放り投げた祈りに乗せて
1月
22日
揚羽を身近に置いているのは、
那智に嫉妬する彼女をそばに置いているのは、
活力増強のためなんだけれど。
叶わない想いに身を焦がす彼女を身近で見ていて、
どんな気持ちなんだろうなぁと。
己に課せられた使命に孤独に耐えていた揚羽に、
かつての自分を重ね合わせたりはしないんだろうか。
生まれて初めてかけられた優しい言葉に、
心を震わせ、身を焦がす彼女に、
かつての自分を重ねて見たりはしないんだろうか。
共感、あるいは、同族嫌悪めいた気持ちを
抱いたりはしないんだろうか。
ああ、あれか?
桔梗にとっての死魂みたいな?
「哀れな女の魂たちよ……。私とともに来い……」みたいな?
けど、別に桔梗は自分の消滅を願ってはいないからなぁ……。
一時期、犬夜叉と一緒に地獄に落ちることは願ってたけど、
あれは、自分が地獄に行きたかったわけではなくて、
地獄に行くしかないから、でも一人では行きたくないから、
愛する人を道連れにしたいから、
だから犬夜叉を連れて行こうとしてただけで、
自分自身の消滅を願っていたわけではないからなぁ。
一方で、橋姫さまは。
呪いに呪った自分自身を消すために、
第二の自分を生み出すの?
第二の自分の嫉妬を食い物にするの?
そんな彼女にどう接するの?
わからないことだらけだ。
掌の記憶~哀しみのギターラ~
1月
22日
筆が。
理由はわかっている。
橋姫と揚羽の日常パートをイメージできないから。
花影の間のシーン、重鎮が集うシーン以外は、
夜ばっかりイメージしてたから。
颯太と揚羽の掛け合いはイメージできるけど、
橋姫と揚羽の掛け合いがイメージできない。
橋姫と揚羽の日常がイメージできないから、
積み重ねがイメージできないから、
那智たちがやってきてからの
ふたりのやりとりも書けないんだ。
……ってかマジで、
橋姫と揚羽、普段何を話すの……?(笑)
それがわからんから、
いきなり書こうとしても書けない。
滴露の療治者(チル・エナ)として、
役目を全うしようとするさなかで、
颯太に出会い、恋に落ちた揚羽。
一方で、漆黒の奏者(ハル・シテナ)として
胡琴を奏でること以外、
よすがを持たなかったために、
朔ノ宮に強く惹かれ、
駆け落ちした挙句、
捨てられて入水した美舟の自我を持つ橋姫。
己を最も呪い、
己の消滅を願っている橋姫。
ふたりの間に、
相通じるものがあるような気がする。
それが掴めれば、書ける気がする。
小説と脚本の違いと共通点
1月
18日
舞台の脚本を書いていて、
小説との違いにぶち当たり、
頭を悩ませたことがある。
脚本と小説。
一番の違いは、
地の文があるかないか。
小説はいわば、地の文の勝負。
もちろん、セリフの掛け合いも
大事なんだけど。
セリフだけ良くても、
地の文が書けないと、
味気ない作品になってしまう。
一方で。
脚本に、地の文なんてものは
存在しない。
あるのは、セリフとト書き。
つまりは、演者のセリフと動き、
そして、舞台装置の配置や動き。
これらで全てを表現するしかない。
ぶっちゃけ、「説明」ができない。
無理やりやろうとすれば、
超不自然なモノローグになる。
小説は、地の文なり、
心の声なり何なりで、
「説明」ができる。
その「説明」がいかにも説明っぽくて
嫌気が差すようなものになるのか、
あるいは説明っぽさをあまり感じさせない
自然なものになるのかは、
書き手の腕次第であって、
小説の特性によるものではない。
だけど、脚本で「説明」がしづらいのは、
脚本の特性によるもので、
それを理解せずして
「説明」しようとすると、
むやみにモノローグを多用した
不自然な作品になる。
だから、いかにセリフと動きだけで
表現するか。
それに非常に苦心した。
でも、今にして思えば、
