花瓶とグスコーブドリと腹話術とわたし
5月
17日
21歳の娘が祖母にプレゼントした花瓶です。
彼女が小学生の時、ある花屋さんで見かけて、おばあちゃんに買おうと思っったら高くて買えなくて、お金を貯めたら買おうと思っていたら、花屋さんが閉店してしまい、、、、最近大人になってから、あるお店で同じ花瓶を偶然見つけたんだそうです。
そんなエピソード嬉しそうに語ってくれた義母。
母の日というより、祖母の日、って感じですが、
そんな娘のことを嬉しく思える私はしあわせな母でしょう。
話変わって、急にグスコーブドリの伝記を読みたくなって読みました。
あらすじは知っていたけど読んだのは初めて。
宮澤賢治晩年の作品だそうですが。
他人の評論は置いといて、自分で何かを感じ取りたかったのです。
ここから先は読んだことない人にはチンプンカンプンだと思いますが書きます。
ブドリの最期についての記述があまりにもあっけなくて
予想を裏切られましたが、
それがなんだか嬉しかった。
そのあっけなさが、
まるで、自然現象の一部分であるかのように、淡々と書かれているところが、
賢治らしさなのではないかと、
小気味よい感じさえしました。
このラストは、
現代の作家なら、感動を狙って、
入れ込んで描くんじゃないかな。
このお話は「自己犠牲」という言葉が解説によく使われている。
銀河鉄道の夜で出てくるサソリのエピソードもそうだと言われる。
結核を患っていた賢治は世の中の役に立ちたいと切望していたんだといわれる。
でも、
作者本人は、「犠牲」だとは思っていなくて違う感覚だったのでは??
「ほんとうの幸い」?
それに、
生き物が生きている理由は、
同じ種の保存のためだから、
感情より本能でブドリは生きたのかとも思われ、
それは取りも直さず
人は人を喜ばせるために生まれてきた
というやなせたかしさんの言葉と生き方も連想させ、
自分がふくわじゅつでやろうとしていることにも
つながってくるので
なんだか
出会う人や物に
全部つながってるんじゃないか
必然性があるんじゃないか
と思ってしまいます。
投稿日 2017-05-18 21:55
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2017-05-18 23:49
ワオ!と言っているユーザー