予報を信じて、陸の孤島になっても困らないように買出しまでしていましたが、パラパラと粉雪が舞っただけでした。
でも来週一週間は寒いシアトルになりそうです。
タイムリーに思い出したのかどうかわかりませんが、「エンデの遺言」と渦中のTPP。
「自由」貿易という建前から自由競争の下、国際競争力を・・・聞こえはいいですが、もっと大事なものを見落とすと危ないのでは? TPPはもともと南米含む発展途上国でスタートしたもの。お互い助け合って経済力の友愛(?) そこへ米国はじめとした先進国が急に参加。そのプレッシャーもあってのいつもながら、自分が見えない日本。
物々交換というビジネスのスタート。紙幣価値では値段として違うものでも当の本人にとってはお互いが欲しいものであれば、交換していたでしょう。 そこにはお互い助け合うという友愛の心が存在していたと思います。
成熟した先進国の舵取りは、売上高より収益ではないかと思います。つまり、薄利多売で市場拡大を目指すのは発展途上国の位置づけ。
「お蔭様」や「もったいない」など日本文化をもっと政治経済にもっと反映できれば、諸外国からも一目おかれる日本という国の品格が見えてくるのではないかと思います。
TVで日本の政治家の具体的な内容もない、のらりくらりとした発言はもう聞くには耐えれません。
今朝、調べてみたら下記の本「エンデの警鐘」も出ていたのですね。知りませんでした。
ちなみに「エンデの遺言」は日本語でしか発刊されていません。 逆に誰か英訳して世界に広めてもらいたいところです。
友愛に基づいた経済活動。今日現在それを実践しているのが、ドイツのGLS銀行。贈ることと貸すための共同体という不思議な名前をもつこの銀行の特徴は、預金者が自分で投資するプロジェクトを選び、同時に自分で預金の利率を決めるという点です。
その際、下は無利子、利率ゼロから上限は市中銀行の平均的な利率までの間で、自由に利率を設定できるというもの。預金者の私達は少しでも利率の良いものに預金しようという行動を取りますし、今のすべての銀行のセールスポイントはそこにあります。
しかし、GLS銀行によると実際、預金者の3分の1が少ない利子か無利子を選択している。そのおかげで、銀行は通常より好条件でプロジェクトへの融資ができている。(エンデの遺言P83)
地方銀行でも、地場産業応援のためにそうしたプロジェクト口座を設け、地元の人々が地域経済の活性化のために自分たちが直接的に融資応援できるという「活きたお金」の還流がそこには起きます。その思想は「友愛」に基づいた経済ということになります。
日本・・・政治・経済・教育と何から何までアメリカのものまねの戦後60年の呪縛からもう脱却していいのでは?歴史あるヨーロッパは、その第1次、2次世界大戦の経験・歴史からEU連合を実現し新たな道を模索しています。
歴史あるアジア、日本。GDP第2位の日本が、円借款など政治的なお金の融資でなく、友愛に基づいた経済活動、影響に尊敬される日本が見えてくるのではないでしょうか?当然、自国の経済も不況脱出できると思います。21世紀へのパラダイムシフトはまだまだ本当に始まってはいない。今はじめるチャンスだと思います。
シュタイナーの社会有機体三層論は、我々は三つの異なる社会的レベルで生きている。その概念はフランス革命のスローガン(もともとはフリーメーソンのスローガン)である「自由・平等・友愛」。
自由は「精神と文化」、平等は「法と政治」そして、友愛は「経済生活」。エンデは現代社会は分業によって成り立っているとしています。私がブログでも話した水平分業とも通じるとうれしく思ったのですが、それ以上に感動したのが、それは「友愛」に基づくという考えです。(エンデの遺言P76)
経済原理は自由では?友愛を原理とした経済などは、ありえないユートピア思想ではないか?しかし、自由という名のもとに我々は、現在何に直面しているのでしょうか?
