キューブラー・ロスの死ぬ瞬間を読みました。 坂本龍一の訃報で最後かもしれないと言いながら弾いていたピアノの演奏を思い出しました。最後の時間まで自分としての意識が残っている人は、残したいものが沢山あるのだろう、そのために力を振り絞るのだろうと思いました。 認知機能が落ちていく中で迎える死は、あっただろう語りたいものはどんな方にで自分の中に残っているのだろうと思いました。毎日がどんな時間の中にいるのだろうと思いました。 生きている事に感謝です。
パンダといえばランラン・カンカン世代です。 シャンシャンは父親が肺炎になった時に生まれました。助かるのかな・・・・と思ったくらい容態は良くなかったのですが、回復して意識が戻った時、シャンシャンが生まれた新聞を見せたら怒りました。多分体調がよくなかったからです。 今思えは怒る元気がありました。 今日久しぶりに父親の顔をリモート面会でみました。シャンシャンがさよならする日なんだな・・・と思いました。
リンゴとハーブのビールを飲みました。少し甘かったです。 昨日はTAの講座の日で午前中は講読会、午後はSVのバイザーでした。「日本人同士なのに言葉が通じない。」というフィードバックありで力不足を実感しましたが、話し手は自分の力でその中から欲しい物を見つけたのだと思いました。 皆さんからはフィードバックで踏ん張った?というストロークをいただきました。
会社の方から、鳩サブレと八つ橋とたい焼きをもらいました。 今日はキャリアコンサルタントの更新研修に参加しました。クライアントとキャリコン役両方を行ったのでですが、クライアント役で気づいたことは、私は褒めて欲しかったのだという事でした。職場でトラブルがあり自分では手に負えない事の対処をした事について、意見を言う人はいるけど、対応している事を責めるのではなく、褒めて欲しいのです。 鳩サブレと八つ橋とたい焼きをもらって機嫌を直す事にしました。
坂本龍一さんの最後かもしれないという映像を先日見た後で、そういえば幸宏さんのCD1枚持っている事を思い出していた所でした。 その後、高橋幸宏さんの訃報を聞いてたった1枚だけ持っているCDを聴きなおした。 元気ならうれしいね~♪という歌詞なのに、ご逝去された。 坂本龍一さんの映像を見ながら、年齢を重ねて生きる中で必死に生きる姿を見た後だったので、死に近づいている幸宏さんのことを見ていたのだろうかと・・・ 「4月の魚ポワソンダブリエル」友達が好きだった映画だ。 パシャっと跳ねる魚は生きている。
昨年から継続中の片付け、年末に自分の荷物から小学生の修学旅行の時、絵を描いた湯飲みを発見。使わないでしまい込んでいたのですが、落として飲み口が欠けてしまいました。飲み口は茶色の汚れもついているし、壊れなくても処分したかもしれないので、気にせず捨てる事にしましたが、気になるのでブログにupします。 修学旅行先で絵を描いて、その後学校に送られてきたような気がします。記憶も曖昧です。冬になると福寿草の鉢が家にあった記憶があります。だから福寿草なのかな・・
年末も新年も物を捨てていました。昨年に引き続き、祖母、叔母、母、父の荷物をてています。そして自分の荷物も捨て始めました。まだまだ沢山あります。写真は落としてふちの欠けてしまった湯飲みです。忘れてしまいましたが、修学旅行の時、絵を描いたのだと思います。 休みの間はほとんど自宅に居ました。以前なら予定を沢山入れて出かけていたのと思います。これは年齢のためか無理しないことを学んだのか。 明日から仕事です。行ってきます。
年末年始のお休みは一生懸命掃除をする予定はなかったのですが、襖が破れ障子もぼろぼろでホームセンターからアイロンで貼る襖を買ってきて貼りました。 上手くはいかなくて、空気が入りましたが部屋が明るくなった気がしています。 壊れた衣装ケースを使っていたのを処分したり、使わない思い切って捨てたり、玄関の靴を整理したり、2日間働きました。お正月は沢山たまったファイル整理します。写真はしめ縄とカレンダー。 カレンダーは毎年父親が予定を書き込んでいたので、もう使わないだろうけど父親のところに持っていきました。
今年は父と母と祖母と叔母の荷物を片付け処分する年でした。まだ続いています。 父親の引き出しから沢山手帳がでてきて、処分する気にならず廊下に置いていました。 そろそろ年末、整理を使用と思い処分する前に写真撮影しました。 毎年の手帳、人の歴史を処分するみたいな気持ちになります。 私のofficeの本も処分です。20年前ですね。一生懸命勉強しました。勉強して良かったと思っています。あの頃の友達はどうしているかな。