11.ある不育症患者さんの手記(1−4)
2月
19日
5人のあかちゃんがお空にいる〜
そして、半年後、5回目の妊娠、3回目の入院。
「 だめ元できました。 」
そう看護師さんに笑顔で言ってみたけど、
内心は真剣そのもの。
でも、軽く考えているフリでもしなくちゃ、
この緊張状態に耐えられない。
でも・・・またしても、経過がおもわしくない。
あまり成長していなかった。
辛い・・・誰ともしゃべりたくない。
Dr青木のコメント:
( 精神的ストレスがマグマのように顔を出ていました。
この時点で、
精神的な安定剤の助けを借りて、
もっともっと自分にやさしく、
自分と向き合って、
自分の弱さを認め、
がんばらずに、
すべてを許し、
一度、
心身のリセット をして、
できるだけ、
生まれ変わったようにしてみましょう。
と、お話しました。 )
心も体も、もう限界。
少し休もう!
あきらめるか、病院を変えるか、
再度、青木先生の元で挑戦してみるか、
どっちにしろ1年間は子供のこと、流産の事、
何も考えずに暮らしてみよう。
毎朝計る体温も、毎月排卵日を気にするのも、
不妊の本を読みあさるのもやめよう。
全てから開放されたかった。
度重なる処置と心労で体調も悪かった。
生理周期の乱れや生理の血量が減ったり、
注射を打たないと排卵しなかったり。
通院が辛かった。
お腹の大きい妊婦さんがすごく誇らしげで、
女性として完全に負けた気分になる。
待合室の隅に座り、
下を向いている自分がひどく惨めで、
涙が溢れた。
あの人たちと私の何が違うんだろう?
欲しくて 欲しくて たまらないもの、
でも、
どうしても手に入らないものを持っている人たちに対して、
とても意地悪な気持ちになった。
人を恨んだり、妬んだり・・・
ちっともやさしい気持ちになれない自分が嫌で、
不妊専門のカウンセリングを受けてみたりした。
誰にも言えない、理解されにくい気持ちを
ひたすら聞いてもらうだけで、
閉じて、ささくれたっていた心が少し楽になった。
入院中にお友達になった子に勧められて鍼灸へも通った。
ウォーキングに励んだり、
食生活を見直し、
体の冷えの改善をしたり、
バイトして毎日忙しくして
赤ちゃんのことをあきらめ切れないながらも
考えない様に努めていた。
最後の流産から1年程たって、
また、挑戦したい気持ちにもなりつつあったけれど、
怖い・・・怖くてたまらない。
内診の日が怖い。
台に上がって、
先生の言葉を待つ時間が怖い( ほんの2〜3秒だけど )
入院生活に心が耐えられるのか、自信がなかった。
前へ進みたいけど、
1歩が踏み出せなくて先送りにしていた。
そんな頃、3度目の入院の時に出会った友達が
“ひろはまかずとし”の詩集をプレゼントしてくれた。
愛知県蒲郡郡出身の詩人で、
その人の詩と絵が私がとても好きだといったのを覚えててくれて、
贈ってくれたのだ。
その詩集のタイトルは、
“きっと大丈夫”。
その言葉が、心の深い所へ染みていき、
勇気に変わった。
前へ進もう!