-
投稿日 2014-02-06 08:05
つれづれなるままに
by
高橋京太
イスラエルとキリスト教会10〜その1ユダヤ人信者に関する2つの誤り2つの誤った見解が、今でも多くのクリスチャンたちの間に席巻している。1つは異邦人達がキリストを信じた時点で、彼らは霊的なユダヤ人になったと言う見解。もう一つが、異邦人でもユダヤ人でもキリストを信じた時に両者の垣根は取り払われて、1つのものにされたというものである。 新約時代には、もはやユダヤ人の特殊性と言うものはなく、異邦人と言う言葉すら相応しくないとする考え方である。信者はキリストにあって1つの家族となったのであり、特定の民族や選民思想、ユダヤ人の特権性というものは消滅してしまったのだと言うのである。果たして本当にそうだろうか...
-
投稿日 2014-01-29 16:07
つれづれなるままに
by
高橋京太
イスラエルとキリスト教会❾その2ガラテヤ6:16 「どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように 」この聖句にある二つの組織体・グループとは異邦人信者とユダヤ人信者の二者であり二つのグループに祝福を述べたものであると解釈できる大きな理由は次の通りである。①解釈学の原則から新改訳聖書のようにギリシャ語Kaiを「すなわち」と訳すのは文法上誤りではないが、それは圧倒的に稀なケースである。ほとんどの場合は、ANDと訳されるのである。「釈義や神学上の明らかな矛盾がない場合で、通常訳出される語句が意味をなすものならば、より稀な語句を訳語として採用してはなら...
-
投稿日 2014-01-28 15:59
つれづれなるままに
by
高橋京太
イスラエルとキリスト教会❾〜ガラテヤ6:16ついてGalatians 6:16 「どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように 」全ての契約神学者が、「教会が霊的なイスラエルとなったのだ」 または「異邦人信者が霊的なイスラエルである」と結論付ける根拠としてあげる聖句はこれ一つである。果たしてこれが正しい解釈であろうか。先ず、ガラテヤ書全体の文脈を概観してみよう。そもそもこの書は、モーセ律法によって救いを得たり、これを維持しようとしている異邦人信者に関心を払って書かれたものである。15節では救いに重要なのは信仰であり、れが「新しい人(直訳)」に至...
-
投稿日 2014-01-27 15:32
つれづれなるままに
by
高橋京太
イスラエルとキリスト教会❽〜新約聖書での「イスラエル」用法について契約神学という流れにある人々は、新約聖書で教会が新しいイスラエルになったのだと言う。この二つの用語が相互に交換できるものであるとしている。果たしてそうであろうか新約聖書では73回、イスラエルという語が出現している。聖書の各書に出現している、代表となる聖句を一つずつだけ取り上げてみる。 Matthew 2:20 「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」 :家族がイスラエルの土地に帰って来たという地理的な名称に過ぎない。Mark 15:32 「キリスト、イスラエ...
-
投稿日 2014-01-26 11:32
つれづれなるままに
by
高橋京太
「宮きよめ」マタイ21章12~ 17節~マタイ福音書連続講解説教59~聖書本文とメッセージノートはこちらから:http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/1217-59受難週の二日目、月曜日の出来事である。主は商売をしている人たちや両替商などの世俗的利益で働いていた者たちを神殿から追い出した。宮きよめと言われている所以である。公生涯での最初の過越の祭りにも同様の宮きよめをされているが、今回の記事は2回目の出来事となる。宮きよめにはどのような意義があるのだろうか。❶イエスご自身のメシア宣言であった主は神殿のことを「わたしの家」と呼ばれた。ここにご自分が神に等し...
-
投稿日 2014-01-21 15:41
つれづれなるままに
by
高橋京太
「メシアのエルサレム入京」マタイ21章1~11節~マタイ福音書連続講解説教58~聖書本文とメッセージノートはこちらから:http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/111-58この21章から、受難週として主イエスの地上生涯最後の一週間が始まる。メシア(=主イエス)がエルサレムに入京する記事がその受難週の皮切りであり、四福音書全てに共通して書かれている記事となっている。これは歴史的出来事であり、AD30年、ニサンの月、10日(日曜)であるのが分かっている。①預言の成就としてのエルサレム入京 1.ゼカリヤ9:9 〜初臨のメシアが平和の王として行進される預言であり...
-
投稿日 2014-01-18 14:31
つれづれなるままに
by
高橋京太
タコマ南部での聖書家庭集会へ行ってきました。ホストの家が改築中だったため、この数ヶ月間お休みしていた家庭集会でしたが、この1月から再開となります。レギュラーの方々の元気そうにしておられる様子に安心しました。今年の初会合となるグループでは「明けましておめでとうございます」との挨拶も交わされます。再び正...
-
投稿日 2014-01-15 02:39
つれづれなるままに
by
高橋京太
イスラエルとキリスト教会❺〜区別されるその聖書的論証④教会が「新しいひとりの人」と呼ばれている。エペソ2:15 「15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、 16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。 」(エペソ 2:15-16)パウロはエペソ2:11-3:6において3つの共同体組織に言及している。イスラエル、異邦人、そして「新しいひとりの人」である。この「...
-
投稿日 2014-01-14 02:33
つれづれなるままに
by
高橋京太
イスラエルとキリスト教会❹〜区別されるその聖書的論証③教会の奥義的な性格聖書で「奥義」とは、旧約聖書には啓示されずに新約聖書に至って初めて啓示された真理のことを示した専門用語である。エペソ3:3-5教会それ自体は奥義とは呼ばれていないのであるが、教会に関する数ある性格が奥義と呼ばれているのである。⑴教会のからだ概念が奥義。 ユダヤ人信者と異邦人信者とが結合して一つのからだとしての教会を形成するというのは旧約聖書に存在していない概念である。エペソ3:1-12⑵信者の内にキリストが宿るという概念が奥義。コロサイ1:24-27,2:10-19,3:4,11⑶教会はキリストの花嫁である。エペソ5:22...
-
投稿日 2014-01-13 11:05
つれづれなるままに
by
高橋京太
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。聖書本文とメッセージノートはこちらから:http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/0202856-1「天の御国の恵み」マタイ20章29~ 34節~マタイ福音書連続講解説教57~① 天の御国は、恵みと信仰とによる4つの福音書には、時に一致しているとは見えない共通記事がある。今回の盲人のいやしの記事においても、マタイでは、エリコを出た時(20:29)のことであるとしているのに対して、ルカでは、エリコに近づかれたころ(18:35)であるとしている。聖書の権威を認めない人達は調和がないとしてその無誤性を攻撃して来るが、む...