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19.ある不育症患者さんの手記(2−6)

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19.ある不育症患者さんの手記...
〜3人の我が子にありがとう〜


不育症の検査も終わり、治療方針も決まった。
そして、3人目の赤ちゃんが
私のお腹の中にやって来てくれた。

妊娠が判明し即入院。

フラグミンの24時間点滴が始まった。
週2回ある内診の日は、いつも緊張と不安で一杯だった。
内診台にあがり、
エコー画面を見る先生の表情をちらりと伺う。

「 なんだかいつもと様子が違う? 」
「 難しそうな顔をしている? 」

妄想が広がって、
「 今回は残念だったね。 」
そんなフレーズが頭を過ぎる。

私の不安を察するかのように、
先生は、画面をみて第一声、


「 赤ちゃん元気だよ。 」
と言ってくれた。

よかったー。
安心して小さな手足を動かす赤ちゃんを見ることが出来た。

入院中は、他の不育症患者の方とも親しくなれた。
不安な気持ちを言い合うだけで、
自分だけじゃないんだと気持ちも楽になった。


妊娠後期になり、お腹が頻繁に張るようになった。
切迫早産で、再び入院となった。

2人目の子をウテメリン内服して2日目で死産した為、
ウテメリンに対してとても恐怖心を抱いていた。

点滴が刺され、
お腹に機械をつけて張りと赤ちゃんの心拍数を計っていく。

ふと、心拍が途切れた。
サーッと血の気がひいて、
急いでナースコールを押す。

「 赤ちゃんが動いて、機械から外れてしまったんだよ。 」

そう聞いて、ホッとした。

ウテメリンが直接死産につながった訳ではないと、
先生に説明してもらったが、
それでも不安は消えなかった。


朝夕のドップラーも、私には恐怖だった。
お腹の上で何度も位置を変えながら、
心音を探していたあの時の様子が、
トラウマになって思い出される。

毎朝、胎動を確かめる。
うん、動いてる大丈夫。
次の朝、今日も元気だ、
よかった。
絶対無事に生まれてくる。


そんな未来が分かっていたら、
もっと楽しく
お腹の赤ちゃんと毎日を過ごすことができるのに、
お母さんは 
いつも、いつも、心配ばかりしていてごめんね。


私の中に赤ちゃんを入れておくことが、
赤ちゃんの命取りになるような気がして、
切迫早産で入院しておきながら、
1日でも早くお腹から出てきて欲しいと願っていた。

私は、赤ちゃんのことを第一に優先して
元気なうちに取り出してほしいと、帝王切開を希望した。

先生と話し合って、ウテメリンをはずして、
38週0日までに自然に陣痛がつかなければ、
帝王切開をすることになった。

今までは、
陣痛促進剤を使っての分娩しかしたことがなかったので、
自分の体の力でおこる陣痛はどんなものなのだろうかと、
興味もあった。

「 オギャー。 」
なんて産声を聞いたら、感動するんだろうな。
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ターキーさん
ターキーさんさんからコメント
投稿日 2009-03-05 20:44

はじめましてTarkyです。


我が家には本当の子供はいません。 妻は2回とも、切迫流産でした・・・

その代りに、神様は沢山の子供たちを楽しませるための、こども(人形)たちを与えてくれました。

今後ともよろしくお願いします。

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