれば尚更でした。 前項に書きましたように、政府としては鉄道総局をどうすべきか考えた結果、政府の意向ができるだけ通る、すなわち政府が公共企業体を支配できる体制を考え出...
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労働運動の台頭 当初、労働運動には寛容であった、GHQでしたが、これを日本共産党が解放運動と感じたことに大きな誤りが生じることとなりました。 この辺りにつきましては、国鉄とは直接関係ないので割愛させていただきますが、後ほど機会を見つけて論述したいと思います。 当時の、日本共産党は、ソビエトの指示、す...
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はじめに 国鉄を鉄道国有化の明治時代まで遡るか、戦後の昭和24年以降とするかは、議論の分かれるところではございますが。 ひとまず、昭和24年以降の日本国有鉄道以後の内容ということで、記述を進めたいと思います。 なお、国鉄に関する労使問題や、車両の動きなどといった専門的と思われる分野は、別の機会という...