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投稿日 2017-04-09 15:31
つれづれなるままに
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高橋京太
鳥羽伏見の戦いが勃発したという地点は、簡素な住宅街の小さな交差点に位置していた。 そのすぐ近所に薩摩軍が駐屯したと言う城南宮がある。 花の名所となっているここの庭園は広くよく整備されていて散歩しても飽きることはない。 義母ならきっと喜び、彼女の京都の名所となったはず。...
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投稿日 2017-04-08 15:25
つれづれなるままに
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高橋京太
この日は京都の近く伏見にて神学校同期卒の友人宅に宿泊。 久方ぶりの再会に話が弾み、楽しい話は夜が更けても尽きることがない。 伏見と言えば秀吉が一時住居を構えた伏見城があり、そして戊辰戦争勃発の契機となった鳥羽伏見の戦いが有名。 伏見城の本丸後は現在天皇陵となっているがその少し離れたところに石垣も含め...
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投稿日 2017-04-07 14:55
つれづれなるままに
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高橋京太
しかし井伊直弼が信長と大きく異なる点がある。 15年間、14男の故に捨て扶持の微禄に甘んじた不遇時代である。 彦根城内堀沿にある小さな庵に住居を構え、 「埋木舎」(うもれぎのや)と名付けた。 直弼の詠んだ和歌を紹介。 〜世の中をよそに見つつも埋れ木の 埋もれておらむ心なき身は〜 実際は埋もれる暇もな...
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投稿日 2017-04-06 14:47
つれづれなるままに
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高橋京太
井伊直弼 安政の大獄を首謀した赤鬼か、 鎖国から開国への未知の時代を切り開いた先駆者か。 日本史上で彼ほどに評価の割れる人物はいないと思う。 ペリー来航後右往左往の幕閣の中でも明確に開国路線を打ち出して日米通商友好条約を勅諚を得ないまま締結し、さらに反対派を徹底的に弾圧してしまう。 彼もまた信長同様...
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投稿日 2017-04-05 14:40
つれづれなるままに
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高橋京太
信長の夢破れたり 「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。 ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」 (人間の一生は所詮五十年に過ぎない。天上世界の時間の流れてくれべたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。) 絢爛豪華な安土城を築き、その琵琶湖に面し...
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先日、ポイントローマにあるカブリヨナショナルパークへ行ってきました。 この国立公園には、1542年にヨーロッパ人初の西海岸到達した人物、ファン・ロドリゲス・カブリヨの像が建てられており、アメリカの国立公園来場者数TOP100に入っている有名な観光地なんです! 公園内には、ビジターセンターや展示室など...
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投稿日 2016-12-05 14:08
つれづれなるままに
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高橋京太
❷徳川300年間の屈折 毛利家は関ヶ原で敗れ、36万9千石の約3分の1の石高の領地に押し込まれた。 殿様を慕う家臣たちはそれでも新しい領地について行き、家禄なくリストラされた彼らは百姓に身をやつして家を守ったという。 破産集団でありながらこうして能動性に富んだ毛利家のは、 共通のものがあった。 〜常...
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投稿日 2016-11-22 16:28
つれづれなるままに
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高橋京太
❶怨恨は関ヶ原から始まった 徳川幕府を揺さぶり、最大の革命勢力となったのは長州藩でした。 長州の毛利藩は戦国期には瀬戸内海沿岸の交通の要所であった広島を覇府として、 山陰山陽10カ国を従えた大大名でした。 関ヶ原の戦いで敗れ一朝にして没落してしまったのです。 家康はこの大家臣団をわずかに防長(周防・...
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投稿日 2016-05-27 16:05
神戸:ファルコンの散歩メモ
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ファルコン
高速長田駅の近くに<源平合戦勇士の碑>があり、久しぶりに前を通りましたら、なんと樹木が育ち、石碑が見えなくなっていました。 寿永3年(1184年)3月20日、源平一ノ谷の合戦で討死した<平道盛>や<平知章>、源氏の<木村源吾重章>、同じく<猪俣小平六則綱>らの碑が、敵味方の分け隔てなく合祀されていま...
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投稿日 2016-05-07 21:21
<MR職人・生涯現役の鬼軍曹>
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MR職人
書籍名~ <千の証言 >・・あの戦争を人々はどう生きたのか 著者~ 毎日新聞 <千の証言>取材班 戦後70年を機に、毎日新聞社とTBSテレビは共同で、戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代に伝えていく大型プロジェクト <千の証言>を展開しました。 戦争体験者の高齢化につれ、戦争の記憶がどんどん風...