その経験が、
小説を書く上でも生きているのかなと。
「廻り舞台と紡ぎ歌」を書くときに、
いかに「動き」で表現できるかを考えている。
登場人物たちがどう動き、
小道具や大道具をどう使うのか。
いかにして、
物語を映像として描き出すのか。
あくまでもそれらの「動き」を
地の文で表現しているから、
小説特有の手法を
使っているわけだけど。
頭の中では、ある種の「芝居」が
繰り広げられているというか。
そういう意味では、
「脚本」や「舞台」を
作り上げている感覚というか。
うまい具合に、
小説と芝居が融合しているというか。
そんな気がする。
雪月花の時、最も君を想う
1月
17日
雪月花すべて入っているよなぁと。
この方のカバー、本家よりも好きかもしれない。
声質は本家とものすごく似てるんだけど。
そういう場合って、
往々にして本家の方が好きなことが多いんだけど。
だけど、この曲に関して言えば、
アレンジと情感の込め方が、
こっちの方が好きだなぁと。
ほんでほんで、例の如く、
タカマ二次小説のイメージソングとして聴いているのですよ。
澪標シリーズ第三部、「廻り舞台と紡ぎ歌」。
「嘘」というほどのものでもないんだけども。
さりげなく、けれど頑なに、
核心を隠そうとする颯太の心情と、
核心に触れてしまった那智の心情を
思い浮かべながら聴いています。
虹色蝶々
1月
15日
思いのほか揚羽さんにピッタリの曲だった。
凛としたその音色
1月
15日
昔、京都に住んでた頃、
ぷらっと宇治に行ったまさにその日に、
私が立ち寄ったほぼその場所で、
屋外無料(?)ライブやってたっぽい。
あの日は、源氏物語ミュージアム行ったり、
宇治に行く途中だか帰りだかには、
諸羽神社にも行ったような……。
あれ、布刀玉さまは別の日だったかな。
まあ、とにかく、超充実した一日だったけど、
Rin’のライブの存在には、帰宅後に気づいて、
それだけが心残りなんだよなぁ。
ちょうど私が帰った頃くらいから
ライブスタートだったような……。
もはや、京都なんて、
ぷらっと行ける場所ではなくなってしまった。
物理的距離ももちろんなんだけど、
コロナでさらに遠のいてしまった……。
Montster
1月
15日
それとも、別の方向からなぶるのが先か。
ストレートに攻めるのが良いのか、
変化球でじわじわ行くのが良いのか。
どうしようかなぁ。
橋の袂(たもと)のお姫様
1月
15日
ちょっと怖くもあるのだけどね(笑)
なので、気分が落ち込んでいる時に聴くのはおススメしない。
下手すると、とことん落ちていきますので、ご注意ください。
橋姫の戯れ
1月
15日
揚羽の嫉妬を煽るのは簡単なんだけど。
那智にどんなちょっかいを出すのが
良いのかなぁと。
大枠はかなり昔から決めてあるんだけども。
細かい部分をどうしようかなぁと。
そういえば、こちらの橋姫さまは、
金髪・緑眼なんですね。
那智とおんなじじゃんっ!!
黒真珠の成れの果て
1月
11日
いやぁ、かれこれ5年以上前からあたためていた、
颯太と那智の再会シーンをようやく公開できました。
設定諸々が今のような形になる前から数えると、
10年近くなるんちゃうかな。
ふたりが再会=ハッピー♪万事解決!!
……とはいかないのがこの物語。
ここから先、様々な思惑が
絡み合うことになります。
逢魔が時は黄昏時だけど。
これから暗くなるからこそ、
異界の者が入り込んでくる時間帯なんだろうけど。
颯太くんの場合は、
夜は月の光に守られているイメージです。
一方で、橋姫さまの守護星は、
明けの明星といったところでしょうか。
さてさて、朝を迎えた御影家では、
いったい何が起きるのか。
いよいよ物語も佳境に入ってきました。
どうか引き続き、よろしくお願いします!!