9.ある不育症患者さんの手記(1―2)
2月
17日
5人のあかちゃんがお空にいる〜
青木先生との出会いは、2度目の流産直後、
失意のどん底にいる時だった。
どの子を失った時も同じ様に辛かったけど、
思い返すと2度目の後が、一番辛かった様に思う。
こんなに辛いことが2度も続くなんて、
私は赤ちゃんを生めない体なんだろうか?
何がどうなっちゃってるの?
これからどうしたらいい?
次もまた、流産するのではないかという恐怖心が渦を巻く。
毎日泣いて、頭痛がする程、色んな事を考えて絶望した。
とにかく何もしないままでの、次の妊娠は怖い。
原因があるかもしれない。
でも、一体どんな病院にいったらいいんだろう?
Dr青木のコメント:
( この後、インターネットで、
当時の城西病院での私の不育症外来を受診されました。
身体的検査では、主にストレス由来とも考えられる
高プロラクチン血症と
高ナチュラルキラー(NK)細胞活性、
さらに、抗リン脂質抗体陽性が
次回妊娠における流産危険因子と考えられました。
これらの危険因子は最初の妊娠以前からあったのか、
偶然の流産により、
後から発生したものなのかは不明です。
しかし、
次回妊娠には悪影響を及ぼすと判断されます。
また、精神的には、相当に自分を追いつめている
感じでした。
治療法として、まず、
身体的危険因子の予防治療を行いました。 )
解禁になってすぐに、3人目の赤ちゃんがお腹にやって来た!
高温15〜16日目で調べる様、指示されていたけど、
毎日ドキドキして、落ち着かなくて、10日目でこっそり(?)調べる。
うっすら陽性。
緊張とドキドキがピークに。もう待てない。
妊娠が分かってしまったからには、平常心ではいられない。
早速入院準備。
とにかく、青木先生の側で絶対安静にしていたい。
赤ちゃんは先生がきっと守ってくれる。
やっと会える。
一度目の入院は不安より、期待で胸がいっぱいだった。
Dr青木のコメント:
( 入院して数週間後の超音波検査で、
胎のう(あかちゃんの入る袋)は見えましたが、
卵黄のう(あかちゃんの栄養タンク、仮腹)が見えてこず、
「枯死卵」 と診断しました。
それは、
偶然的な胎児の染色体異常による
流産の可能性が高いと考えられます
と、お話しました。 )
たまたま…だったとすれば
なんてついてないんだろう。
思い切り泣きたくて、直ぐに個室に移動させてもらう。
大声で泣いた。
多分、廊下にも聞こえていたと思う。
悔しくて 悔しくて、 どこにぶつければいいんだろう?
どう処理していけばいいんだろう?
心臓をかきむしりたい程、 苦しい。
頑張ったのに…どうして私ばかり…私の赤ちゃんばかり…。
病院に居るのが嫌で、主人と一旦自宅へ戻る。
辛いけど、次もまた、染色体異常の可能性は低いので、
悲観するのはやめよう。
そう話し合い、大嫌いなあの手術を受ける為、再び病院へ。
覚悟を決めて処置室の台へ上がる。
ナースステーションから、赤ちゃんの声が聞こえる。
また、
守り切れなかった私の赤ちゃん。
せっかく私のお腹を選んで、お空から降りてきてくれたのにごめんね。
こんな所で泣くのは恥ずかしい。
そう思い涙を止めようとしたけど、止まってくれない。
どんどんどんどん溢れ、嗚咽が漏れる。
我慢しようとすればするほど、涙がでて、号泣してしまった。
号泣しながら、麻酔がかけられ、意識が遠のいた。
やがて、手術が終わり、
台の上でてきぱきと動く先生や看護師さんをぼんやりと眺めながら、
かき出された赤ちゃんはどこへ行くんだろう?
誰か赤ちゃんに手を合わせてくれたのかな?
そんな事を考えていた。
その日の夜は眠れなかった。
担当だった看護師さんが足浴をしてくれて、
色々話を聞いてくれて、大分落ち着く。
あの時は、ありがとう。
お腹は空っぽになった。悲しい退院。