友愛に基づく経済・・・その実例のドイツの銀行についても書き留めてみたいと思います。
諭吉さんのことを書き留めて思い出したのが、「エンデの遺言」。「PON PONのポケット」時代に書き留めました。
「お金は老化しなければならない」というテーゼを第1次世界大戦後の時代にシルビオ・ゲゼルが投げかけています。(エンデの遺言P32)
目から鱗が落ちた思いでした。この世で不滅のものはない。しかし、現在の貨幣経済は違う。金貨・銀貨のように貨幣自体に価値があったものから、紙幣に移り、その紙幣も金本位制から離れ、その貨幣自体は、経済で流通するモノという売買の対象が消費されてなくなった後にも紙幣という貨幣はなくらなずに残る。この矛盾がいつの間にか、お金の単位という数字が人々の生活の裕福を左右し、自然の摂理を壊しはじめたというもの。
エンデに影響を与えたゲゼルですが、もう1人が、ルドルフ・シュタイナーだそうです。 シュタイナー教育として知っていた人ですが、社会改革としての社会有機体三層論を唱えていたとは知りませんでした。
ゲゼルとシュタイナーは同時代を生きています。ゲゼルが時とともに価値が減る「自由貨幣」を提唱し、シュタイナーが「老化する貨幣」を提唱しています。(エンデの遺言P74)
永遠に価値が変わることがないと考えられていたお金にある種の限界を持たせようとした。そのお金のあり方を変えることから、経済をとらえ、変えようというのが2人の共通したねらいといえるちうことです。(エンデの遺言P75 )
タコマはシアトルに政治・経済の中心が移る前までは、この地区の中心の街だったそうです。空港もダラス・フォートワース空港と同じように、シアトル・タコマ空港と2つの市の名前を取っています。空港がちょうど中間にあるからという理由もあると思いますが・・・
昨夕は、日本から来られている方の30年来の友人家族を訪問するのに運転手としてタコマまで行ってきました。シアトルから高速を車で飛ばすこと1時間余り。
アメリカ軍隊出身のご主人は、ビジネスで成功を収められ、息子が会社を継がれ、娘はアメリカ政府の中枢で仕事。毎週末、ワシントンDCとの間を通勤だとか。
家は和風・・・障子などはすべてご主人の日曜大工。
初めてなのに意気投合・・・楽しいひと時を過ごさせていただきました。メンバーでは私が一番若輩者。帰りにはいろいろお土産までいただいて・・・・
で・・・別れ際に奥さんといってもすでに70歳を超えられたおばあちゃんに・・・「貴方は暖かい人ね」とポツリと言われて、何だかフッと身が軽くなるというかふんわりとした心地になりました。いろいろ苦労されて今日を迎えられているのと思います。
でも成功してきた人々に共通なのは、「明るさ」・・・本当、笑う門には福来るでしょう。
インターネットがいくら発達しても、やはり「会って」なんぼのもんですね。
一期一会・・・そんなひと時の昨晩でした。
大河ドラマ「龍馬伝」のおかげで、再び龍馬ブームみたいですね。日本時間の今日は、龍馬の誕生日であり、暗殺された命日になります。
多感な高校生時代、初めて手にした司馬遼太郎の本が「花神」。当時のNHKドラマがきっかけでした。そして、「峠」。確か高校二年生の夏・・・河井継之助の生き様に正座して本を読んだ記憶があります。三冊目に手にしたのが「竜馬がゆく」。それから、私の竜馬を追っかける人生は、彼が暗殺された年齢を超えるまで続きました。今でも全8巻は30年以上、引越ししてもずっと持ち歩いてきました。
学生時代、龍馬を知ったときには、天然パーマ、近視・・共通項がひとつでも見つかればうれしがっていたものでした。
大学生時代、留学する時に大阪から飛び立つ前に、初めて東山霊山の墓前に渡米報告に親友二人を無理やり引き連れていったのも暑い夏でした。新婚時代の初めての国内旅行を京都にして、再び墓前・・・だけで飽き足りず、伏見寺田屋まで行ったときには、もう飽きられを通り過ぎて、あきらめられていたのかもしれません。
最近、この年齢になって龍馬の行動を振り返ると、孤独だったのかもしれないなあと思いあたるようなことがあります。誰にも理解されず、逆に利害関係を持つ周囲からは白い目で見られ、四面楚歌だった大政奉還のころではないでしょうか?
自分の人生の主人公であるために・・・分かれ道の時には、常に大変なほうを選択して来ました。それが正し選択だったかどうかはわかりません。でも生き様としては正しかったと思いたいと思います。
血が騒ぐ・・・そんな人との出会い、何も歴史上の人物だけではなく、今、生きている現在にもそうした一期一会はまだまだあると思います。
しかし、幕末に志士が今の日本観たら・・・・こんな腑抜けな日本になるための開国ではなかったはずだと嘆くのではないでしょうか?
龍馬に合掌・・・・
写真はあまり有名ではないですが、二七歳当時といわれている龍馬(左側)
よく知られている写真は、目を細めています。多分、近視だったせいでしょうが、大きく目を見開いていたら、こんな顔だったのでしょうか?
姓名からあなたの生涯を漢字二文字で表すと・・
上記クリックして、遊んでみてください。
家族は全員予防接種をしていて、最近風邪もひいたことがない私は昨年につづいてFlu Shotもせずに気楽に構えていたら・・・週末から微熱とひどい頭痛でダウン。
インフルエンザではなかったようですが・・・・・やっと頭痛も引き始めました。
なんと情けないことやら・・・明日からは何とか通常に戻りたいところです。
60年代頃のアメリカ映画に出てきていたようなハンバーガーショップが近くにあります。
Junk Foodは基本的に食べさせず、育った子供たちも高校時代はカフェテリアの食事が嫌で弁当を持っていっていました。おにぎりを食べていると周りから寿司だあと冷やかされた時期もあったようです。しかし、久しぶりにJunk Food食べたいと言い出した息子の要望でこのバーガーショップにランチに出かけました。
座って食べるところはありません。持ち帰りか車の中で食べる。車の中で食べる場合には、車の窓ガラスにお盆を引っ掛けて、そこに注文の品を置いていきます。ちょうどランチ時間帯で満員。久しぶりに食べるバーガーは美味しいものでした。驚いたのは値段で、ファースト・フードでは2ドル程度で食べれたバーガーが、5ドル以上。いつからか知りませんが、ファースト・フードのあるバーガーショップでも今までの2ドルのバーガーはサイドメニューになって、メニューの中心は4-6ドルのバーガーになっているそうです。
さて食べ終わって、支払いは?
なんと車のヘッドライトをつけると、用事があるのサインでウエイター・ウエイトレスがやって来ます。
初めての経験でしたが、面白く、美味しいランチでした。でもちょっと高いかも・・・
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